2013年6月3日月曜日

asahi shohyo 書評

この甲斐性なし!と言われるとツラい [著] 長野伸江

[評者]市川真人(文芸批評家・早稲田大学准教授)

[掲載] 2013年05月31日

表紙画像 著者:長野伸江  出版社:光文社 価格:¥ 798

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■「いい悪口」を育てるのが文化 

 ヘイトスピーチ(憎悪表現)が、鳴りやまない。
 バイオレンスを売りにしたドラマでもコミックでもなく、全国紙の新聞記事に(それもテレビの番組表や連載小説ですらない欄に)、引用とはいえ「殺せ」だの「消えろ」だのの単語がこうもぽろぽろ出てくることに、読む側としてはそろそろ飽きたい頃合いだろう。
  けれども、肝心の排斥デモがあいかわらずだし、動画サイトに立ち寄れば主催者や通行人らが撮影したとおぼしき映像がこれでもかというほどあって、やっぱり 「死ね」だの「出て行け」だのといった言葉が繰り返されているのだから、それらを批判する記事も当然、新聞や雑誌に載り続ける。結果、語彙(ごい)に乏し く表現の貧しい憎悪の表現が、うんざりするほど2013年の日本語に蔓延(まんえん)するのだった。
 そのような語彙の乏しさは、このところ問題 になっている、韓国を対象にした右翼的な排斥デモやネット上の発言ばかりの話ではない。たとえば、2012年は反原発デモが数多く行われていたが、そうし たデモも、とくに人数が少なくなってくると景気づけなのか、「(官邸から)消えろ」だの「倒せ」といった叫びが聞こえるようになっていた。なかには、首相 を名指して「死ね」と叫ぶ声もあった。もうずいぶん見なくなったが、かつて大学で配られたアジビラも、目立つ見出しには一定の紋切り型(「〜を打倒せ よ!」のような)が多用されていた。それもまた、語彙の乏しい憎悪の表現のひとつであるだろう。
 右翼と左翼(という分割もこの場合どうかと思う が)をごっちゃにするな、と両方から怒られそうだが、その両者に限ったことではない。候補者名をただ連呼する選挙カーも"表現の貧しい"もののひとつだ し、ネット上の匿名掲示板や動画サイトに投稿される「ワロタ」のようなコメントも文脈がないと"語彙に乏しく"も見える。けれども、とりわけ憎悪と敵意を 伴う語彙の乏しさは、口にする側の極端な結論があらかじめ出ているぶんだけ、貧しさをいや増して見せずにいない。
    *
 フランスの 歴史に残る文学者たちの争うさまを描いた『罵倒文学史』(アンヌ・ボケル+エティエンヌ・ケルン著、石橋正孝訳、東洋書林)によれば、「十九世紀の若き作 者たちがこぞって熱烈に憧れたあの文芸の天空を目指して、作家が名誉の階梯をよじ登る原動力となったもの」もまた、憎悪や敵意だという。同書は『悪の華』 の作者ボードレールを引用する。「まことに、憎悪とは貴重な飲み物、ボルジア家の毒薬よりも高価な毒薬である、——というのもそれは、われわれの血、われ われの健康、われわれの睡眠、われわれの愛の三分の二をもって作られているのだから!」と。あるいは、『居酒屋』で知られるエミール・ゾラを引用する。 「憎悪は神聖である。それは、強靱にして強力な心臓の憤りである」
 憎悪をめぐる彼らの文章がすでにそうであるように、たとえ憎悪や敵意であって も(そのように執着を燃やす感情であるからこそ)、そこに籠(こ)められた情念が言葉を昇華させてゆくことは、たしかにある。人種や国籍に基づく差別が人 道的に好ましからざるものであることはもちろん、憎悪も敵意もないに越したことはないと、ボードレールやゾラのようでない僕は思ってしまうけれども、敵も 味方もしばし陶然と聞き惚(ほ)れるような罵倒の見事さが、話し合いではとうてい解決できない感情的すぎる敵意そのものを消し去ってしまうこともあるかも しれない。たとえば、19世紀ロマン派の詩人で、政治家としての立場をころころと変えるアルフォンス・ド・ラマルティーヌを批判して、高踏派の詩人テオ ドール・ド・バンヴィルは、こんな詩を送ったという。
 「ラマルティーヌ、豊饒(ほうじょう)な芸術家よ、/王党派の君、/ブルボン派の君、オル レアン派の君、/立憲主義者の君、立憲王政派の君、進歩派の君、そして大の改良主義者の君を見てきたが、[……]/これから先まだ、何色の君を/見ること になっていたことか、/もしも虚無が黒色をしていなかったとしたら?」(前掲書内の引用訳より)
 ああだこうだと考えて、最後を"虚無の黒色"で 締めると考えついたときのバンヴィルのほくそえみが見えるような詩だが、そんな言葉がラマルティーヌを「谷間で良識派の作品を読んで過ごす日々に憧れ」る 心持ちに改心させたと考えるのは、けっしてロマンチックな夢想ばかりではないだろう。ビートたけしだって、『悪口の技術』(新潮文庫)という著書のなか で、「外交だけじゃない。経済の交渉事でも、女を口説くんでも、どれだけうまく悪口を言えるか、全てはそこにかかってる」と言っている。
 とはい え、罵倒や悪口も一朝一夕に巧みになるものではない。国連の社会権規約委員会は「従軍慰安婦をおとしめる」ヘイトスピーチについて「公衆を教育し、憎悪表 現や汚名を着せる表現を防ぐ」ことを求めたが、罵倒にも教育が欠けているから、「死ね」だの「殺せ」だのといった、感情と行為が直結した語彙ばかりが漂っ てしまうのだ。
    *
 それらと同じく小学生でも知っているような悪口でも、もっと歴史と伝統のある言葉もある——というところで今 回の標題作、長野伸江『この甲斐性なし!と言われるとツラい』(光文社新書)に話は移る。「相手をことばで攻撃するときには、より大きな笑い声を誘うこと ばがすぐれた武器になるのだ」と「まえがき」に書く本書は、悪態として機能する言葉のなかに仕組まれた笑いのツボや、そういう言葉を武器に攻撃してくる人 たちを笑ってやる方法を探そうとする。
 たとえば「馬鹿野郎」という罵声は、「『お前は馬鹿だ』と頭から決め付けることばであり、より高圧的」 だ。だからその言葉は、身分によって使用の自由度が大きく違っていたという。逆に言えば、「『「馬鹿野郎』のひと言を言えば、それだけで上の立場の人間ら しくなれる」のだ。本書でもとりあげられている昭和の宰相・吉田茂の「バカヤロー」発言が(他の議員たちのあいだでもしばしば飛び交っていたというのに) ついに解散まで至ったのは、今からするとちょっとオーバーな気がするが、現実の権力関係がある首相と一議員のあいだだったからこそ、吉田茂の言葉のマウン ティングが、言われた側の気持ちを逆撫(な)でしたのかもしれぬ。反対に、ザ・ドリフターズ・荒井注の「なんだ、バカヤロー!」がウケたのは、出来の悪い 役の彼が逆ギレしたところに、上の立場になれっこないのになろうとするコミカルさとペーソスがあった、ということだろう。
 親愛の情にも強い否定 に使える「馬鹿野郎」によって「日本人は自尊心を保ってきた」のだと長野さんは書く。同書が例に挙げる、栃木県足利市の最勝寺での悪態祭は、大晦日(みそ か)の夜に人々が「馬鹿野郎」と叫びながら参道を歩くという奇祭だし、京都・祇園の八坂神社でも、たがいに顔の見えない状態で「お前は三が日にモチが喉 (のど)に詰まって葬式になるぜ」的な思いつきの悪態を投げ合う祭りもあったという(同じく悪態祭について記述した山本幸司『〈悪口〉という文化』〈平凡 社〉によれば、同様の風習はイヌイットやアフリカの部族法にもあって、どちらももともと紛争解決や実力行使の抑制として機能していたそうだ)。
  「馬鹿野郎」だけではない。『この甲斐性(かいしょう)なし!と言われるとツラい』では、「大根足」も「甲斐性なし」も「泥棒猫」も、伝統を持つさまざま な悪罵が、"過去どのように用いられてきたか""そもそも由来はどのあたりなのか"などといった歴史的な考察と引用とともに挙げられてゆく。「怒りっぽい 神様の機嫌をとるために笑いの神事をハッテンさせてきた歴史があり、ことばの武器を人々の幸福を引き寄せる道具として用いることもしてきた」、そんな日本 の足跡は、意外なほどにおもしろい。
 『罵倒文学史』には、先に引用した以外にも、『女の一生』などを著した文豪ギ・ド・モーパッサンにあてつけた、同時代の小説家レオン・ブロワによる、こんな皮肉も引用されている。
  「この享楽家の完璧な愚かさは、ぽかんとした雌牛、ないしは小便をしている犬のような目にとりわけはっきりと表れており、それは上瞼の下に溺れ、平手打ち を百万回食らわせてやっても引き合わない白痴めいた無遠慮さで人を見る。[……]おまけに、彼の虚栄心は彼の外見に見合っている。ヴィリエ通りの彼の邸宅 のインテリアときたら、スウェーデンの歯医者か、競馬場の番人のような趣味だ。[……]ありゃ、カリブの女衒(ぜげん)のアパルトマンですな、と観察眼に 優れたある人がいった」
 モーパッサンに対してはもちろんのこと、スウェーデン人にも歯医者にも、競馬場の番人にも、カリブにも女衒にも失礼この うえない(もしかしたら、雌牛や犬だって怒るかもしれない)けれど、雌牛や小便をしている犬に対して、そしてモーパッサンに対しての鋭い視線がなければ、 こうは書けない。「馬鹿な悪口ではなく、センスのいい悪口で逆襲できるか」「いい悪口は頭を使う」とは『悪口の技術』でのビートたけしの言葉だが、そうし た鋭さや、それを育てるものこそが、文化であることは言うまでもない。

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