2011年12月27日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年12月27日

『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話−知的現場主義の就職活動』沢田健太(ソフトバンク新書)

大学キャリアセンターのぶっちゃけ話−知的現場主義の就職活動 →bookwebで購入

 正直言って、なんで就職活動に、これだけの時間とエネルギーを費やさなければならないのかわからない。しかし、そうせざるをえない現実は、すこしわか る。家庭教育と学校教育が、社会に出て行くために充分でないからだ。ある外食産業の社長が言っていたのは、「挨拶と手が洗えればいいのだが、それができな いので、社員教育に金と時間をかける」ということだった。その外食産業は、有名な「ブラック企業」のひとつだった。

 家庭はともかく、大学では本書でいっている基本的なことはできる。講義科目では、授業の最後で「今日学んだことと感想」を書かせればいい。講読科目で は、前もって訳文の添付ファイルをメールで送らせばいいし、授業では音読させて日本語になっていないことを確認させればいい。演習科目では、配付資料のつ くり方、コピーのとり方、プレゼンテーションの仕方を教えればいい。学生のメールアドレスを見ると、笑っちゃうものがある。友達同士のやり取りだけで、 「大人」とのやり取りを想定していないからだ。大学の先生とのメールのやり取りは、最初の「大人」とのやり取りになる。著者のいう「就活不要論に私は反対 する」で書かれていることは、要するに家庭や学校でできていないことを就活でするということのようだ。そして、それを「支援」するのがキャリアセンターと いうことだが、そこに問題があるので本書のようなものが書かれることになる。

 著者の「正体をすっかり明かすと各方面に迷惑がかかる」ために、「ぎりぎりまで迷ってペンネームとした」「内部批判と改革の視点」は、最終章でつぎのように整理されている。

・キャリアセンターのキャリア(経歴)は、それこそ少子化なのに大学生数増というむりやりな大学の生き残り策のために、突貫工事で作られてきた。だから企 業社会の要請に対する「行き過ぎた適応主義」をためらいなく受け入れてしまったところがあるし、専門人材の養成システムもないままだ。
・しかも、就職課時代に唯一と言っていい武器だった企業からの求人票を、安易にウェブ化して使いづらくしてしまった。学生の個別相談でも、真に身のあるア ドバイスはできなくて、無難に事が済むほうばかりを見ている嫌いがある。データ量ばかりを増やし、サービスの質を落としてしまった。
・就職率、就職実績の操作はもっての外(ほか)だ。リアルな厳しさを公開し始めた早稲田大学に続く他大学が待たれる。
・一方で、就職ナビサイトがもたらした採用試験応募者の爆発的増加に、企業の人事部も振りまわされている。とはいえ、当分、不況続きの買い手市場と見こんでか、採用活動の効率化優先で、ポテンシャルのある学生をじっくりみるという態度が消えてきている。
・ショーイベント化する企業説明会に、人事マンが口にするその場しのぎのスマートなきれい事。騙される大学生も堕ちたものだが、正面からツッコミを入れら れないキャリアセンター職員も情けない。「学歴」や「個性」といったマジックワードをあらためて捉え直し、現実を踏まえた上で教育関係者としての言葉を取 り戻さねばならない。
・大学生の学力低下と幼稚化に目を背けてはいけない。学部教育の改革に期待したいが、キャリア教育においても働く上で基礎となるスキルと知力の育成プログ ラムを開発すべきである。同時に、現在行われている就職活動も、考え方と工夫次第で、学生を大人に成長させる格好の機会になり得ると心得たい。
・一方で、学生の中にわずかながらアンチ大企業や中小企業志向といった、新しい仕事観の芽も出てきている。それらの落とし穴を教えつつ、学生が望む方向性には伴走していくべきだろう。
・保護者とどう向き合い、なにを提供すべきかは、キャリアセンターの目の前にある喫緊の課題だ。親御さんたちの不安を解消し、就職活動生にとっての戦力となってもらうべく、大胆かつ誠実な言葉を紡いでいく時期にある。

 そして、最後に著者はつぎのように述べている。「就職問題にスパッとした解決策はない。が、まだまだやり方はある」。「焦らず手を抜かず、やれることをやっていけ」。「自分にも学生にも言い聞かせている処世術だ」。

 日々学生と接している者として、すこしは就職活動の現実を知って、学生の卒業後の姿を想像しながら授業に臨みたいと思う。それにしても、就職活動のため授業に出ることができない、という学生にどう対処していいかわからない!

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