2013年6月10日月曜日

asahi shohyo 書評

〈遊ぶ〉シュルレアリスム [著]巖谷國士

[文]北澤憲昭(美術評論家)  [掲載]2013年06月02日

岡上淑子《招待》 (C)Toshiko Okanoue,2013 拡大画像を見る
岡上淑子《招待》 (C)Toshiko Okanoue,2013

表紙画像 著者:巖谷國士  出版社:平凡社 価格:¥ 1,680

 シュルレアリスム研究の泰斗が、「遊ぶ」をキーワードに、シュルレアリスムをやさしく解説した一冊である。
 機械の操作部分に、設計段階で設けられる隙間を「遊び」と呼ぶ。隙間が必要なのは機械を順調に作動させるためだ。寸分の隙もない仕組みでは、操作する人間の無意識の動作がそのまま機械に伝わり、事故につながりかねないのである。
 合理性に貫かれているはずの機械操作に無意識の次元が入り込んでくるという事実は興味深い。誰も人間は不合理なものを精神に抱え込んでいるから、合理性に徹することができないのだ。
  岡本太郎は『今日の芸術』のなかで「すべての人が描かなければならない」と述べているが、この主張は、描くことと精神の自由とが相互的に深化してゆくとい う考えにもとづいている。精神は、描くことを通して、不合理性を恐れることのない全面的活動状態へ入ってゆくという発想だ。すなわち人生における「遊び」 の効用である。
 デュシャン、エルンスト、マン・レイらのオブジェやコラージュを眺めていると、日常生活にまつわる合理性ばかりか、造型(ぞうけ い)や主題にまつわる合理性さえもはぐらかす不逞(ふてい)な遊び心が感じられる。遊ぶことで彼らは、合理主義の支配する世界に隙間を造りだそうとしてい るのだ、無意識の深淵(しんえん)へと通ずる不穏な隙間を。
 著者はテキストに、こうしるしている。シュルレアリストたちは「広義の遊び」に「真の人生」の萌(きざ)しを見ていたのかもしれない、と。
    ◇
 巖谷國士著、平凡社・1680円

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著者:岡本太郎/ 出版社:光文社/ 価格:¥520/ 発売時期: 1999年03月

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