2012年6月29日金曜日

asahi shohyo 書評

宗教なんかこわくない! [著]橋本治

[評者]大澤真幸(社会学者)

[掲載] 2012年06月26日

表紙画像 著者:橋本治  出版社:筑摩書房 価格:¥ ---

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■オウム真理教の亡霊から離脱するには
  
 もうこの国にはいないのではないか? もう生きていないのではないか? そんな思いすら抱きかけていたオウム真理教の指名手配犯が、ここにきて相次いで逮捕された。
  まず平田信が、2011年があと数分で終わろうとしている大晦日(みそか)の深夜に自ら警察に出頭してきた。それから半年後、つまりこの6月に菊池直子と 高橋克也が逮捕された。しかも菊池と高橋の逮捕は、NHKがオウム事件を扱った力のこもった番組を放映したすぐ後、というタイミングであった。17年の時 を隔てて突然のように現れた指名手配犯は、どこか亡霊のように感じられる。
 過去から亡霊がやってくるのは、われわれがその過去に逢着(ほうちゃ く)した問題をほんとうには解決していないとき、乗り越えていないときである。われわれが過去に出会った難問を、解決できないままに封印しようとしている とき、その過去はわれわれのもとに亡霊を送り込んでくる。17年間、逃げ回っていたのは、3人の指名手配犯だけではない。われわれも、だ。われわれもま た、あの事件の衝撃から逃げていたのである。そして今、3人と一緒に、われわれもまた捕らえられた。オウム真理教事件に。
 執拗(しつよう)に回帰してくる亡霊をふりはらうには、ただ逃げていてはだめだ。逆に、われわれがついに最後まで突き抜けることができなかったあの事件の渦中に、自ら回帰していかなくてはならない。つまり、あのとき覚えた恐怖や不安を正確に再現しなくてはならない。
  実際、阪神淡路大震災の2カ月後に地下鉄サリン事件が起きた1995年という年は、異様な年であった。テレビの特番やワイドショーは、あの年の終わりまで 連日、ほとんど9割の時間をオウム関連の報道に費やした。そこに映し出される、オウムの出家者のコミュニティー。「サティアン」と彼らが呼んでいた直方体 の建物や、奇妙な「ヘッドギア」を付けて修行に励む信者たち。ときに、凶悪なテロリストであるはずの彼らが堂々とテレビに出演して、滔々(とうとう)と荒 唐無稽な論理を展開して反論を試みた。生放送の、日曜日のオウム特番がまさに終わろうとしているとき、信者のリーダーでマンジュシュリー・ミトラの宗教名 (ホーリーネーム)をもっていた村井秀夫が刺される(その日の夜のうちに死亡)というニュースが飛び込んできたときもあった。まるで、映画のような展開で あった。
 今は記憶している人も少なかろうが、私は、あの年の6月、羽田発函館行きの全日空機が病気療養中だった中年の銀行員によってハイジャッ クされた事件を思い出す。犯人はオウム信者を名乗り、透明な液体入りのビニール袋をサリン(ほんとうは水)だとして、そのおよそ1カ月ほど前に逮捕されて いた麻原彰晃の解放を要求してきた。結局、この男はオウムとは何の関係もない人物だった。何が彼をあんな無益な暴挙へと駆り立てたのか。事件が生み出し、 日本中に蔓延(まんえん)していた不穏な「空気」としか言いようがない。
    *
 さて、あの事件のもっていた不気味さ、われわれにい まだに取り憑(つ)いている不安を正確に論理化し、それを乗り越えるためには、事件が作り出した、今述べたような独特の雰囲気の中で書かれたもの、そうし た雰囲気に正対して考え抜かれたものを読むのが、最もよい。事件から長い時間を経て、いろいろな情報がわかってから冷静に事件を分析した書物も重要だが、 事件と同時進行的に、いわば事件と同期しつつ発せられた言葉には、特別な価値がある。その意味で私は、橋本治の『宗教なんかこわくない!』を薦めたい。刊 行されたのは1995年7月である(文庫版は1999年刊)。
 冒頭でいきなり、「これは、�オウム真理教事件�に関する本である」と宣言した上 で、橋本治は、宗教に対して負い目を感じている日本人に対して、ずばずばと明快な口調で自己流の宗教論や現代社会論を展開していく。橋本によれば、オウム 真理教は田中角栄信仰に似たところがある。無論、かつての田中角栄の位置に麻原彰晃が代入される。また事件を、バブル末期の社会意識と結びついたオタク予 備軍の犯罪であった、と喝破する。
 本書では、実にさまざまなことが語られているが、最終的なメッセージはシンプルである。「自分の頭で考えよ。 自分の頭で考えられないすきまに、宗教が入ってくる」。——なんだ、そんなことか、ならば簡単だ、と思ったら大間違いである。そう思っている人は、自分の 頭でぎりぎりまで考え尽くしたことがない人である。
 本書をきちんと読めば、「自分自身で考えるということ」がいかに困難なことであるかということ、しかしそれができなかったことの代償がいかに大きいかということ、これらのことを心底から理解することになるだろう。
  実は、オウム事件を離れても、本書は読みどころがたくさんある。私には、特に、最終章で説かれる仏教論がおもしろかった。橋本によれば、ゴータマ・ブッダ の言っていることは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」と同じである。仏教は、本来は思想であって宗教ではない。仏教の論理に従えば、ゴータマ・ブッダ こそ世界最初の真の死人、もはや転生しないという意味でほんとうの死人である(神の子が死んで復活することを主張するキリスト教と、人が完全に死に切るこ とを主張する仏教とを対照させることができるかもしれない)。
 橋本の考えでは、仏教が思想から宗教に転換するきっかけは、このゴータマ・ブッダ の死である。そして、宗教化を特に推進した大乗仏教は、ブッダの他に菩薩(ぼさつ)とか如来を登場させてわけがわからなくなるが、その一因は、大乗仏教が 地域の神を「菩薩」という形態で吸収したことにある。などなど、ユニークだが説得力のある仮説が次々と繰り出される。
 最後に、輪廻(りんね)転生を信じてしまった方が合理的かもしれない、といった提案もなされる。どうして合理的かは、本書を読んで確かめてもらいたい。
  こうした仮説や提案は、橋本による「自らの頭で考えること」の実例である。最終的には、橋本とともに、こう結論しなくてはなるまい。オウム的なものを根底 から乗り越えるには、自分自身で考える、ということしかない、と。自分自身で考え抜く術(すべ)を我がものにしたとき、われわれはやっと、オウムの亡霊か ら離脱することになるだろう。

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