2008年9月25日木曜日

asahi shohyo 書評

ゲーテ『イタリア紀行』 磯崎新(下)

[掲載]2008年9月21日

■古典主義者の自分を自覚した突然の旅行

 20世紀中期に出発した私たちの世代は、近代主義者としてユートピアをめざした。18世紀の中期に出発した世代は、啓蒙(けいもう)主義者として古典主義をめざした。そのとき若年のゲーテは既に純正古典主義者を自任していた。

 ところが、迷いがでた。ゴシック聖堂の賛美をしたりした。女性関係もこんがらがった。ある日誰にも告げずに突然旅立つ。『イタリア紀行』はその旅の記録である。漫然とした観光旅行ではない。真の古典をみいだすために、意図的に道筋をえらんでいる。

 国境を越えるとすぐにパラディオの本を買いこみ、その実作と図面の違いなどまでも細かく観察している。フィレンツェに立ち寄ら なかったのは、ルネサンスはフェイクだと考えていたのではないか。そしてローマへ、更にナポリからシチリアまで南下する。建築物の遺跡だけでなく博物学、 地質学的観察に多くの記述をついやしている。ナポリ以南の岩石が鉱物のままの姿をみせる光景のなかに結晶した建築の痕跡こそが、真の古典の規範だと直観し たのだろう。

 噴火中のベスビオ山の溶岩流を見に行っている。さらには再発見されたばかりのペストゥム神殿にまで足をのばす。自然と建築が崇高の域にたかまっていることを実感しただろう。

 旅を経て、彼はあらためて古典主義者であることを自覚する。ワイマール時代に、彼は庭園の一隅に、立方体のうえに球体を置いただけの単純で明快な○□の「理性のモニュメント」をつくってあったことを誇りに思うのである。

 平松剛著『磯崎新の「都庁」』に、ゴシックの塔のような現都庁舎案にたいして、私が○×△□だけの提案をして、当然のことなが ら敗北した挿話がある。その遠い理由を2世紀前の本のなかにみいだしていただけるかも知れない。ゲーテのは小さい石造のモニュメントであった。私の案は紙 のうえにしかない。(建築家)

    ◇

 戦前に出た改造社版の訳に補正を加え42年に岩波文庫から刊行。現在も同文庫から上中下3巻が出ている。

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