脳のなかの天使 [著]V・S・ラマチャンドラン
[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学) [掲載]2013年06月02日 [ジャンル]科学・生物
■なぜ美を感じる? ヒトの特性に迫る
ルリボシカミキリの青を、私は限りなく美しいと感じる が、ルリボシカミキリ自身は、仲間の背中の模様を、私が感じるように感じてはいない。おそらく彼らにはそれは青色ですらない(虫は色彩をもたない)。美と は一体何だろうか。この思考実験からわかるように、美は客観的な存在ではなく、私たちの心の作用としてある。美術家の森村泰昌は、芸術の本質は「まねぶ」 ことにあるといった。まねすることは学ぶこと。
意外なことに、脳科学の進展は、芸術家の直感と極めて近いところに焦点を結びつつある。本書は、ベストセラー『脳のなかの幽霊』の著者が、美の起源とヒトの脳の特性を縦横無尽に論じた最新作。読まずにはいられない。
美を感じることは、生物学的に根拠がある。生存に必要なことを自然界から抽出する操作として。青に美を感じるのは、海や大気の色だから。ダイヤモンドの輝きが美しいのは、水の反射を想起させるから。
その抽出方法を、著者は美の原理を順に挙げ論じていく。ひとつは単離。複雑なものから輪郭、色、形状、動きなど少数の要素を取り出してみせること。もうひ とつはピークシフト。単離されたものがもつベクトルをさらに強めること。ラスコーの壁画はなぜ忘れがたいほど美しいのか。バイソンは輪郭線だけで表現され (単離)、小さな頭と大きな背の盛り上がりが見事に誇張されている(ピークシフト)から。ピカソの絵が破調に見えて、なおそこに美があるのも、それが天才 による極端な単離とピークシフトだから。
ではなぜヒトは自然からことさら美を抽出する必要があったのか。進化の光を当てると見えてくる。ここか らが本書の核心部分。それはある光景を思い浮かべるとき、実際にそ れを見ているのと同じ体験が可能だから。バーチャルリアリティーによってリハーサルできることがリアリティーと直面したときの準備を与え得るから。
著者はここに、近年の脳科学の最大の発見、ミラーニューロンを結びつける。この神経細胞は特定の動作をしているとき活性化されるだけでなく、その動作を他 の個体が行っているときも同じように活性化する。いわば「まねぶ」の回路。この回路を脳の他のしくみと連携させたおかげで、ヒトは遺伝子の束縛から脱し、 サルと袂(たもと)を分かって短期間のうちに文化と文明を築き得た。
米国では『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の著者D・ホフスタッターの新著『Surfaces and Essences』が評判だ。テーマはアナロジー能力がヒトをヒトたらしめたこと。まねぶ意義がにわかに注目を集めているのである。
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山下篤子訳、角川書店・1995円/V.S.Ramachandran 神経科学者。カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授及び所長。ソーク研究所兼任教授。共著に『脳のなかの幽霊』、著書に『脳のなかの幽霊、ふたたび』など。
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