(読むぞ! ホップ・ステップ・ジャンプ)言葉の力を見直す 本田由紀
[文]本田由紀 [掲載]2011年05月29日
東日本大震災の現実や報道、特に津波やがれきの映像に接して、絶句した人は多いでしょう。被災者やジャーナリストからも、今目の前で起きている事態を表 す言葉がない、という感慨が多く聞かれました。他方で、テレビから繰り返し流れたACジャパンの広告では、あいさつや、他者に投げかける言葉の大切さが強 調されました。言葉には力があるのか、それとも無力なのでしょうか?
確かに、巨大すぎる悲惨は安直な言葉を拒絶します。でも、私たちが 現実を表現し認識する際に、言葉はやはり必要です。長谷川櫂(かい)『震災歌集』(中央公論新社)を開けば、たった31文字の中にも事実とそれを見る者の 思いを凝縮できることが実感されます。「乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに」。彫琢(ちょうたく)された言葉を紡ぎ、残すこと。 それは私たちにできるせめてもの祈りと誓いです。
そして忘れてはならないのは、この社会の抱える多くの問題は、大震災のずっと前から明らかに深 刻化しており、その中で人々は苦渋にもだえながら生きてきたということです。天災はそれらを更地にするどころか、むき出しにしました。権力や資本の醜さと 人間のいとおしさを、やはり詩という形で表現し続けてきた人に、石垣りんさんがいます。『レモンとねずみ』(童話屋)は、未刊だった詩を編んだ美しい本で す。「大きな国の腕の中で/どうしてこどもは軽いのだろう。/どうしていのちはちいさいのだろう。」(「やさしさ」)。言葉は鋭い剣にも慰撫(いぶ)する 手にもなりうるのです。
ただし、言葉は——あるいは、言語は——それ自体の特性や制約をはらんでいることも事実です。私たちがふだん意識せずに 使っている日本語というものを客観的に見つめ直したい人には、井上ひさし『日本語教室』(新潮新書)がお薦めです。日本語の由来や特徴、あいまいさが、社 会批評とともにわかりやすく説明されています。東北を愛した井上さんがもし存命であれば、今の現実をどのような言葉で表現されたか。その課題を、これから は私たちが担わなければなりません。
(東京大学教授 教育社会学)
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