2010年4月9日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年04月08日

『言葉と死 — 否定性の場所にかんするゼミナ−ル』ジョルジョ・アガンベン(筑摩書房)

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「アガンベンの力技」

 アガンベンが一九七九年から一九八〇年にかけた行ったセミナーの記録であるが、「そこで議論された考えと素材をわたしがだれにでも納得してもらえそうな かたちにまとめ直して提示したもの」(p.8)だそうである。しかしセミナーのかなり気軽な雰囲気と、活発な議論を背景として示されたアガンベンの思考の 軌跡は、意表をつくものである。

 ハイデガーは動物と人間の違いを、人間は死ぬことのできるものであると定義していたことに基づいて、アガンベンはハイデガーの示した「死へと先駆する」 存在である人間は、動物とは違ってすでに否定的なものをその内部に蔵していることを指摘する。これはハイデガーの哲学の基本であるから、それ自体は当然の ことだ。

 アガンベンのすごさは、それをヘーゲルの『精神現象学』の最初の「感覚的な確信」のところにでてくる「このもの」と結びつけたことだろう。ヘー ゲルは人間が知覚することの確実さ、「ほらここにあるこのもの、これほど確実なものはないだろう」というごく自然な確からしさを反駁する。「このもの」と は、違う場所においては違ったものを指すし、違った人によっても違うものを指すからだ。

 「今」は確実だろうといっても、昼のうちに「今」と書いておいて、それを夜になってみたら、今は昼ではなく、夜だろう。そこで明らかになるのは、「もっとも具体的な真理であるようにみえていたものがたんなる一般的な概念でしかない」(p.34)ということなのだ。

 もっとも自明で確実なものに思えたものが、自明でも確実でもなかったというこの経験をアガンベンは二つの方向に延ばしてみせる。一つはヘーゲルが すでに考えていた方向であり、それはアリストテレスが『形而上学』の第八巻で、実体として主語になりうるものは、具体的な個物しての「このもの」(トデ・ ティ)である語ったことにさかのぼるものである。

 このものはいかなる本質の定義よりも先に、具体的な個物として実体であるはずであったが、そのものはいかなる表現も拒むものにすぎないのであり、 これはギリシア語においては結局は冠詞の機能にまで縮減される。そこでアガンベンは古代から中世にいたる文法学者の冠詞の議論を跡づけることになる(これ はハイデガーの博士論文でもすでに部分的に考察されたことだった)。

 もう一つの方向は、「このもの」や「今」が言語学的にはシフターと呼ばれる特殊な機能をはたすものであることに注目するものである。「今」は語り 手と語る時に応じて、異なる意味をもつ。「ここ」も「わたし」もそうだ。ここには他の語では定義によって示される明確な「意味」のようなものが不在なので ある。

 どちらも言語のうちに潜む否定的なものの存在を明らかにするものであるとアガンベンは考える。この否定性は、それが書き付けられたときには、もは やその本来の意味を失うというところにある。「今」は発語した瞬間には確実なものでありながら、書き付けられた文字となったときには、すでに失われたもの である。この否定性を担うのは、文字ではなく、「それを発語する音声」(p.84)である。

 アガンベンはこの〈声〉が、形而上学の歴史のうちで見失われた重要な要素の一つだと考える。「音声の除去と意味の出現の間にあっての言語活動の生 起は、その存在論的・意味論的次元が中世の思想の中に出現するのを見たもう一つの〈声〉である」(p.92)というのだ。記号のうちでは見失われてしまう この〈声〉、否定性の刻印でありながら、そもそもそれなしでは意味も言語もありえなかったはずのこの〈声〉を、アガンベンが救いたいかのようである。アガ ンベンはこの目論見を「エティカ、あるいは声について」と名付けている(アガンベン『幼児期と歴史』、邦訳二ページ)。

 もちろんこの試みは、デリダの音声中心主義の批判に同調するところはありながらも、むしそれと正面から衝突する。そのためにデリダ批判の論拠は しっかりと用意されている。この書物では、ヘーゲル、ハイデガー、バタイユ、デリダへの批判の姿勢が顕著であることも、目立つところだ。

 現代のイタリアの詩人レオバルディの作品における「この」という用語の使い方の考察など、セミナーの参加者にも配慮したアガンベンのこの著書は、 力技で飛び跳ねるだけでなく、しっとりと落ち着いた考察も展開される。どれだけ思考に自由な冒険を許すか、その見極めがきわめて巧みな書物だと思う。「そ こまで行くか……」と思わず唸るところもあって、ぜひ一読を勧めたい。


【書誌情報】
■言葉と死 — 否定性の場所にかんするゼミナ−ル
■ジョルジョ・アガンベン
■上村忠男訳
■筑摩書房
■2009/11
■276p / 19cm / B6判
■ISBN 9784480842893
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■定価 3150円

○目次
ダーザインと死
否定性の起源の問題
"無"と"〜でない"
言葉—ダー‐ザイン、すなわち、"ダー"であること
否定性はダーザインにそれ自身の"ダー"からやってくる
無の場所の保持者としての人間
ヘーゲルとハイデガー
エレウシス
ヘーゲルと言い表しようのないもの
『精神現象学』の第一章における感覚的意識の清算〔ほか〕


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