2008年9月16日火曜日

asahi shohyo 書評

博物館の裏庭で [著]ケイト・アトキンソン

[掲載]2008年9月14日

  • [評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■見えないものも見える力強い語り

  1行目を読んだとたん、これは正真正銘「偉大なる英国小説」の伝統をひく小説だ!と胸がときめいた。ヨークの町のペットショップを起点に、一族の壮大な サーガがこんな風に語られだす。「あたしは存在している! 玄関ホールをへだてた部屋のマントルピースにのっている置き時計が、深夜十二時を打つのと同時 に芽生えるのだ」

 見えないはずのことも覗(のぞ)き見て語る「ルビー・レノックス」は、自分が受胎する瞬間から語り起こす。さて、真夜中の時計 と受胎とくれば、英国小説の父のひとりローレンス・スターンによる歴史的奇書『トリストラム・シャンディ』が下敷きにあるのは言うまでもない。この語り手 は、大時計のねじを巻く父の習慣、自らが懐胎される瞬間、いや、父や叔父の来し方までを見てきたように語ってしまう。ところが、ルビーはさらにパワフル だ。母親、祖母、曽祖母に遡(さかのぼ)る4代のことを細部まで鮮やかに描きだすうえ、型破りのスターンでさえ、知りえぬことを語る際には多少の「伏線」 を張ったものだが、アトキンソンはそんな些細(ささい)な障壁はないがごとく跳びこえていく(?!)。

 2度の世界大戦や病災、望まぬ結婚や浮気や消息不明があり、したたかな女たちの選択があり、英国で女性小説家の先駆けとなった J・オースティン、ブロンテ姉妹、G・エリオットらの直系というべき題材や筆運びを存分に堪能させる。そしてこの力強い語りはじつに緻密(ちみつ)でもあ るのだ。各章の合間に、過去のフラッシュバックが「補注」として挟まれ、妙(たえ)なる和音を奏でる。形見の銀のロケットが、1個のガラス釦(ボタン) が、1葉の写真が、人から人へ渡って新たな物語を生みだす。

 ルビーにはなんでも見えるようだが、「全知の神の視点」かというとそうでないところがこの小説の最大のミソだ。その視野の偏りというか歪(ゆが)みが、本書に多くのサプライズと愉悦をもたらしている。

 この滑稽(こっけい)な年代記には、だが数々の喪失の哀(かな)しみが深く遠く谺(こだま)している。だからこそ、そのユーモアが読む者の胸に切々としみいるのだ。

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Behind the Scenes at the Museum

表紙画像

博物館の裏庭で (Shinchosha CREST BOOKS)

著者:ケイト・アトキンソン

出版社:新潮社   価格:¥ 2,625

表紙画像

トリストラム・シャンディ (研究社小英文叢書 (264))

著者:Laurence Sterne・朱牟田 夏雄

出版社:研究社出版   価格:¥ 1,121

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