2012年6月30日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年06月29日

『学術出版の技術変遷論考』 中西秀彦 (印刷学会出版部)

学術出版の技術変遷論考 →bookwebで購入

 グーテンベルクの徒弟にペーター・シェッファーという男がいた。シェッファーは徒弟とはいってもパリ大学に学び、グーテンベルクに出資したフスト が印刷工房を差し押さえると工房をまかされ、後にフストの娘と結婚して印刷を家業とした。シェッファーの息子は1514年に印刷術の発明者はグーテンベル クだと記し、それがグーテンベルクが活版印刷を発明したことを証明する最初期の記録となっている。

 近年のハイテク調査によってグーテンベルク聖書には後代に継承されなかったさまざまな技術が駆使され、試行錯誤をくり返していたことがわかってい る。シェッファー自身が記録を残すか、息子がもうちょっと詳しい記録を書いておいてくれればグーテンベルク革命の実態がわかったのだが、そうはならなかっ た。

 20世紀の最後の20年間に印刷出版の世界ではグーテンベルク以来の大変動が起こった。ほとんどグーテンベルク時代そのままの技術でおこなわれて いた活版印刷は写真写植に移行し、さらにはコンピュータ印刷に全面的にとってかわられたのだ。日本では1990年代には活字は姿を消し、博物館の中でしか 見られなくなった。

 本書は京都で学術書の印刷を手がける中西印刷という印刷所を定点として活版印刷からコンピュータ印刷への変遷を記録した本である。著者の中西秀彦氏にはすでに『活字が消えた日』というエッセイ風の著書があるが、本書は実証的な学術書としてより広い見地から執筆されている。

 中西印刷は慶応元年に創業し、創業家が7代150年にわたって経営をつづけている。京都府庁の印刷が主な業務だったが、第二次大戦後は学術書に業 務の中心を移した。学術書にはめったに使われない漢字やアラビア文字のような活字化しにくい文字、西夏文字のように廃れてしまった文字が使われる上に、割 注のような特殊な組版もおこなわれる。技術的な工夫が必要なのはコンピュータ印刷になってからも同じかそれ以上だったという。どんな難しい組版でも活版な ら職人が手を動かしただけ進むが、コンピュータ組版だと標準からはずれた作業はシステムを改変するまではまったく進まなくなってしまうからである。

 シェッファー家は記録らしい記録を残さなかったが、学術書の印刷を手がけてきた中西家がグーテンベルク以来の印刷革命にあたって本書のような記録を後世の批判に耐える残してくれたのは幸いだったというべきだろう。

 本書は七章にわかれる。第一章は総説、第六章はまとめ、終章は学術文書のXML化の展望で、第二章から第五章までが本題の歴史記述になる。活版印 刷時代から電算写植をへてコンピュータ組版にいたるまでが四章にわけて語られるが、各章は以下の四つの位相から考察されている。

  1. その段階の技術の印刷史上の位置づけ
  2. 文字コードと漢字問題
  3. 中西印刷の対応
  4. 中西印刷で製作された作例

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