2012年06月29日
『21世紀メディア論』水越 伸(放送大学教育振興会)
「メディア論テキストのニュー・スタンダード」
本書は、放送大学の大学院向けに書かれたものであり、私も今年度前期の大学院ゼミでの購読テキストに指定した。だがそのわかりやすさと内容の濃密さからして、一定レベル以上の大学であれば、読み応えのある学部テキストとしても使ってほしいと感じた。さて、その内容だが、まずもってバランスの良さという点が長所として挙げられるだろう。著者が旧来専門分野としていた、メディアの生成段階に関す る社会史的な記述に始まり、新たに普及の進むメディアや、あるいは日本社会における独特の問題点、さらに、メディアを考察する上で求められるべき理論的な 視座の検討にまで及ぶ。
その上で、近年著者が強い関心を寄せている、メディアリテラシーの実践的な取り組みに関する検討や紹介にも重点が置かれ、この先のメディア社会に対する提言も十分に含んだ内容となっている。
日本社会において、これほど多岐にわたる内容をバランスよく取り上げたメディア論テキストは、寡聞にしてほとんど存在しないといってよい。伊藤守編著 『よくわかるメディア・スタディーズ』(ミネルヴァ書房)も、本書を凌ぐ幅広い領域を取り上げている良書だが、本書は一人の著者によって一貫して書かれて いる点でも価値がある。
実際に講義を担当する教員の一人としても痛切に感じることだが、(あるいは、この領域に限らず近年のアカデミズム全般にも言えることだが)タコつぼ化の進行は本当に顕著で、総合的な視点を教え込むのに、本当に苦労する時代である。
メディアについて言えば、旧来からのマスコミ論だけでなく、新しいメディア(ケータイやインターネットなど)についても教えなければならないし、これからの時代を見据えるならば、机上の空論よりも、むしろ実践的な内容も織り込まなければと思いもする。
だが、大学というのは意外に時代への適応が遅いところであり、出版論、通信論、放送論といったように、それぞれには重要であるものの、個別化した講義の設定がなされる一方で、これらの俯瞰する総合的な視点を学ぶ機会がなかなか存在しなかった。
この点で、様々なメディアの動向を一つの生態系になぞらえてとらえようとする「メディアビオトープ」という著者の概念は、ユニークであると同時に、まさにこうした目的にかなったものと言えるだろう。
さらにこの「メディアビオトープ」という概念が、単なる分析のためだけでなく、望ましいメディア社会を構想していくために、実践的に用いられている点からもしても、今後の研究や実践に関する展開可能性を強く感じさせる良書だと言える。
強いて一点だけ述べるならば、この「メディアビオトープ」を繁茂させていくための原動力として取り上げられている「メディアリテラシー」や、あるいはそ の根底にある「メディア遊び」の実例について、いわゆるオタク文化やファン文化の事例が取り上げられなかったことが残念でならない。
著者は、「メディア遊び」を「メディアと人間の関係性を批判的にとらえ直し、新たな可能的様態を探る営み」(P171)と定義し、いくつかの事例を紹介 しているのだが、そのようなメッセージ性を持ったコンテンツの創造であったり、あるいは新たなコミュニケーション形態の発展については、日本社会では、ま さにオタク文化こそがその先鞭を担ってきたと言えるのではないだろうか(たとえば、既存のマスメディアとは違った流通経路としての「コミケ」や「インター ネット」、あるいはそこで新たに創造されてきた諸々のアニメやマンガ作品などを想起するとよい)。
しかしながら、この点を差し引いても、本書は、現在の日本におけるメディア論のテキストとして、これまでとは一線を画した、新しいスタンダードに位置付けられるものとして高い評価に値するものである。ぜひ幅広い読者層に、読んで頂きたい一冊である。
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