2010年02月15日
『キリストの身体—血と肉と愛の傷』岡田 温司(中公新書)
本書は、キリスト身体の表現という、その重要さにもかかわらず正面切って語られることの少ないテーマを取り上げることで、西洋思想の屋台骨に触れようとす るものである。単なるウェハース(=パン)がどうして聖体となり得るのか、キリストの傷口はなぜ右胸部にあるのか、美しいキリスト/醜いキリストとは何 か、ワインがキリストの血であるというのはどういうことか、など。ちょうど晩酌をやりながら各テーマを手繰るのも良いだろう。
誰もが気づくことだが、ナザレのイエスにまつわる諸伝承は、それが四大福音書であろうが使徒言行録であろうが、少年から青年への思春期についての 記述を欠いている。どの伝承もこの驚嘆すべき人物の青春の悩みを詳らかにしない。説話的な道具立て(十字架や、マグダラのマリアや、泣き崩れる聖母や、十 二使徒といった)のない生ける単体キリスト像は稀なのだが、キリスト教徒にとって決定的なアイコンの単体像/画が存在しないのもおかしなことだ。そうした 単体像が、もししかし現実に存在したら、それは激しく異端性を感じさせるのではないか。
ローマのサンタ・マリア・キアーヴェ教会にある「十字架を持ったキリスト」とはそうした想起につながる作品だ。 作品の出来自体は、しかしながら、さほど圧倒的なものとは言えない。ミケランジェロ作と伝えられるが、人心を打つ力の強弱においては、この超人の傑作群に かなり引けをとるだろう。けれども、このキリスト像には類を見ない重大な特徴がある。このような異様な作品が、ローマのど真ん中のキアーヴェ(=鍵)教会 に置かれていても良いのか?
陰茎を晒した救世主。この超人芸術家はご丁寧なことに、解剖学的な特徴(左側下位)も忠実に、タブーに属するこの作品を仕上げている。学説上はアト リビュートであって真作と完全に同定されないものだが、このテーマを彫る大胆さと勇気は弟子に求めるべくもない。よって、ミケランジェロ真作と言って差し 支えなかろうとの意見だ(「解剖学者がみたミケランジェロ」篠原治道、金沢医科大学出版局)。
こうしたテーマとなれば、岡田温司「フロイトのイタリア」(平凡社)が解答を与えてくれるかも知れない。フロイトは大変なイタリアファンであった。 旅先から妻に宛てた手紙はこの精神分析の始祖のイメージからは拍子抜けするくらい素朴で通俗的な内容であって、ブルクハルト的なカテゴリーによるイタリア 美術史の傑作をご丁寧に(と、いうことはこの国への旅行では各都市巡りを意味するのだが)訪れている。ユダヤ人であるが故に当然ローマへの訪問を長年躊 躇った。ミケランジェロの傑作「瀕死の奴隷」については詳細な分析を行っているこの性の専門家が、Santa Maria Chiave教会の奇怪な作品に言及していないのは残念であるが、フロイトは傑作が収蔵されている教会しか基本的には足を踏み入れないし、この時代には attribute作品が人口に膾炙していなかったのかも知れない。著者の次の著作に期待することにしよう。
著者あとがきにもある通り、本書は既刊の「処女懐胎」「マグダラのマリア」と合わせて三部作を構成しており、興味のある向きには合わせてお勧めする。
(官公庁営業部 林茂)
0 件のコメント:
コメントを投稿