2012年6月25日月曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年06月24日

『スティーブ・ジョブズ』1&2 アイザックソン (講談社)

スティーブ・ジョブズ 1 →bookwebで購入 スティーブ・ジョブズ 2 →bookwebで購入

 ジョブズの伝記はおびただしく出版されており、邦訳されたものだけでも20タイトル以上ある。アップル社を辞めた1985年頃に第一の波があり、アップル社の立て直しに成功した2005年頃に第二の波があった(本欄でもヤングとサイモンの『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』をとりあげたことがある)。そして昨年の死去の後に第三の波が来ているが、本書は取材嫌いで知られるジョブズが協力した唯一の公認の伝記であり、第三の波の一番目立つ波頭といっていいだろう。

 著者のウォルター・アイザックソンはタイム誌の編集長をへてCNNのCEOをつとめた人物で、激務のかたわらキッシンジャーやアインシュタインの伝記をものしている。

 本書の誕生は2004年にジョブズが旧知のアイザックソンに自分の伝記を書かないかと持ちかけたことにはじまる。最初の癌の手術の直前のことだっ たが、ジョブズが癌だということは秘密にされていたのでアイザックソンはまだ早すぎると断っている。2008年に再度提案があり、またも断ったが、ジョブ ズ夫人のローリーンから癌の再発を打ち明けられ、ジョブズの伝記を書くつもりがあるなら今書くべきだという言葉に執筆を決める。

 ジョブズは細部まで口を出すことで知られており、アイザックソンもそれを懸念していたが、意外にもジョブズは執筆には一切干渉せず、原稿のチェッ クも求めなかったという。実際、過去の伝記で暴かれた奇行や強欲、裏切り、傍若無人な言行などは本書でも隠されることなく、きちんと書かれている。本人の コメントがついているのがご愛敬であるが、関係者の言い分も載っているので、ジョブズの言い訳が妥当かどうかは読者が判断できるようになっている。

 邦訳は上下二巻にわかれ、上巻は望まれない誕生から『トイ・ストーリー』の成功まで、下巻はアップル社復帰から死までを語る。

 上巻に関してはピクサー社の内情以外、あっと驚く新事実はなかったし、他の伝記に較べて詳しいわけでもない。ジョブズお得意の「現実歪曲フィール ド」がヒッピー時代に知りあったヨガの導師、ロバート・フリードランドから学んだものだという話ははじめて読んだような気がするが、後は伝説となったおな じみのストーリーをたどっている。モスクワにマッキントッシュを売りこみに行った際、KGBからトロツキーの話しはするなと言われたのに、講演をトロツ キーへの賛辞からはじめるというエピソードはおもしろかった。ジョブズはトロツキーにシンパシーを感じていたのである。アップル社を退職する経緯は本書の 記述が公式見解として後世に残っていくのだろう。

 本書の読みどころは下巻にある。アップル社復帰の物語はいろいろな人が書いてきたが、ジョブズを希代の陰謀家に仕立てているものが多かった。ジョ ブズ自身の目から見た物語は本書ではじめて明かされるが、薄氷を踏むような危ういものだったようである。人間には天からあたえられた役目があるのだと言う しかない。

 CEOに返り咲いたジョブズは年俸を1ドルしか受けとらず、世界一報酬のすくないCEOと自分を売りこんでいたが、取締役会に高額のストックオプ ションを要求していたことが暴露されたことがあった。著者は金の多寡ではなく、仲間に自分の仕事の価値を認めてもらいたかったというジョブズの言い分を紹 介している。

 ジョブズが強欲かどうかはともかく、iPod、iTunes、iPhoneの開発でユーザーの利便性を最重視したという言い分は納得できるように 書かれている。特にiTunesはそうである。iPod自体はたいした発明ではないが、楽曲の月額レンタル制で譲らないレコード会社を説得し、 iTunesを実現したのはジョブズの功績である。

 ジョブズの癌との戦いがここまで深刻なものだったということははじめて知った。膵臓癌とわかり手術を勧められるが、断食療法や鍼、水療法、腸の浄化などで9ヶ月を空費した。現実歪曲フィールドも癌には効かなかったわけである。

 ようやく手術を承諾するが、タンパク質を積極的に摂らなければいけない術後の回復期にも菜食主義にこだわった。動物性タンパク質を摂らないと免疫力が落ちるから、再発はこの時期に原因があるかもしれない。

 死を意識しはじめた時期にジョブズは素晴らしいスピーチをおこなっている。2004年のスタンフォード大学の卒業式の祝辞である。この依頼があった時、ジョブズは高名な脚本家に原稿を依頼するが、間にあわなかったので直前になって自分で一から書いたという。あの名スピーチは文字通りジョブズの肉声だったのだ。

 伝記作家は最後に歴史的評価を書きつけるものだが、本書ではアイザックソンはその特権を放棄してジョブズが取材時に語った言葉を引用している。 ジョブズに対する遠慮もあるかもしれないが、歴史的評価を下すのは早すぎるという判断かもしれない。これはこれでいい締めくくり方だと思う。

上巻→bookwebで購入

下巻→bookwebで購入

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