2012年05月31日
『世界軍歌全集—歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』辻田 真佐憲(社会評論社)
「あの麻木久仁子氏もtwitter上で所望した貴重な網羅的資料集」
はじめに、で書かれているように、本書は「軍歌の標本」となるべく、「世界各国の軍歌をひとつの素材として取り上げることで、各位の興味や趣向にあわせて随意に翫賞してもらうこと」を目的としたものである。よって取り上げる素材に比して、おどろくほどその内容はイデオロギッシュなものではない。国粋主義的な視点からそれを称揚するのでもなく、左派的な視点からそれを批判するのでもない。
それゆえにこそ、バランスよく多様な軍歌がちりばめられた本書は、まずもってその網羅的な資料集としてのハンディな価値を評価すべきなのだろう。
だが、ある意味で筆者の意図したとおりに、その資料集は私(=評者)の社会学的な問題関心を幾重にも刺激してやまないものであった。
以下、箇条書き的にいくつか感想を記してみたい。
まず本書を通して、軍歌というものの特徴を、一歩引いた目から改めてよく理解することができた。本書では書籍自体の内容と合わせて、動画共有サイトでの 視聴が勧められている。そこでの動画視聴から感じられたことは、やはり軍歌はともに歌うものなのだということであった。(そのことの良し悪しは別として) リズムを共有させて一体感を増すことで、統率がとりやすくなるのは明らかであろう。
この点について評者は、幕末から明治初期を描いた手塚治虫の名作『陽だまりの樹』において描かれている、急きょ集められた農民たちを統率するのに苦労していた指揮官が、いわゆる「農兵節」を歌わせることで、うまく統率できるようになったというエピソードを思い起こした。
次に感じたのは、その勇ましい歌詞において、「敵味方モチーフ」がほぼ共通して存在しているという点である。(当然といえば当然であるが)共に歌う我々 と、それに敵対する相手という二分法は、ほぼ各国の軍歌に共通するモチーフであり、この点でも、軍歌という音楽が、近代国民国家間の戦争とともに発達して きたジャンルであることが改めて思い知らされた。
しかし、ここからがより重要なのだが、戦争の世紀とも言われた20世紀を過ぎ、21世紀の今日において、こうした軍歌という存在に象徴された「敵味方二分法」的なコミュニケーションが消えうせたのかといえば、まったくそうではないだろう。
たとえば、戦争放棄をうたった日本国憲法下の戦後社会において、それはアニソン(とりわけ少年向けのそれ)に、受け継がれたといえるのではないだろう か。ヤマトしかり、ガンダムしかりだが、そのアップテンポなノリの良さと勇ましい歌詞という組み合わせに基づくアニソンというジャンルは、戦前の軍歌から の継続性の上に理解するべき文化なのではないかと思われる(実際に本書においても、軍歌を収集した代表的なインターネットサイトの中で、アニソンが同時に 紹介されている事例が掲載されている)。
そして、このアニソンというジャンルが、日本社会に特徴的な存在であるならば、他の社会では、どのように受け継がれているのか、という風に議論を展開す ることも可能だろう。具体的には、スポーツの応援歌などと比較検討することも興味深いし、社会主義圏と自由主義圏とでも事情が違ってくるだろう。
このように、幾重にも議論の広がりが導かれていくところが本書の最大の魅力であるといえる。
さらにここで筆を滑らせるならば、こうした国際社会的な深刻な問題点を、日常的で身近な文化的素材を切り口にして考えさせてくれる著作を出し続けている点において、出版元の社会評論社のスタンスもまた高い評価に値するものといえるだろう。
本ブログでも、過去に2度ほど同社の著作を評したことがあるが(伸井太一『ニセドイツ』、曽我誉旨生『時刻表世界史』)、いずれも同じようなスタンスに貫かれた魅力的な著作であった。
こうした著作群は、(失礼を承知で申し上げれば)決して爆発的なベストセラーになるようなものではないのだろうが、その一方で、「ロングテール」な熱狂的な読者を手堅く魅了するものでもあるだろう。
この点で、この書評のタイトルは、いわゆるマスメディア広告的な安い売り文句に見えて、実はそれなりの含意を持っている。
それは、先にも述べたとおり、帯文において動画共有サイトでの視聴が合わせて勧められていることと大きく関連するのだが、言うなれば、本書が「ソーシャルに楽しむ著作」、あるいは「ソーシャルメディア上のコミュニケーションを通して、より楽しむべき著作」ということだ。
本年のNHK大河ドラマ『平清盛』が、大多数には不評である一方で、一部においては、その複雑な設定について、ネットでその背景を調べたり意見交換した りといった、「ソーシャルな視聴の楽しみ」が広まっているといわれるが、まさにこれと似たような楽しみ方が、本書のような著作においては、特にあてはまる ことだろうと思う。
そうした「分かる人には分かる」ような「ソーシャルに楽しむ著作」が、今後も刊行されることを願ってやまない。
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