2011年12月21日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年12月18日

『小説の方法 ポストモダン文学講義』真鍋正宏(萌書房)

小説の方法 ポストモダン文学講義 →bookwebで購入

「読んで楽しい文学理論書」

 文学の理論書というと、堅くて、難しいことが書いてあって、睡眠導入剤にはうってつけだが(失礼!)一般の読者が読んでも面白くないと思われがちであ る。高校生に文学を教えている手前、そのような本も結構読むのだが、真鍋正宏の『小説の方法』は面白く、楽しい。種々の理論も紹介されているし、真面目な 理論書なのだが、一冊の小説を読むように一気に読めてしまう。
 真鍋は序章で読書の意義を「文学によって、体験しえない超世界を疑似体験し、想像力を鍛えるというような効用を挙げることができよう。」と述べている。 これは少し前までは当然のことであって、誰でもそう考えていたのではないだろうか。しかし、コンピューターの発達によって、多くの人がそこから情報を得る ようになり、映像文化が私たちの視覚を席巻した今、当たり前の読書の意義が忘れられてきているように思える。

 この作品は第一部が「小説を読む楽しみ」、第二部が「小説を書く楽しみ」となっている。「楽しみ」などという語を使うところが、理論書らしくな く、誘われる。まずは「テクスト」の概念について説明がある。「テクストは、書かれただけでは存在しえず、読者に読まれることによって、初めてこの世に産 声を上げるものと考えるのである。」この後主に西洋を中心とした文学者の理論が紹介されるのだが、全ては私たちの「読み方」へのアドバイスであり、「楽し み方」のヒントとなっている。

 結局の所、私たちは作家が明確な形として書き上げた一つの「作品」を理解しようと読むのではなく、作家がたたき台として提出した「作品」未然のも のを、私たちが読むことによって完成させるのである。「読む」という行為無しに文学作品は完成しない。幾通りもの読みがあれば、幾通りもの作品が現出す る。読者は受動的に作品と関わるのではなく、能動的に作品を完成させる存在となる。ここに読む楽しみが現れてくる。

 第二部では、小説の種々の要素—ジャンル、時間、人物造形等についての解説がある。第一部同様、一般読者が持っている読書行為に対する概念を変え てくれるような、西欧の文学理論が紐解かれる。ここでも強調されることは「想像力」の問題である。映像文化に対抗するために、小説は「想像力を楽しむ部分 を拡張すべき」であると述べ、「小説は、想像力を楽しむ分野であり、決して映像化できないものなのだ」と断言する。ヒットした小説の映画化が小説ほど面白 くなかった、という例は枚挙に暇がないのだから、うなずける。

 この一冊が文学理論書であるのにもかかわらず面白いのは、大学での講義を元にしていることや、真鍋が西洋の文学理論書を原書ではなく翻訳で読んで いることにも理由の一端はあるだろう。だが、それよりも、自己の想像力を使用する力が衰えてきている現代人に、想像することの楽しさを再認識させてくれて くれる事が大きい。さらに、一部の専門家だけが読んで理解するであろう「文学理論」なるものを、分かりやすい言葉で説明し、一般読者と文学研究者との溝を 埋めてくれたことも、重要な要素であるに違いない。


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