2010年4月6日火曜日

asahi shohyo 書評

ケータイ世代が「軍事郵便」を読む [編]専修大学文学部日本近現代史ゼミナール

[掲載]週刊朝日2010年2月12日号

  • [評者]谷本束

■手紙がもたらす快感に近いインパクト

  アジア・太平洋戦争当時、戦地の兵士が家族や友人とやりとりした手紙は、一般郵便とは異なる「軍事郵便」という制度下で扱われた。この軍事郵便を研究する 専修大学文学部日本近現代史ゼミの学生たちが、書簡の分析や遺族へのインタビューなどを通して、兵士たちの実像や当時の社会のありようを明らかにしようと するものである。

 指導教官・新井勝紘教授が収集した七千通を越える書簡の中から取り上げたのは、二十三歳のときビルマで戦死した小泉博美さんが家族に出した八十八通と、沖縄戦に参戦し、後に復員した衣川賢太郎さんが知人にあてた四十通。

 内容はおそらく軍国的で、緊迫した戦場の様子を伝えるものだろうという学生たちの予想を裏切って、多くは拍子抜けするほど穏や かなもの。年若い小泉さんの手紙には、隊の日常や珍しいビルマの習俗、家族への愛情、気遣いなど温かい文章が続く。私たちと変わらぬごく普通の人々が、確 かに戦争に駆り出され命を落としたのだ、ということが突如現実として理解され始め、ぐさりと胸を突かれる。

 生まれて初めて軍事郵便に接した学生たちの驚きと興奮、様々なハードルを乗り越えて真実に迫る感動が実に素直に記されている。

 達筆な崩し字、変体仮名を苦労して読み進み、遺族を探し出すのもネットで一発検索とはいかず、地道な努力の連続。軍事郵便の企画展示に来場した戦争体験世代の予想外の怒りに遭って、自分とは違う歴史観に目を開くことも。

 ネット、ケータイの電子情報に比べ、手紙や人間(遺族や来場者)という"実体"がもたらすインパクトがいかに大きいか。ケータイ世代ならずとも、そこには快感に近いほどの驚きがある。

 将来、手紙は全部ケータイメールになるのかもしれぬ、と余計なことを考える。消去も改ざんも簡単ゆえに、メールは後の時代の史料とはなり得ないだろう。庶民の日々の思い──歴史の一番人間らしい部分が消えてなくなる、というのははなはだ残念ではある。

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