2008年9月2日火曜日

asahi shohyo 書評

史実を歩く [著]吉村昭

[掲載]週刊朝日2008年9月5日

  • [評者]温水ゆかり

■「原稿用紙を焼く」厳しさ

 戦史・歴史小説で知られる吉村昭氏(06年没)は、事実というピースで、歴史の真実を描くことにこだわった。当然ピース採集には膨大な時間と労力がかかる。いかにしてあの一行は生まれたのか?舞台裏を知って氏の人柄に触れる滋味エッセイ。

 小説だもの、お天気くらい想像力でいいと思うが、氏の小説観は許さない。脱獄王を描いた『破獄』では北海道警察史にあった"脱 走の日は大暴風雨"に疑問を持ち、反対の事実を突き止める。『桜田門外ノ変』で雪の止んだ時刻を文庫で訂正するのも同様。また薩摩藩士が英国人達を斬り捨 てた『生麦事件』では"馬上の人間に骨まで達する傷を負わせられるか"との疑念から、今度はそれを裏付ける剣術に行き着く(野太刀自顕流)。「原稿用紙を 焼く」の章の自己に対する厳しさには、この方にしてと、震え上がった。

 氏は著名人より歴史に重要な係わりを持つ人物を調べ上げて書くのを好んだ。秘匿の資料を出して盆栽いじりを始めた退職刑務官、 来訪の回数を律儀に数えていた長崎の図書館長。町場の研究者を「畏敬すべき市井の人」と書くとき、史実を歩くことはまた、無名の人々の営みに打たれる旅で あったことを知るのだ。

表紙画像

史実を歩く

著者:吉村 昭

出版社:文藝春秋   価格:¥ 560

0 件のコメント: