2011年12月4日日曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年11月30日

『ラーメンと愛国』速水健朗(講談社現代新書)

ラーメンと愛国 →bookwebで購入

 ラーメン屋でラーメンを食べることがない私にとっても、昨今のラーメン屋店主にみられるあの妙な職人気質は、メディアを通して知られるところである。
 『ラーメンと愛国』、このタイトルから直ちに頭に浮かんだのは、本書において�作務衣系�と呼ばれるあの手の店だった。
 「ラーメン」ではなく「麺屋・麺処」などと称し、画数の多い漢字を多用した屋号や、それを記した作務衣や黒Tシャツといったユニフォーム、相田 みつを風手書き文字で掲げられたメニュー、もちろん肝心のラーメンも、スープ・麺・具材・食べ方にいたるまでがこだわりぬかれた入魂の一品……。
 あの妙にナショナリスティックな装い、かねてから気になっていたのだ。ラーメンにも、ラーメン屋にもまったくかかわり合いのない私が本書を手に取ったゆえんである。

 脱サラしたおじさんが町の片隅で細々と営む……といったラーメン屋のイメージはもはや遠い過去のもの。就職難のこの世の中で、一から店を築きあげ ようとする若者がああしたスタイルをとるのは、いわゆるヤンキー文化の傍流なのだろう、くらいに認識していたのだが、本書はその�作務衣系�出現のカラク リを解き明かしてくれている。
 日本にラーメンがもたらされてから、�作務衣系�にいたるまでの、日本人とラーメンのたどった道には、都市問題や国土開発、産業構造の移りかわり、メディア戦略の加速化等々が、複雑に絡み合い横たわっていたのだ。

 戦後の闇市の支那そば屋台に連なる行列から、家で手軽に作れる支那そば、というアイデアを得た日清食品創業者・安藤百福の「チキンラーメン」開発 のエピソードから本書ははじまる。都市部で増加した単身者の食生活を支えたラーメン。ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の舞台であるラーメン屋「幸楽」にみら れる親子三世代の幸福像の変遷。横浜のラーメン博物館が採用した古き良き時代・昭和三〇年代への郷愁と結びつく食べ物としてのラーメン。地方の観光資源と して開発されたご当地ラーメン。九〇年代のフード番組やリアリティーショーがとりあげたラーメンとラーメン店……。
 さまざまな視点によって、ラーメンが日本の国民食となっていった経緯が読み解かれてゆく、ラーメンをめぐる日本戦後史というべき一冊である。

 その冒頭、私が惹きつけられたのは、片岡義男の「スパゲティナポリタン体験」についての記述である。片岡がはじめてスパゲティナポリタンを食べたのは彼が中学生のとき、日本が進駐軍の占領下から解放された頃のことだった。

 片岡は、この食べものから奇妙な時代が到来したことを感じとっている。それは、「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」が 終わったあとにやってきた、アメリカと日本が奇妙に交わった感覚だったという。これは単に、日本がアメリカ化したことを示しているわけではない。由来はア メリカでも、それを日本流に、正統派ではない形で独自の変化を加えてしまう。そんな時代の到来を感じとったのだ。いまの感覚で言えば、グローバリゼーショ ンの日本的解釈、グローバリゼーションのローカライゼーションといった感覚に違いない。

 「ラーメン」をめぐる戦後史に「スパゲティナポリタン」が持ち出されるのは唐突だし、片岡義男という人も「ラーメン」のイメージからはほど遠い。 しかし本書が、片岡義男がスパゲティナポリタンを通じて見いだそうとしたアメリカへの興味をめぐる論考『ナポリへの道』の「ラーメン版であると言ってよ い」と著者が書くように、このふたつの料理(ともに戦後、子どもに人気のあるメニューの代表だった)の普及には、アメリカの小麦戦略が深く関わっていた。
 戦後、「栄養改善」の名のもとにパン食が過剰に奨励されたが、その原料たる小麦は、これを大量にもてあましていたアメリカから買ったものだった。アメリ カの「余剰農産物処理法」によって、日本政府は買い入れた農産物を民間に売って得た金を復興資金として使うことができたのである。

 これまで、ラーメンやスパゲティナポリタンが、マクドナルドに代表される、食における文化帝国主義の産物であるとみなされることはあまりなかったとして、著者はこうつづける。

 そもそも、それぞれイタリア、中国を連想させる食べ物として偽装されているので、誰もアメリカ化とそれらが結びついているとは 考えられないのである。だが、このふたつの料理の普及が、アメリカの小麦輸出政策を背景に持ったものであり、「イタリア」「中国」といったナショナルイ メージを偽装して日本の食文化を浸食してきたものと考えると、直接的にアメリカのイメージを帯たハンバーガーやコカ・コーラやジーンズやハリウッド映画以 上に、よほど巧妙なアメリカ化をもたらしていると言えるのではないか。

 イタリア料理が浸透するにつれて、昔ながらの喫茶店や洋食屋で食される懐かしいものとなってしまったナポリタン。一方ラーメンは進化し続け、食と いう概念では包括しきれない一大ジャンルを形成した。そんななか、グローバル化の波にさらされた九〇年代末に出現した�作務衣系�は、「グローバリゼー ションのローカライゼーション」の、もっとも端的な表出なのである。


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