2012年06月30日
『ヤリチン専門学校—ゼロ年代のモテ技術』尾谷 幸憲(講談社)
「男性側から「性愛至上主義」の崩壊を描いたルポルタージュ」
本書は、かの「東スポ」こと「東京スポーツ」紙に連載された記事が元になったものであり、その点からも、半分以上は「ネタ」として差し引きつつながら、 面白がって読み進めるべきなのだろう。だが、それでもなかなか他書が踏み込めていないような現状が描かれた、興味深いルポルタージュとして評価に値するも のとして紹介したい。まえがきでも記されているように、この本の本来の目的は、「彼ら(=カリスマナンパ師。※評者補足)が日々使っているモテ技術をあますことなく紹 介していく」ことにあったのであり、いわゆるナンパ指南術的なマニュアル本を意図して行われたインタビュー集だったのだという。
ところが興味深いことに、その意図とは裏腹に、むしろそうした高等なテクニックを必要としたような、「80年代あるいは90年代的な」性愛至上主義的な文化がすでに崩壊しつつあることが、結果的に記述されることとなってしまったところに、本書の最大の面白さがある。
それは、今の若い女性たちが「高い店を嫌う傾向があり」、「オシャレな雰囲気を楽しむより、気楽に飲んでダラダラと話すのが好き」なため「居酒屋を支持 する女性の方が圧倒的多い」(第四回 安い居酒屋はモテる!)ということや、「高いブランド物を着てればモテるなんて発想自体が古い」(第八回 ブランド 信仰は終わった)ということ、あるいは、多数のクルマが乗り付けたナンパスポットがもはやクルマオタクの社交場と化し、女性たちには「車に対する思い入れ がない」(第九回 車ナンパの時代の終焉)といった記述などに典型的に表れている。
いわば、半ばゲーム感覚に記号的な消費行動を競い合い、その延長線上のゴールとして性愛行動が位置づけられていたような文化は、すでに遠い過去のものと なってしまったのだ。こうした変化を鮮やかに、それもリアリティをもって描き出したところに、本書の価値があると言えるだろう。
だがその一方で、本書が描き出しているのは、若者が性愛行動から完全に撤退してしまったということでもない。それはいうなれば、消費行動の先の至上のゴール(=性愛至上主義!)ではなく、もはや複数あるうちの一つの楽しみ(=ワンノブゼム)になったということなのだ。
そしておそらく、こうした変化を先取りしているのは、男性よりも女性たちなのだ。だからこそ、しばらくの間、男性たちは「置いてけぼり」を食わされているのだろう(いわゆる草食系男子もこうした「置いてけぼり」の状態なのだと理解することができるのではないだろうか)。
そして置いて行かれた男性たちが、女性たちとの新しい向き合い方を求めた取り組みの一つとして、本書が位置づけられよう。このように「講談社アフター ヌーン新書」には、一風変わった視点から、新しい性愛や関係性を描いた好著が多い。そのタイトルからしても、誰もが手に取りやすい著作ではないが、新しい 時代の性愛文化を考える一冊として本書をお勧めしたい。
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