2008年9月16日火曜日

asahi shohyo 書評

生涯発達のダイナミクス—知の多様性 生きかたの可塑性 [著]鈴木忠

[掲載]2008年9月7日

  • [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)

■老いの衰えは経験と訓練で償えるか

 本書は、人間の生涯発達を、可塑性をキー概念として統合的に明らかにしようとする挑戦的な本である。

 第一のテーマは"老い"。知的能力は若いうちにできあがり、後は衰えるだけ、ではない。大人になっても、そして老いる過程でも 可塑的である。著者はまず、高齢者の知能は訓練で伸びるのかと問う。知能指数で示される一般的知能に限定すれば、訓練は加齢による衰えを抑えるほどの効果 を持たない。しかしその範囲を広げて、熟達化がものをいう実践的知能に着目すれば違う結論が得られる。著者はチェスプレーヤー調査などの先行研究を丹念に 追う。たしかに身体や脳の生理学的機能は年を取ることで不可避的に低下する。しかし、熟達化の過程で知能の衰えに対処するさまざまな新しいスキルや知恵を 手に入れることができる。「実践的知能」の獲得が衰えを補償するのである。それは、どう老いるのかを私たち自身がコントロールして、サクセスフルエイジン グ(上手に老いる)が可能なことを示唆する。

 第二のテーマは進化生物学との対話。遺伝的プログラムが個々の発達を決定づけてしまうとすれば、個体発達は人類の進化にとって 重要性を持たない。けれども発達が遺伝子だけに左右されるのではなく可塑性を持つとすれば、個体発達は自然選択(淘汰<とうた>)の仕組みの中で人類の進 化に影響を与えることになる。それはどういうプロセスを通じてなのだろう。

 生まれてから死に至るまでの「生涯発達」が、人類の進化の過程に、そして時代の社会文化的状況の中に位置づけられる。同時に発 達は、持って生まれた遺伝子型に支配される一方で、環境に対する私たち自身の能動的な働きかけによっても変異する。本書を読んでいると、こうしたスケール の大きな、そしてダイナミックな、発達をめぐる構図が見えてくる。心理学という学問の枠を超えた知的探求の所産といってよい。

 本書は専門書の範疇(はんちゅう)に入るが、門外漢にもわかりやすい。挑戦の名に値する、明晰(めいせき)で、おもしろい本である。

    ◇

すずき・ただし 60年生まれ。白百合女子大学教授。

表紙画像

生涯発達のダイナミクス

著者:鈴木 忠

出版社:東京大学出版会   価格:¥ 3,360

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