2011年12月30日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年12月28日

哲学の歴史 03 神との対話』中川純男編(中央公論新社)

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 中公版『哲学の歴史』の第三巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。

 本巻はキリスト教神学の基礎となった2世紀のアレクサンドリアの哲学からルネサンス直前の14世紀のマイスター・エックハルトまでの1400年間 をあつかう。中世というくくりになるが、年代的に長大なだけでなく、ギリシア哲学を継承し西欧近代に伝えたビザンチンとイスラムの哲学、さらにはユダヤ思 想までカバーしている。これだけ多彩な思想の営みを一冊に詰めこむのは無茶であるが、従来の哲学史だとまったく無視するか、ふれても普遍論争に言及する程 度だったことを考えると、中世の巻を設けてくれただけでもありがたい。

 このシリーズは編集がゆるく執筆者を選んだらまかせきりという印象があるが、本巻はその傾向が特に強く出たように思う。後半ではラテン・アヴェロ エス主義が台風の目となり、トマス・アクィナスやボナヴェントラ、ヘンリクスらをあつかった章ではラテン・アヴェロエス主義が仮想の論敵として大きく取り あげられているが、当のラテン・アヴェロエス主義を論じた章ではラテン・アヴェロエス主義などというものは存在しない、実態はソルボンヌ内部の派閥争い だったとしているのだ。執筆者間の連絡がなんとかならなかったのだろうか。

 他にも不満はあるが、一般向けの本がすくない分野だけに貴重な本であることは間違いない。

「� アレクサンドリアの神学」

 ユダヤ思想家のピロン(フィロン)と初期ギリシア教父のクレメンス、オリゲネスのさんにんをとりあげている。

 ピロンは活動期がキリスト教の成立時期と重なるために注目され、35タイトルの著作がほぼすべて今日に伝えられているということである。

 ピロンは聖書の比喩的解釈の先鞭をつけ、ギリシア哲学との折衷をはかったことがキリスト教神学に大きな影響をあたえた。律法をノモイと訳し、「ノ モイに従う人はコスモポリテース(世界市民)である」と自然法的に解して普遍化をはかるなどである。「創世記」については一日目に範例となるイデア界が、 二日目以降に可感的世界が創造されたとというプラトンに準拠した二段階創造説を提唱しているが、面白いのは二つの資料の不一致を二段階説で辻褄をあわせて いることである。「創世記」には「人間は神の像になぞらえかたどられた」と「ヤハウェ神は地の塵から人間を造った」という二つの人間創造説があり、今日で は起源の異なる二つの文書をいっしょにしたためだとわかっているが、ピロンは一の日に創造された像(エイコーン)は 形をもたないイデアだとして神人同形論を回避し、可視的世界の人間はイデアの影(神の影の影)で神から隔たっているために堕罪の可能性があるとする。もっ ともイデア=神の思考だと明言してしまうと神の一性に抵触するので、比喩にとどめる。神の思考という発想はアウグスティヌスにも継承されるという。

 クレメンスはキリスト教徒のための最初の学校をパンタイノスが設立したことが知られているが、主著の『雑録集』は「綴れ織り」という意味で「高齢 から来る忘却への薬」としてさまざまな著作からの断片を記録している。仏陀に関するキリスト教文献最初の言及を含むということである。

 オリゲネスはエウセビオス『教会史』第6巻など伝記資料がたくさん残っている。アレクサンドリアの主教とまずくなってカイサリアに移住し学園を開 いたが、没後、異端宣告を受けたために著作が散逸し、ラテン語訳の形でしか残っていない。ところが蔵書の方はカイサレイア主教バンピロスによって図書館が 建てられ保存されたという。七十人訳の校訂をおこない、さまざまな翻訳を一覧できる『六欄対訳聖書』を刊行したことも功績とされている。

 『ケルソス論駁』で復活批判に反論したが、コリント書15:42を根拠に復活した肉体は復活前と異なるとする。「朽ちるものとして播かれ、朽ちないものとして甦る」というわけだ。

「� アウグスティヌス」

 どこかで読んだ話ばかりで新味はない。

 ドナトゥス派との論争の条でキルクムケリオネスという暴力的な土地を失った下層民集団が無法を働くとあるが、映画「アレクサンドリア」に登場した「修道兵士」のようなものかなと思った。

 もう一方の論敵のペラギウス派はギリシア的教養に通じたローマの富裕層が基盤だった。アウグスティヌスはペラギウス派には容赦なかったが、ドナトゥス派にはずいぶん寛容である。ドナトゥス派にある種の共感を抱いていたのだろう。

 『三位一体論』についてはかなり立ち入った紹介がある。いつか読んでみたい。

「� 継承される古代」

 前半では自由七科に代表されるギリシア的教養を中世世界に伝えたボエティウスとカッシオドルス、後半では神学をいきなり高みに押しあげた偽ディオ ニュシオス・アレオパギテスとエリウゲナを紹介しているが、後者について「古代の継承」というのはどうだろう。この章は二つにわけるべきだったのではない か。

 ボエティウスはギリシア語を理解できなくなった同胞の教育は政治家の義務と任じて、東ゴート王国の宰相という激務のかたわら、自由七科の教科書を編纂し、アリストテレスの論理学書と『エイサゴーゲー』をラテン語に訳し、注解をくわえた。

 ボエティウスというと『哲学の慰め』が名高いが、カロリング・ルネサンスで評価されるまでは埋没していたという。

 カッシオドルスはボエティウスの地位を襲い、学問的にもボエティウスの衣鉢をついだが、神学と世俗的学問(自由七科)の両立を提唱し、引退後は故 郷のスキュラケウムに隠修士のための修道院と世俗的学問のための修道院ウィウァリウムの二つを建設した。後者には膨大な蔵書を納めた図書館を設けた。写本 工房もあったらしく、ウィウァリウムの蔵書は後に教皇のラテラノ宮の図書室に移管され、各地の各地の修道院に貸与されたり贈与され、広く流布したという。

 偽ディオニュシオス・アレオパギテスとエリウゲナはそれぞれ独立の章をたててもおかしくない大物だが、百科事典的なコンパクトな記述で終わっている。

「� アンセルムス」

 最初のスコラ哲学者と呼ばれている人だが、北イタリアの貴族の家に生まれ、父親に修道院入りを反対されて出奔し、フランスの修道院にはいったという激しいところもあった。

 神の存在証明で知られているが、同時代人からも批判が出ていたという。あれが証明になっているとはとても思えないが、20世紀になってからカール・バルトとハーツホーンが再評価しているそうである。どう再評価したのか、知りたいところだ。

「� ビザンティンの哲学」

 坂口ふみの『<個>の誕生』でであった名前や学説、議論に再会して懐かしかった。ここに書かれているのはほんのさわりだけだけれども、ビザンチンの神学は深い。

「� 一二世紀の哲学」

 12世紀ルネサンスをアベラルドゥスを中心に描いている。アベラルドゥスとは『アベラールとエロイーズ』のあのアベラールである(最近、岩波文庫から新訳が出た)。

 アベラールといえば普遍論争だが、普遍的な物の実在を否定したために語と対象が対応する理由の説明に苦しみ、ストア派のレクトンに近いstatusという概念を編みだすが、十分発展させることなく撤退してしまったという。

 アベラールの神学についてはかなり詳しい紹介がある。アンセルムスと対立的にとらえる従来の説は誤りで、著者はアベラールが軸足を置くのはアンセルムスの論理学的神学だとする。サン=ヴィクトル学派のフーゴーとの影響関係などもおもしろい。

 アベラールは頭はめっぽういいが性格的に問題のある人だった。教え子のエロイーズを妊娠させてしまったこともそうだが、恩師を片っ端からバカ呼ば わりしているようなところがあり、敵が多いのも当然である。異端審問にかけられたのだって神学的内容よりも性格がまねいた面があったようだ。

 こんなにおもしろい神学者はいない。誰か映画化しないものか。

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2011年12月27日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年12月22日

『柳田国男と今和次郎—災害に向き合う民俗学』畑中章宏(平凡社新書)

柳田国男と今和次郎—災害に向き合う民俗学 →bookwebで購入

「震災と向き合った二人の民俗学者」



 震災後、今和次郎(こん・わじろう、1888-1973)をめぐる書籍が相次いで出版された(本書の他に、今和次郎『今和次郎採集講義』 青幻舎)。今和次郎は主に大正から昭和初期にかけて活躍した民俗学者である。民俗学研究としては民家や服飾の分野で業績を挙げたが、現在でも広く知られて いるのは、主として今が提唱した「考現学」(モデルノロヂオ)によるものだろう。 今の考現学とその後の系譜についてはここでは触れないが、なぜいま今和次郎なのか。それは、彼の災害に対するまなざしと実践にある。

   本書は�部構成となっており、�部で柳田国男(やなぎた・くにお、1875-1962)を、�部で今和次郎について論じている。この二人は柳田らが発起 人となった研究会「白茅会」(はくぼうかい)を通じて師弟関係にあったといわれる。だが、著者が今和次郎を括弧つきで柳田の「弟子」としているように、そ の関係は今が後に考現学を始めることで緊張関係を孕んだものになっていく。
 「あとがき」によれば、本書は当初「地震と民俗学者たち」というテーマだったという。だが今よりも13歳年上で、すでに日本民俗学の祖としての地位を築 いていた柳田とこれまでの学問に収まらない今との相克と、その二人の災害のとらえ方をパラレルに描くという本書の絞り方はまさに妙技だ。

 冒頭で紹介される柳田国男のエピソードは非常に印象深い。柳田は、1923年9月1日に起きた関東大震災の報を滞在先のロンドンで受けたが、そのとき同 席していた年長議員が「神の罰だ」という旨の発言をしたという(約90年後の東日本大震災でも同じような発言があったことは記憶に新しい)。この一言に対 して、柳田は激しく反論したのである。
 その背景には『遠野物語』(1910)の資料収集で柳田が見聞きしたことがある。それは百十九話からなる同書の九九話に反映されているが、1896年に 発生した明治三陸地震とその大津波によるあまりに甚大で凄惨な被害の様相である。その後、柳田は25年後にもう一度被災地を訪れている。

 さて、東京美術学校(現・東京芸術大学)の図按科を卒業した今和次郎は、民家のスケッチをしていたときも、豪農などの古民家に限らず庶民の住居も対象にしていたという。そのことからは今の興味関心の所在がうかがい知れる。
 関東大震災とその火災により東京市の6割強が罹災した際、驚くべきことにその3週間後には今は震災後に林立したバラック群の記録を始めるのである。今自 身も被災していたにもかかわらず。そして、今の活動はバラック建築を装飾するという、より実践的なものへと移行していく。さまざまな批判に対して今はこう いう。

「すなわち田舎家の研究は、主として無装飾の態度の生活者の工作そのものを見つめる仕事であり、無装飾の裸の工芸ということを考えていることになるのである」(179-180頁)

 今のまなざしは常に生活者に向けられ、その関心は完成された芸術的な建築物ではなく生活のなかから住居が生成されていくプロセスにこそあったのだ。柳田が「本筋の学問」(そのころ確立した民俗学)として、震災から8年も経過した後に都市の文化を扱うのとは対照的だ。

 アプローチは異なるが、繰り返し災害に襲われる日本の民衆に寄り添い、自らも災害と向き合い続けた二人の思想、実践から学ぶべきことはあまりにも多い。


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kinokuniya shohyo 書評

2011年12月25日

『趣味縁からはじまる社会参加』浅野智彦(岩波書店)

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「中間集団論を日本社会でいかに考えるべきか」


 中間集団論と呼ばれる議論がある。中間集団とは、アメリカの政治社会学者コーンハウザーが『大衆社会の政治』などで用いている概念である。


 平たく言えば、個人と全体社会を媒介する集団のことをいう。すなわち、全体社会や国家といった大きな社会に対して、個々人が直接的に向き合うのには困難 が伴う。そこで、地域社会や二次的な結社などを通して、ようやく全体社会や国家に介入を果たすことができるようになると考えられるのである。


 (コーンハウザーもそれに含まれるが)しばしば大衆社会論などの文脈で指摘されてきたのは、こうした中間集団が脆弱になると、個人は原子化してバラバラ になってしまい、全体主義の波に飲み込まれてしまうのではないかという危惧であった。それゆえにこそ、中間集団の存在の重要性が訴えられてきた。


 だが日本社会の文脈で考えると、また違った側面も見えてくる。「空気を読む」といったフレーズに代表されるように、付和雷同しやすいこの社会の状況は、表面的には、まさしく中間集団が存在しないか、機能不全に陥った典型的な状況であるかのようにも感じられる。


 しかしその一方で、日本社会は、むしろ中間集団こそが個人の自立を妨げているのではないかと指摘するものもいる。おそらくそれは、中間集団があまた存在 しているからというより、ごくわずかな(せいぜい1〜2)種類しか中間集団が存在せず、その専制的な状況がもたらすものと考えられるのだが、教育社会学者 の内藤朝雄が指摘するように、その代表が学校であり、もしくは成人ならば会社が該当しよう。


 あるいは戦前ならば、町内会を思い浮かべると分かりやすいかもしれない。少なくとも戦中におけるそれは、個人と全体社会を媒介する存在というより、上意 下達の伝達機関として、軍国主義の共犯者となり果てていた。内藤は、日本社会におけるこうした状況を「中間集団全体主義」と呼び表している。


 日本社会におけるこうした状況を踏まえるならば、むしろオフラインの中間集団を介さずに、インターネットのアーキテクチャによって瞬間ごとの「民意」を 捉えて、それを一部のエリートがモニタリングして政治を進めていってはどうかという、哲学者・小説家の東浩紀の問題提起(『一般意志2.0』)にも、傾聴 の価値があると言わざるを得ない。


 しかしながら、それでもこの中間集団という概念を葬り去ってしまうのは、やはり口惜しい気がしてならないのも事実である。もし、学校と会社という選択肢 「しか」ないことが問題であるならば、その専制的な状況を嘆く以上に、さらに中間集団のレパートリーを増やしていくという処方箋がありうるのではないだろ うか。


 そして、前置きが長くなってしまったが、本書はそのような可能性として、何よりも趣味に基づいた連帯にこそ注視している。そして著者は、教育社会学者の藤田英典の定義にならって、それを"趣味縁"と呼び表している。


 "趣味縁"が、まさに趣味に基づいた連帯であるならば、なによりも個人の自発的な関心に基づくものであり、それゆえにこそ、学校や会社といった既存の集団の枠を超えつつ、さらに連帯の多様なレパートリーを期待することができるのではないかというわけである。


 著者はこの点について、近年注目を集めている社会関係資本論の議論を補助線として用いつつ、日本社会の状況を実証的な質問紙調査で明らかにしている。そ して、そのプロジェクトの名称こそが、まさに「若者の中間集団的諸活動における新しい市民的参加の形(2006年度〜2008年度、科学研究費補助金基盤 研究(B))」である。


 詳細は実際に著作を読んでほしいが、特に2007年に行われた質問紙調査からは、興味深い知見がいくつも得られている。例えば、同じ趣味縁であっても、 明確な組織だった集団への加入形態を伴うものを「趣味集団(への加入)」、そのような形態を伴わないゆるやかなものを「趣味友人」と呼んで区別したうえ で、全体社会や公共的なものへのコミットの程度を比較検討すると、前者においては正の関連が見られるものの、後者においては残念ながら見られないのだとい う。


 あるいはそれとも関連するが、とりわけ若年層において、友人と知り合う場所は、圧倒的な割合を学校が占めており、同じ趣味を持つ友人と出会うのも、むし ろ学校という場が圧倒的であるがゆえに、(しいて内藤の表現を繰り返すならば)全体主義的な中間集団である学校と、趣味縁が完全に独立していないというの が現状であるようだ。


 よって結論としては、少なくとも現状においては、趣味縁に対して中間集団としての機能を過剰には期待できない、ということを導かざるを得ないようだが、しかしながら、それでも本書からは、今後につながるヒントがいくつも得られるように思う。


 たしかに、若年層において学校集団と趣味縁が完全に独立していないのは事実であるとしても、学校集団に対するコミットの度合いが下がってきているのも事実であろう。そのことは、部活動の停滞や学級崩壊などの事例を思い起こせばよい。


 とするならば、むしろ当面の間の処方箋として、多様な趣味縁を養っていくためにこそ、学校という集団を使っていくという発想もありうるのではないだろう か。初めから、学校や会社といった集団に対抗するのではなく、むしろその内部から徐々にずらしていくような連帯の形成がありうるのではないだろうか。いわ ば、趣味縁の出会いの場として、学校や会社を見つめ直していくといった発想である。


 もちろん、それだけが答えのすべてではないし、むしろインターネットのオンライン上にも様々な連帯が形成されている今日においては、個々人の社会に対する関わり方について、もっと多様なありようが考えられていくべきなのだろうと思う。


 本書は、そうした関わりのありようについて、最新の議論とデータに基づいて、多くのヒントを与えてくれる著作である。研究者に限らず、ぜひ多くの方にお読みいただきたいと思う。


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kinokuniya shohyo 書評

2011年12月26日

『革新幻想の戦後史』竹内洋(中央公論新社)

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「新しい「教養」のために必読の書」

一気に読み終えた。もう十年近く前の大晦日、小熊英二氏の名著『<民主>と<愛国>』を読んで徹夜したのを思い出すが、それ以来の知的興奮。こちらも500頁を超える大著だが、文字通り「厚み」のある「戦後史」だった。

かつて「革新」の輝ける時代があった。といっても、三十代の筆者には実感がない。その残滓をキャンパスで垣間見た程度。しかし、「幻想」だとして も、当時は「現実」を変え得る「理想」として、大きな力を持ったことは想像に難くない。そのとき学生だったら、どうしていただろうかと考えることがある。

著者の竹内洋氏は、『教養主義の没落』(中公新書)の記憶が鮮やかだ。「読まなければならない本というものがあった」時代から、なぜこうなってし まったのか。「教養」の崩壊の背景には、高等教育をめぐる社会構造の変化があった。その手堅い実証的分析には、目を見開かされた。恥ずかしながら、「教育 社会学」という学問があることを初めて知った。続く著作『大学の下流化』なども追いかけて読んだ。

その竹内氏が書いた『革新幻想の戦後史』だから、ある期待があった。というのは、「教養」の輝ける時代は、「革新」の輝ける時代でもなかったか。 「全共闘世代」を最後に、学生が本を読まなくなったという言挙げをしばしば目にする。今でも「教養」の復活が議論されると、「そうだ、マルクスを読もう」 といったアプローチになりがちだ。「教養」論が学生運動へのノスタルジーに落ち着くのはどうにかならないか。過去を知らない若者ほど、無根拠な憧れを抱き やすい。この著者なら、もっと別の議論の道筋を示してくれるだろう。

例えば、本書の�章三節「歴史のなかで見る全共闘」は目からウロコだ。竹内氏によれば、数多ある「全共闘本」が「まったくふれていないことがあ る」。「1968」を含む1960年代の学生運動には、1930代前後の学校騒動と類似する点が多いというのだ。端緒には、マスプロ化する大学における学 費値上げの問題がある。急激な近代化とともに、農村から都市への流入人口が雪崩を打って増加し、高等教育市場のマス化が起こる。その第一の波が1930年 前後で、大量に生み出された学生たちは、就職にも希望を持てず、経済的負担と劣悪な教育環境を強いる大学に牙をむく。「私大株式会社」という用語は昭和初 期からあった。大学と大学教授への批判の高まりは、のちの全共闘の「大学解体」論を思わせるものがあった。

1960年代の学生運動は、比較的エリート層に限定された1930年代のそれと比べて、より大衆化が進み何倍か拡大強化されたものだが、その再演と もいえるものだった。彼らの行動は、彼らが信じて叫んでいた主義主張よりも、人口動態学的変化によって説明しやすい。小熊氏の大著『1968』が指摘した 若者たちの「現代的不幸」なるものも、小津安二郎の映画「大学は出たけれど」(1929年)に漂う憂鬱と何がちがうか。当時すでに、戦後の「サラリーマ ン」社会の原型ができあがっていた。…といった卓見に接すると、あれこれと得心がいく。かねてから、戦前と戦後のモダニズムの共通性が気になっていた。歴 史は繰り返すのだ。

上記の部分などは、竹内氏の教育社会学的分析の切れ味がよく出ているところだ。本書は、いわゆる「進歩的知識人」たちや岩波書店の『世界』をはじめ とする総合誌が抜群の影響力を誇っていた時代の「空気」を読み解く。取り上げる対象が一見バラバラで遠回りにも思えるが、そこに慧眼がある。ちょうどパズ ルの失われていたピースがピタリとはまって、思いもしなかった全体像が浮かび上がるように、知的発見の魅力が全編に埋め込まれているので、最後まで引き込 まれるのだ。

戦後の「革新」の栄光は、戦争に対する反省から始まっている。「過ちを二度と繰り返さない」という「悔恨」の心情である。本書でも取り上げられる石 坂洋次郎の小説(とその映画化、特に『青い山脈』)が、大衆レベルで「戦後民主主義」の明るさを謳いあげたとすれば(川本三郎『今ひとたびの戦後日本映 画』岩波書店を参照)、その暗い基層低音として知識人では丸山眞男が体現していたような「悔恨」も広く共有されていた。もっとも、それと同じぐらい、「あ の戦争はやむを得えなかった」から「今度こそうまくやろう」まで、言うに言われぬ「無念」の心情を抱く人々も、たしかに多く存在していた。この「悔恨共同 体」と「無念共同体」の対立は、本書の�章で佐渡島出身の二人の対照的な政治家の生き方を通じて論じられている。実際のところ、この二人の戦前と戦後でね じれていく軌跡は、「右」とか「左」とかの一筋縄では行かないもので、それが全編を貫くトーンとなっている。「進歩的知識人」たちの問題は、「無念共同 体」の実在をあえて無視して、「悔恨共同体」こそ唯一の道だとした「偏向」にあった。あくまで冷静な本書の叙述を読んでいると、一方を見て他方を見ようと しない病弊は、今ならどちらのことかと問いたくもなる。

一筋縄で行かないといえば、「革新」の代表的プレイヤーであった、政党でいえば社会党や共産党(分裂と盛衰のダイナミズム)、『世界』などのジャー ナリズム(意外と売れていなかった)、キャンパスを牛耳った「進歩的教授」たち(日教組と一体となって東大教育学部を牙城とした)、左派学生たち(「民 青」から「ノンセクト」まで)の相互の関係も、相当にねじれている。皮肉なことに、今では「左」の代表格のように言われる「ベ平連」や「全共闘」の時代 は、党や教授たちの黄昏の時代でもあった。新しい市民運動「ベ平連」の代表を引き受けた当時の小田実は、「良心的」な「右」ぐらいの位置づけだった。なん と、当初は石原慎太郎の名も挙がっていたという。隔世の感とはこのことである。吉本隆明は石原を「戦後日本社会の高度化を象徴するラジカル・リベラリズム としての資格を獲得している」と評価していた。石原は「1968」の前哨となる慶大闘争にも賛意を示していた。今となっては想像もつかないことではある が。それはともかく、既成の運動と関係がない点を鶴見俊輔に見込まれてベ平連代表になった小田だったが、しだいにベストセラー『何でも見てやろう』出版当 時の「自己批評とユーモアに溢れた」やわらかい部分を失っていく。「朝まで生テレビ」に出演していた晩年の「陰鬱で硬直した小田」が、筆者が初めて見た小 田実だ。「左」のマイナスイメージの代表のようになってしまった小田実を再発見するために、竹内氏が高く評価する『日本の知識人』を読んでみたいと思う。 なお、小田は東大院で西洋古典学を修め、晩年もロンギヌスの翻訳を発表する学究肌の人ではあった(沓掛良彦『文酒閑話』平凡社を参照)。

本書は、膨大な文献に当たり、当事者への聞き取り調査も怠らない知的誠実さが圧巻だが、さらに竹内氏は随所で当時の自分自身にも言及している。�章 の例は、竹内氏自身が佐渡島に生まれ育っただけに、学童としての実際の観察やじかに呼吸した「空気」になんともリアリティがある。1961年に京都大学に 入学した竹内氏は、はじめはデモに参加するが、キャンパス全体を支配する「空気」に疑問を覚える。院生の集まりで「うっかり」と「吉本(隆明)もいいけ ど、福田恆存はもっといいぞ」と発言して、「ウヨク」(バカ)扱いされたというエピソードに、その「空気」がよく出ている。「反体制派」を気取る学内「体 制派」とは、なんという矛盾であろうか。その中で、竹内青年は主体的に読書し、進むべき学問の道を模索する。「『世界』の時代」ではあったが、あえて『中 央公論』に購読誌を変え、マイナーな保守論壇誌もチェックしている。「進歩的知識人」たちの戦前と戦後の言動の変化を暴露本で知る。反対の立場の本も含め て、こうした本と出会うエピソードも無類に面白く、学問の手触りが生々しく伝わってくる。竹内青年の行動の支えとなった社会学の古典が随所で引かれている が、生き方と結びついてこその学問という実感を新たにする。このように学び考えることは、まさに「教養」と言えるのではないだろうか。本書は、戦後史に 「自分史」を織り込むことによって、「戦後史における封印された感情」を掘り起こすが、筆者にとっては「そのとき学生だったら、どうしていただろうか」と 考える恰好の手引きとなった。ついでに言えば、竹内氏は父と同世代で、大学生だった父と対話するような気分もあった。

なお、本書は「戦後史」ではあるが、現在への問いかけでもある。「進歩的知識人」の威光は消え去ったかもしれないが、代わりに「進歩的大衆人」が跋 扈している。何でも聞かれたことにぺらぺらと答える、テレビのコメンテーターが典型だ。福田恆存が喝破した知識人の「病」までもが「大衆化」したという皮 肉。さらに、竹内氏に代わって補足すれば、ネット上の言論空間にも「劣化」の症状は蔓延している。「右」も「左」もわからない時代だからこそ、不穏な「空 気」に付和雷同せず、自ら考えることができるか、各自が問われているのだ。まして何度目かの「敗戦」が言われる今、「戦後」に学ぶことはまだまだ多い。


(洋書部 野間健司)



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kinokuniya shohyo 書評

2011年12月27日

『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話−知的現場主義の就職活動』沢田健太(ソフトバンク新書)

大学キャリアセンターのぶっちゃけ話−知的現場主義の就職活動 →bookwebで購入

 正直言って、なんで就職活動に、これだけの時間とエネルギーを費やさなければならないのかわからない。しかし、そうせざるをえない現実は、すこしわか る。家庭教育と学校教育が、社会に出て行くために充分でないからだ。ある外食産業の社長が言っていたのは、「挨拶と手が洗えればいいのだが、それができな いので、社員教育に金と時間をかける」ということだった。その外食産業は、有名な「ブラック企業」のひとつだった。

 家庭はともかく、大学では本書でいっている基本的なことはできる。講義科目では、授業の最後で「今日学んだことと感想」を書かせればいい。講読科目で は、前もって訳文の添付ファイルをメールで送らせばいいし、授業では音読させて日本語になっていないことを確認させればいい。演習科目では、配付資料のつ くり方、コピーのとり方、プレゼンテーションの仕方を教えればいい。学生のメールアドレスを見ると、笑っちゃうものがある。友達同士のやり取りだけで、 「大人」とのやり取りを想定していないからだ。大学の先生とのメールのやり取りは、最初の「大人」とのやり取りになる。著者のいう「就活不要論に私は反対 する」で書かれていることは、要するに家庭や学校でできていないことを就活でするということのようだ。そして、それを「支援」するのがキャリアセンターと いうことだが、そこに問題があるので本書のようなものが書かれることになる。

 著者の「正体をすっかり明かすと各方面に迷惑がかかる」ために、「ぎりぎりまで迷ってペンネームとした」「内部批判と改革の視点」は、最終章でつぎのように整理されている。

・キャリアセンターのキャリア(経歴)は、それこそ少子化なのに大学生数増というむりやりな大学の生き残り策のために、突貫工事で作られてきた。だから企 業社会の要請に対する「行き過ぎた適応主義」をためらいなく受け入れてしまったところがあるし、専門人材の養成システムもないままだ。
・しかも、就職課時代に唯一と言っていい武器だった企業からの求人票を、安易にウェブ化して使いづらくしてしまった。学生の個別相談でも、真に身のあるア ドバイスはできなくて、無難に事が済むほうばかりを見ている嫌いがある。データ量ばかりを増やし、サービスの質を落としてしまった。
・就職率、就職実績の操作はもっての外(ほか)だ。リアルな厳しさを公開し始めた早稲田大学に続く他大学が待たれる。
・一方で、就職ナビサイトがもたらした採用試験応募者の爆発的増加に、企業の人事部も振りまわされている。とはいえ、当分、不況続きの買い手市場と見こんでか、採用活動の効率化優先で、ポテンシャルのある学生をじっくりみるという態度が消えてきている。
・ショーイベント化する企業説明会に、人事マンが口にするその場しのぎのスマートなきれい事。騙される大学生も堕ちたものだが、正面からツッコミを入れら れないキャリアセンター職員も情けない。「学歴」や「個性」といったマジックワードをあらためて捉え直し、現実を踏まえた上で教育関係者としての言葉を取 り戻さねばならない。
・大学生の学力低下と幼稚化に目を背けてはいけない。学部教育の改革に期待したいが、キャリア教育においても働く上で基礎となるスキルと知力の育成プログ ラムを開発すべきである。同時に、現在行われている就職活動も、考え方と工夫次第で、学生を大人に成長させる格好の機会になり得ると心得たい。
・一方で、学生の中にわずかながらアンチ大企業や中小企業志向といった、新しい仕事観の芽も出てきている。それらの落とし穴を教えつつ、学生が望む方向性には伴走していくべきだろう。
・保護者とどう向き合い、なにを提供すべきかは、キャリアセンターの目の前にある喫緊の課題だ。親御さんたちの不安を解消し、就職活動生にとっての戦力となってもらうべく、大胆かつ誠実な言葉を紡いでいく時期にある。

 そして、最後に著者はつぎのように述べている。「就職問題にスパッとした解決策はない。が、まだまだやり方はある」。「焦らず手を抜かず、やれることをやっていけ」。「自分にも学生にも言い聞かせている処世術だ」。

 日々学生と接している者として、すこしは就職活動の現実を知って、学生の卒業後の姿を想像しながら授業に臨みたいと思う。それにしても、就職活動のため授業に出ることができない、という学生にどう対処していいかわからない!

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kinokuniya shohyo 書評

『生命はなぜ生まれたのか—地球生物の起源の謎に迫る』高井 研(幻冬舎新書)



昔から恐竜や生き物が好きだった。
 与えられた図鑑や絵本の影響が大きかったのだと思うけれど、まあでも男の子としてはごくまっとうな趣味として虫捕りやトカゲ(うちの近所ではカナヘビが主流でした)に凝った。
 中学に行って友だちの範囲が広がると、天文少年たちに初めて会った。『ヤマト』や『999』の影響があったからか、生き物よりも高尚な趣味に思えた。でも道具が複雑で面倒くさそうで、結局は敬遠してしまった。

 小学校の高学年頃だったか、図鑑の後ろのほうの字ばかりのページに、近代以前の西欧世界で考えられていた生物の発生過程として、沼のほとりの石が 次第に蛙に変化していく4コマ漫画みたいな図があって、すごく印象に残った。昔の人はこういう迷信が"常識"だったんだと妙に感心し納得したのだが、でも まああの頃の自分の生物誕生のイメージって結局は『妖怪人間ベム』(もちろんアニメ版)のオープニングのような、得体の知れないドロドロからいつのまに か…といった程度でしかなかったように思う。

 高校、大学、社会人と長ずるにつれて、太古の生物のことはなんとなく後回しになっていったが、高校でも大学の教養でも生物を選択したし、勤めてか らも恐竜博なんかにはときどき足を運んだ。個人的な"常識"が小学校で親しんだ図鑑類と高校の生物の授業なので、その後の科学の発展による"常識"のコペ ルニクス的大転換には、ときどきすごい衝撃を受けた。
 なかでも衝撃度で2トップなのが、現在の生物の細胞は大昔にいろんな単細胞生物が共生した結果としてできたという説(たしか雑誌『ニュートン』で最初に 読んだ)と、鳥類は恐竜の子孫であり中国辺りで近年ザクザク出てくる羽毛恐竜の化石が動かぬ証拠だというのの2つだった。特に恐竜のほうは、幼心に刻み込 まれた恐竜絶滅の哀しみがずいぶん緩和され、スズメやカラスの見えかたが根底から変わった気がする。

 今回縁あって読んだ『生命はなぜ生まれたのか—地球生物の起源の謎に迫る』は、生命の起源が深海底の熱水活動にあり、その具体的なプロセスが世界 中の科学者によって着実に解き明かされつつある(しかもそのトップランナーは日本人研究者=本書の著者なのだ!)ということを、素人にもわかりやすく説明 してくれる啓蒙書だ。

 暗黒の深海底、特に地殻プレートが湧きあがってくる海嶺付近には熱水が噴き出すところがあって、周囲には変な生物がたくさん生息して独特の生態系 を成している、というのも個人的には『ニュートン』だったかで昔出会った"常識"の大転換だった。細胞や恐竜のときのように世界観が変わるほどの衝撃はな かったにせよ、ジャイアントチューブワームの奇天烈な姿は一瞬で記憶に刻み込まれた。

 前置きばかり長くなったが、もちろん本書を読み進めるなかでも、いくつも自分の"常識"がひっくり返っていった。世界観レベルの転換としては、たとえばこんなところだ。

しかし、もはや地質学、地球化学、生物学が渾然一体になってとろとろになってしまった私は、「生命の定義? あんまり最近は気に してないねぇ。近頃は生命を生命だけで考えたことないしねぇ。生命が生命のみで存在することはあり得ないしねぇ。生命を取り囲み、生命を含んだ環境(生命 圏)の在り方やその中のエネルギーとか物質の流れがむしろ重要なんじゃないかと思うしねぇ。…」(92p)

 確かに考えてみると"生命が誕生する"ということは"生命が生命以外のものから誕生する"ということなのだ。だから生命の誕生を探るということ は、岩石とか水とかガスとか宇宙線とか、およそ素人の直感では生き物そのものとは根本的に違っていそうな無機物やエネルギーが生命を創り出す、その過程を 探るということにほかならない。高校の理科でいうところの、生物、地学、化学、物理の垣根なんかとっぱらわないと、そんな研究はそもそも成立しないのだ。
 先に書いた西欧中世の「石が蛙に」にも、子どもの未熟な頭でせせら笑ったよりははるかに深い含蓄がありえたのかも、などと疑ったことのなかった自分の世界観が揺らぎだす。

 ほかにも、名前だけは耳にしたことがあってその内容は皆目見当がつかなかったアストロバイオロジー(宇宙生物学)という学問の何たるかがちょこっ と理解できたり、全生物進化系統樹に化学合成エネルギー代謝の種類を重ね合わせた考察になんだかとても感心したりと、私のような文系デバガメにとって、科 学の進歩と最新知見の手触りが臨場感をもって味わえるワクワクの一冊なのだ。
 ところどころ、ご丁寧に「さあここからの説明は難しいよ。(97p)」などと前置きされて難しい議論や化学式も出てくるものの、適宜挿入される親切な図や、それにもまして著者のこんな口調に助けられて(乗せられて?)、なんとなーくついていけてしまうのである。

 水素と酸素が反応したと考えてみよう。ものすごい右下がりの坂になるのがわかるだろう。(※別に図があります=評者注)すごい エネルギーが余るわけだ。だから爆発するんだよ。水素と酸素を混ぜると、ボンとな。逆に右上がりになるのはエネルギー放出量が少なくてエネルギー受入量が 大きいので、「おかみぃー酒がたらんぞ酒が」状態で、エネルギーが足りないわけだ(吸熱反応)。(172p)

 こんなふうにまっとうな科学啓蒙書として十二分に楽しめる本書には、ほかにもふたつばかり大きな魅力がある。

 ひとつは、"科学者列伝"とも呼ぶべき、著者がこれまでの研究者人生のなかで直接間接に知り合った世界中の一流科学者たちへの実感のこもったコメントの数々だ。

ちなみにこのカール・シュテッターは、カール・ウーズに並ぶマイ・スーパースターなのだが、シュテッターにはあまりトキメキを感じず普通に会話できるのは、多分、「彼がほんまもんの変人だから」。そう変人です。(145p)
「大島泰郎恐るべし、さすが学会でいつも女子学生に囲まれて優しく笑っているのに、男子には鋭い眼光で近寄んなビームを出す超大物は違う」と思わざるを得ない。(146p)
ウーズ、ヴェヒターショイザー、ミラー、ド・デューブと言えば、まさしく「生命の起源」論争を、ネイチャー誌上やサイエンス誌上 で激しくやり合っていた巨人達であるが、直接話したのはド・デューブだけとは。しかも、その時は「ノーベル賞受賞者かなんか知らんが、もうちっとましな話 をしろや」と超ナマイキモードであった。サインもらっておけばよかったと後悔している。(185p)
ラッセルとはある論文を巡って、激しい論争が続いたのだが、一向に聞く耳を持たないおじいさんである。今や、NASAのジェット 推進研究所のフェローであり、もう大物になったんだから、広い心を持ってほしいものだ。「ものすごく尊敬していると同時に、はよ引退してくれや」というの が、私の正直な気持ちである。(189p)

なんだか現場感覚があふれまくっていて、とても楽しい。

 もうひとつの魅力が言葉に関するもので、乱暴とも思える端々の言葉づかいもさることながら、研究そのものにおけるネーミングの様子が、これまたと ても印象に残る。「ハイパースライム」「ウルトラエッチキューブリンケージ」といった本書の"肝"になる固有名がいかに名づけられていったかは、ぜひ、実 際に読んで確かめてみてください。「ハイパースライム」を発見するところは、文句なく感動的です。

(仕入開発部 今井太郎)




2011年12月23日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年12月21日

『定本 見田宗介著作集 � 生と死と愛と孤独の社会学』見田宗介(岩波書店)

定本 見田宗介著作集 � 生と死と愛と孤独の社会学 →bookwebで購入

「社会学vs文学」

 大作家と言われる人でもなかなか個人全集が出ない時代である。そんな中で見田宗介/真木悠介著作集の刊行がはじまった。意味深いことである。

 たとえば今、本を読むのが好きで、物を考えるのも好きで、「生」とか「愛」とか「死」とか「孤独」について、あれこれ言いたいひとりの若者がいた とする。50年前であれば、そのような若者は作家を志望したり、文学研究を志したり、批評を書いてみたりする可能性が高かったのではなかろうか。もちろん 今だってそういう例がないことはないが、明らかに50年前とは状況がちがう。「まずはともあれ文学」というような文学至上主義は遠い昔のものとなった。で は、そのような若者はどこへ向かうのか?いったい何が変わったのか?

 「生と死と愛と孤独の社会学」と副題のついた『定本見田宗介著作集�』を読むと、そのあたりの事情が見えてくるように思う。まず驚くのは巻頭をか ざる「まなざしの地獄」である。永山則夫事件を扱ったこの論考は1973年「展望」に発表されたものだが、そこに書かれていることは、「社会学」という言 葉のイメージとは簡単には結びつかないような気がする。書き出しは次のような具合だ。

N・Nは一九六五年三月、青森県板柳町の中学を卒えて、集団就職の一員として東京に上京している。手にしたボストン バッグの中味は、「母親の用意したワイシャツ2、仕事用ズボン1、外出用ズボン1、シャツ2、パンツ2、靴下2、そして彼自身がえらんだ中学当時の教科書 数冊」であったという。
 この部分だけ読んで、この文章がいったいどのような性質のものか判断できるだろうか。そこには単なる 語りではなく、物語の気配がある。やや不穏な緊張感から、ストーリーの匂いが漂ってくる。もちろん直後に「ちなみにこの年中学や高校を卒えて京浜に流入し た少年の数は、一一万一〇一五人、うち中卒者は四万八七八六人である」といった俯瞰的な記述がつづき、やがて「N・N(=永山則夫)にいったい何が起きた のか?」という問いがこの論考の土台をなすことも明らかになるのだが、読み進めて印象づけられるのは問題提起→結論といった議論の枠組みではない。むしろ 感じられるのは、とにかくいろいろな種類の言葉があふれているということだ。いろんな種類の「言葉のモード」が出てくるのである。

 ルポルタージュ風の記述からはじめて見田は事件を再構築し、永山の行動を追う。「戸籍事件」「麦飯問題」といった印象的なエピソード。「まなざ し」をキーワードとした分析的な言葉が問題点を絞りこんでいく。たしかにいかにも「社会学的」な抽象化である。「社会」や「学」にふさわしい硬質な思考が そこでは展開されている。社会のまなざしの中で次第に自分を見失い、苛立ちと怨嗟に取り憑かれていく永山の姿。見田はそれを以下のような言葉で語る。

 都市が人間を表相によって差別する以上、彼もまた次第に表相によって勝負する。一方は具象化された表相性の演技。他方は抽象化された表相性の演技。おしゃれと肩書。まなざしの地獄を逆手にとったのりこえの試み——。(34)
 まなざしの地獄の中で、自己のことばと行為との意味が容赦なく収奪されてゆき、対他と対自とのあいだに通底しようもなく巨大な空隙のできてしまうとき、対自はただ、いらだたしい無念さとして蓄積されてゆく。(48)
 しかし、このような言葉ばかりで書かれていたら、「まなざしの地獄」にはいったいどれだけの説得力が生まれていただろうかとも思う。記述と物語から出発 するこの論考には、「学卒就職者の転職理由」や「東京への就職転入者の初職」といった統計が散りばめられ、客観的なデータを支えにした�科学的�な議論が 展開される。そこには、永山則夫から出発しつつも広く社会や人間についての考察を展開しようとする、まさに社会学的な意志が読み取れるのだが、ほんとうに 重要なのは、分析でも構図でも、あるいデータでも一般論でもない。もっとも迫力があるのは、後半にかけて頻繁に引用される永山自身の言葉なのである。
私は逃げた。……まるで何かに取り憑かれた魂のない蒼空に飛び流れて消えて行く。風船のように。それでも黒い不気味な影跡は残していった。(24)
私には肉親というものを考えることは出来ない。なぜにこうなってしまったのかを一言的に表現すると、すべて、すべて、すべて、すべては、貧困生活からだと断定できる。貧困から無知が誕まれる。そして人間関係というものも破壊される。(40 引用元では太字ではなく傍点。以下同じ))
私には目的がなかった——と世間ではいっている。果たしてそうであるのか? 私から観ればあったのである。……あなた達へのしかえしのために、私は青春を賭けた。それは世間全般への報復としてでもある。そしてそれが成功した。(50)
私という人間が恐い、そう思えてならない。ある一つの物に燃え狂い、自制が効かないのです。(54)
 もちろん単に永山則夫の言葉と出会いたいならば永山の著である『無知の涙』を読めばいい。見田がここで行っているのは——しかも統計や、分析や、一般化 の言葉をさりげなく踏み台にしながら行っているのは——永山の言葉を�響かせる�ということなのである。既存のテクストに寄り添いながら、ときに介入し、 ときに解読し、ときにボリュームをしぼり、しかし、肝心のところでは大音量にして、場合によってはみずからもその声に唱和するようにして語る、これはまさ に文芸評論の行ってきたパフォーマンスに他ならない。実際、見田は、永山の言葉を引用してはまるでそれに感染するかのようにして語るようになる。
我が行動の終わりし後に/数多く事おこれば悲しく痛くなり……。

「見るまえに跳べ」というアジテーションは、跳ぶ前に見ることもできる人間の言い方だ。
「見る前に跳ぶ」ことだけを強いられてあることの無念。(56)


 語る見田と語られる永山の間の閾は次第にはっきりしなくなる。このような文章を見てあらためて思うのは、70年代、「社会学」の言葉がきわめて自由な書 かれ方をするようになったのだなあ、ということである。文学が排斥されたわけではなかった。むしろ、文学は解放されたのである。狭い意味での文壇やら文学 研究から解放されて、「社会学」の領域にも文学が流れこみつつあった。

 少なくとも見田の行おうとした社会学は「声」に対して敏感になろうとする学問だった。そういう意味では、場合によってはそれは詩人や作家の行おう とすることとほとんど区別がつかない。声をいかに響かせるかということに、文学者も無頓着でいられるわけはないのである。むろん、「学問」を看板にする書 き手だって、ほんとうは「声」のことに鈍感でいいわけがない。どちらの陣営もいつの間に同じことをしている。それはそうだろう。振り返ってみれば、「愛」 や「生」や「死」や「孤独」というその出発点も重なっているのだから。

 その後、30〜40年をへて「社会学」がどのような変貌を遂げてきたのか筆者には概観する能力はないが、もしこの学問領域が「文学」などをはるか に超えて力を持ちつつあり、「声」をあげたいと思う若者を惹きつけているのだとしたら、それはきっと「社会学」が「声」を深く豊かに響かせる環境を整えた ということだろう。ほんとうにそうなのかどうか、注視したい。

 本書には30年以上にわたって発表された7つの論考が収められている。今では誰も覚えていないであろう『愛と死をみつめて』という60年代のベス トセラーを扱った章もあれば、1999年にカラオケボックスで自死したネットアイドルの章もある。現代短歌の分析もある。その中でもっともよく知られてい るのはおそらく、「夢の時代と虚構の時代」という論考だ。高度経済成長期に至る時代を「理想」から「夢」という流れで、そしてポスト高度成長期を「虚構」 と「脱臭」と「やさしさ」で読み解く構図は、発表当時はともかく今となってはそれほど珍しい視点とも見えないかもしれないが、たとえば理想の時代と不即不 離なのが「リアリティ」の感覚である点を見田が見抜いているのはやはり鋭い。

表現のさまざまな様式の歴史において、リアリズムという運動が多くのばあい、理想主義的な原動機にうらうちされていたように、理 想の時代は、また「リアリティ」の時代であった。虚構に生きようとする精神は、もうリアリティを愛さない。二〇世紀おわりの時代の日本を、特にその都市を 特色づけたのは、リアリティの「脱臭」に向けて浮遊する〈虚構〉の言説であり、表現であり、また生の技法でもあった。(99〜103)
石原慎太郎の『太陽の季節』(一九五六年)という小説の主人公は、硬直したペニスを障子につき立てるという実体主義的な求愛の様 式をとった。これはこの当時「新しい」もの、「戦後」の終りを告知するものといわれたけれども、一九八〇年代以降の諸文学からふりかえってみると、それは なお典型的に「リアリティ」の時代の身体技法であった。(103)
 きれいな構図で「世代」や「時代」を説明するような言説を、社会はいつも求めている。「社会学」はいい意味でのその境界の曖昧さを持ち味に、そんな要請 に上手に応えてきた。しかし、その根っこに、たとえば石原慎太郎のペニスを置こうとする見田のこうしたやり方には、ある種のこだわりが見て取れる。構図の きれいさに気を取られた思考法はしばしば鋭利さを失うものである。そこからは声が聞こえてこないから。まさにそのことを見田は危惧しつづけてきたのではな かろうか。何しろ、ほかならぬ文学研究が「構図」に足下を掬われてきたのだから。



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khnokuniya shohyo 書評

2011年12月22日

『東京ガールズコレクションの経済学』山田桂子(中公新書ラクレ)

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「ガールズマーケットの誕生」



 本書のタイトルを見て評者が抱いた印象は、「東京ガールズコレクション」(以下、TGC)の市場動向やトレンドを解説したものだろうというものだった。 また、こういったブームを扱った本には、そのブームの内側にいる人がPRを意図して書いたものが多い。しかし、本書はTGCをブームとしてとらえつつも、 一定の距離をとったものだ。そして、その狙いももっと大きなところにある。TGCという現象を事例としながら、「ガールズマーケット」そのものの成立とそ の拡大をさまざまな視点からとらえようとする、実に分析的な本といえる。


 TGCは2005年8月に始まったファッションイベントで、入場者数で見ると06年に2万人を超えその後も増加傾向にある。第1章「一大イベントに成長 した東京ガールズコレクション」で、著者はTGCが「リアルクローズ」(実際に着ることができる現実性の高い服)という言葉を定着させたという。

 だが評者がそれ以上に注目したのは、それが従来の年齢区分とは異なる「ガールズ」というくくり方がなされるようになる嚆矢と位置付けられる点だ(「ガー ルズ」は明確には定義されていないが、年齢でいえば10代からF1層、つまり34歳くらいまでという)。つまり、それまで女性を年齢に応じて細分化してい たファッション業界で、10代からアラサーまでを含む新たな市場、「ガールズマーケット」が誕生する過程に大きな役割を果たしたのだ。そして、その背景に はエイジレスを謳う20代(30代にも拡大しているだろう)の需要があるという。

 第2章「ガールズイベントの戦略は何か新しいのか?」、第3章「どうしてガールズイベントは人気があるのか?」では、TGCの新奇性やその人気の理由が 消費行動モデルや、メディア戦略、タイアップをめぐるケーススタディなどから説明されている。また、第6章「人気の高いガールズブランド」はガールズイベ ントでのそれぞれのブランドの戦略に焦点を当てたものだ。

 評者が特に関心を持ったのは、第4章「市場の主役はギャルからガールズへ」と第5章「ファッション雑誌で見るガールズマーケット」だ。第4章での「ギャ ル」の成立過程をめぐる説明は評者には首肯できない部分もあったが、ギャルからガールズへのマーケットの変化をめぐる説明と、両者の重複や分布をまとめた 図表2「ヤングマーケット分類」(117頁)や図表5「ガールズ雑誌のポジショニングマップ」(142頁)は、整理されていてわかりやすい。

 著者は必ずしも明示的には述べていないが、著者が多用する図式は本書がテーマにするマーケティングに限らず広く使えるものだ。また、そこからはさまざまな興味関心が沸いてくる。

 図表5をもとに述べられる『Can Cam』から『sweet』への人気雑誌の変遷は、ある部分で(例えば、モテ志向から自分志向への変化など)ガールズ文化の大きな変容を示しているだろ う。また、第6章の図表8「ガールズイベント出場ブランドのポジショニングマップ」(171頁)での「ドメスティック/インターナショナル」、「ポピュ ラー/エッジィ」という軸についていえば、そのなかでの地域差やポピュラーさやエッジさの差異などを詳しく見ていくのも面白いだろう。

 ともすればタイトルの「経済学」が読者層を限定しているかもしれないが、ポピュラー文化論やジェンダー論、メディア論などと隣接するものとして広く読まれていい本だ。


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2011年12月21日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年12月17日

『かんさい絵ことば辞典』ニシワキタダシ/コラム・早川卓馬(ピエ・ブックス)

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 京都から東京へ移ったばかりのころ、街中で耳に入ってくるのが関西弁でないのが、なんとも居心地わるかった。

 関東に生まれ育った私は関西弁を話せないが、十何年の関西暮らしで耳は完全に関西仕様になっていたのだ。たまに帰省したとき、母親の関東弁がキツ くきこえて、ふつうに話しているのに、怒られているような気がするほどであった。最初は関西弁のほうがキツく感じられていたのに、関西弁にすっかり慣れて しまったのだ。

 そのため、自分のしゃべりはさておき、電車の中やお店などで、周囲から聞こえてくる標準語のイントネーションにいちいち「あれれ!?」となって しまう。さすがにもう、標準語の耳に切り替わったが、たまたま関西の人の割合が多いあつまりのなかで話をしていたとき、自分がすごくリラックスしているこ とに気づいて、関西弁のちからを感じた。

 あまり耳にすることのなくなった関西弁への懐かしさも手伝って手にとったのがこの本。関西の「ことば」とその意味、関西弁の関するコラムやクイ ズ、マンガ、「かんさいグルメ検定」に「かんさいなんでも相談室」、さらに綴じ込みの「かんさい名所絵すごろく」など、関西にまつわるもろもろの詰まった 関西弁バラエティ・ブック。
 主たる辞典部分には、ことばのひとつずつに、関西弁スピーカーのキャラクターたちが登場し、例として一言しゃべってくれているから、あたまのなかでそれを再現し、あまり耳にすることのなくなった関西弁を楽しむことができる。

 関西弁は、音の上がり下がりがなだらか、譜面におこしたら♯と♭が多そうで、耳触りがやわらかい。
 以前、関西弁を話す女性たちの聞き書きをしたとき、彼女たちの話すままを再現したいと思い、録音したものを一語一句、そのまま原稿に起こしていった。い つものテープ起こしよりも骨の折れる作業ながら、楽しくやりおおせたのは、自分では話すことできないことばの微妙な言い回しをひとつひとつ文字にしていく 楽しさと、そしてなにより、関西弁のきこえのよさのためだったと思う。

 近頃は、関西弁はもちろんのこと、メディアで方言が使われることがたいへんに増えた。私が京都に住みはじめたとき、ここまで関西弁は全国的ではな かった。ちょうど、ナインティ・ナインのTV番組『めちゃ×2イケてるッ!』がはじまった頃のこと。今となっては、人や物が「かっこいい」という意味で全 国的に通じる「イケてる」だけれど、状態が「よい」という意味もあって、それをアルバイト先でしょっちゅう耳にしたのだが、当時の私はその意味がすぐに飲 み込めなかったのだ。

 関西弁とひとことでいっても、地方によって単語も違えば、言い回しもそれぞれ(たとえばここには、「来ない」=「けぇへん」とあるが、京都では 「きぃひん」という言い方をよく聞いた)。だから、関西弁話者にはもの足りないかもしれないけれど、その外側の人たちにはじゅうぶんだろう。

 マンガもとてもかわいくて、つづけて読んでいくと、ちょっとしたストーリーになっているところもご愛嬌。ここには、関西弁の「効能」が、ゆるーくではあるけれど、上手く表現されている。
 居心地悪いとき、困ったとき、不愉快なとき、途方にくれるしかないとき……あまりよろしくない状況に立たされたとき、気持ちに立て直すのに、関西弁ほど 通りのよい、便利なことばはない。それはひとえに、関西弁のイントネーションのやわらかさのためであると私はみているのだが、どうだろう。

 たとえば苦手な人をやりすごすとか、なにかを断ったりしなくてはならないとき、関西弁で返せたら切り抜けられるのになあ、と思うことはよくある。だから、ピンチのときには、せめて関西弁で思考するように心がけでいる私である。



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2011年12月18日

『小説の方法 ポストモダン文学講義』真鍋正宏(萌書房)

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「読んで楽しい文学理論書」

 文学の理論書というと、堅くて、難しいことが書いてあって、睡眠導入剤にはうってつけだが(失礼!)一般の読者が読んでも面白くないと思われがちであ る。高校生に文学を教えている手前、そのような本も結構読むのだが、真鍋正宏の『小説の方法』は面白く、楽しい。種々の理論も紹介されているし、真面目な 理論書なのだが、一冊の小説を読むように一気に読めてしまう。
 真鍋は序章で読書の意義を「文学によって、体験しえない超世界を疑似体験し、想像力を鍛えるというような効用を挙げることができよう。」と述べている。 これは少し前までは当然のことであって、誰でもそう考えていたのではないだろうか。しかし、コンピューターの発達によって、多くの人がそこから情報を得る ようになり、映像文化が私たちの視覚を席巻した今、当たり前の読書の意義が忘れられてきているように思える。

 この作品は第一部が「小説を読む楽しみ」、第二部が「小説を書く楽しみ」となっている。「楽しみ」などという語を使うところが、理論書らしくな く、誘われる。まずは「テクスト」の概念について説明がある。「テクストは、書かれただけでは存在しえず、読者に読まれることによって、初めてこの世に産 声を上げるものと考えるのである。」この後主に西洋を中心とした文学者の理論が紹介されるのだが、全ては私たちの「読み方」へのアドバイスであり、「楽し み方」のヒントとなっている。

 結局の所、私たちは作家が明確な形として書き上げた一つの「作品」を理解しようと読むのではなく、作家がたたき台として提出した「作品」未然のも のを、私たちが読むことによって完成させるのである。「読む」という行為無しに文学作品は完成しない。幾通りもの読みがあれば、幾通りもの作品が現出す る。読者は受動的に作品と関わるのではなく、能動的に作品を完成させる存在となる。ここに読む楽しみが現れてくる。

 第二部では、小説の種々の要素—ジャンル、時間、人物造形等についての解説がある。第一部同様、一般読者が持っている読書行為に対する概念を変え てくれるような、西欧の文学理論が紐解かれる。ここでも強調されることは「想像力」の問題である。映像文化に対抗するために、小説は「想像力を楽しむ部分 を拡張すべき」であると述べ、「小説は、想像力を楽しむ分野であり、決して映像化できないものなのだ」と断言する。ヒットした小説の映画化が小説ほど面白 くなかった、という例は枚挙に暇がないのだから、うなずける。

 この一冊が文学理論書であるのにもかかわらず面白いのは、大学での講義を元にしていることや、真鍋が西洋の文学理論書を原書ではなく翻訳で読んで いることにも理由の一端はあるだろう。だが、それよりも、自己の想像力を使用する力が衰えてきている現代人に、想像することの楽しさを再認識させてくれて くれる事が大きい。さらに、一部の専門家だけが読んで理解するであろう「文学理論」なるものを、分かりやすい言葉で説明し、一般読者と文学研究者との溝を 埋めてくれたことも、重要な要素であるに違いない。


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『新しい世界史へ−地球市民のための構想』羽田正(岩波書店)

新しい世界史へ−地球市民のための構想 →bookwebで購入

 帯に「いま、歴史の力を取りもどすために」とある。著者、羽田正は、「歴史の力」が衰えていると感じ、危機感をもって本書を執筆した。著者が伝えたい メーセージは、「はじめに」でつぎのように書かれている。「現在私たちが学び、知っている世界史は、時代に合わなくなっている。現代にふさわしい新しい世 界史を構想しなければならない」。「いま私たちが身につけている世界史認識はどんなもので、その何がどのように問題なのか、新しい世界史とはどんなもの で、どうすればそれが作り出せるのか、これらの問題を考え、論じてみたい。世界史を語るのではなく、世界史の語り方をあらためて考えるのである」。

 本書は著者が、「ここ数年試行錯誤してきた」「思索の中間報告」である。「まだ完全なものではない」ことを自覚しながら、書かなければならないと思った のは、「現代世界の各地で生じる様々な出来事に関して、従来の世界史理解を無批判に援用し、それを当然の前提として発せられる分析や解説、提案などを読み 聞くにつけ、この現状を変えるべく一刻も早く声をあげねばならないと考えるようになった」からである。そして、「この本がきっかけになって、世界史の研究 方法や教育研究体制についての議論が活発になり、やがて新しい世界史がくっきりとその姿を現し、人々の世界を見る目が変わってゆくことを期待している」。

 著者は、最初の3章(「第一章 世界史の歴史をたどる」「第二章 いまの世界史のどこが問題か?」「第三章 新しい世界史への道」)で、まず史学史をお さえ、つぎに現行の世界史は「日本人の世界史である」「自と他の区別や違いを強調する」「ヨーロッパ中心史観から自由ではない」の3つの弱点があるとし て、その克服を模索し、第四章で自身の「新しい世界史の構想」を披瀝している。そして、「終章 近代知の刷新」で、「本書の主張」をつぎのようにまとめて いる。「私たちが地球というコミュニティの一員であることを強く意識し、地球への帰属意識を高めるためには、どうしてもその歴史、すなわち地球社会の歴史 が必要となる。それは、日本やアメリカ、中国といった別々の国の歴史を集めて一つにした世界史ではない。むろん、ヨーロッパや東アジアなどの地域世界の歴 史を集めて一つにしたものでもない。これらの世界史は、国や地域への帰属意識を高めるものではあっても、地球市民意識の涵養には無力だからである。地球社 会の歴史は、「世界をひとつ」と捉えるとともに、世界中の様々な人々への目配りを怠らず、彼らの過去を描くものでなければならない。新たにそのような世界 史を構想するべきだ」。

 著者の熱い想いは、充分に伝わってきた。だが、著者自身がわかっているように、そう簡単ではない。ヨーロッパ中心史観や自国中心史観など、中心史観は世 界史の妨げになることはわかっていても、自国中心史観の歴史さえを満足に語られていない国はいくらでもある。さまざまな中心史観で語ることが、重要な国や 地域などもある。従来の歴史は、まずわかることから語ってきて、それをまとめたものが「世界史」だった。いま重要なことは、わからなかったために、あるい はわかろうとしなかったために、これまで語られることのなかった歴史を意識することである。これまでに書かれてきた歴史を、わからないことまで含めて相対 化しないと、「知の帝国主義」になって、中心史観から脱するどころか、逆に中心史観を助長することになる。

 たとえば、東南アジア史の概説書を書こうとして、カンボジアの植民地化について『世界各国史 東南アジア�大陸部』(山川出版社)や『岩波講座 東南ア ジア史』を見ると、1863年のフランスによる保護国化以降の記述がないことに気づく。あたかもカンボジアという国が消えてしまったかのように。しかし、 通史や概説書に記述があるからといって、安心できるわけではない。複数のものを見比べると、矛盾があることは珍しいことではない。研究書のように出典が書 かれていないので、どれが正しいのかを判断することはむつかしい。さらに、どの本にも同じことが書かれているからといって、安心できるわけでもない。だれ も原史料に基づいて本格的に研究していないので、間違ったものを検証することなく書き継がれていることがある。本書にある「オランダは1623年のアンボ イナ事件を機にイギリスへの優越を決定的にし、領土獲得にとりかかった」という記述は、17世紀のイギリス東インド会社の文書を読めば間違いであることが わかる。わかっても、日本古代史のように「教科書が変わる大発見」とふうに新聞に載ることもないので、なかなか訂正されない。このように、世界史はおろ か、東南アジアだけでも全体を見渡して正確に歴史を書くことは不可能である。

 では、東南アジア史のように研究の進んでいない分野の研究者を増やすことができるのか。それも、ひじょうに困難である。研究の進んでいる中心史観で語っ てきた研究者は、自分が語る歴史がそれにあたると気づいていない。したがって、研究の進んでいない分野の研究を世界史全体のなかで評価する力がなく、 「劣った」研究であるとみなしがちである。研究蓄積の乏しい分野の研究をし、発表をすると、「本格的な研究ではない」「考察が充分でない」「初歩的な間違 いがある」などと言われることがままある。手っ取り早く研究業績を出したい若手研究者は、研究のしやすい蓄積のある分野のテーマを選んで、時間のかかるわ りに評価されない分野を避ける。ましてや、成果が出るかどうかがわからないようなテーマに、危険を冒してまで挑戦する者はいない。これでは、若手研究者は 出てこない。近代の中心史観の歴史はわかりやすく、教えやすいので、やっかいだ。まずは、研究の進んでいない分野の研究が、いかに世界史認識や歴史学に とって大切かに気づいてもらうための具体的な歴史叙述が必要であろう。本書でも、いくつか紹介されている。つぎに、中心史観で研究業績のある者に、別の視 点からの研究に挑戦してもらうことだろう。岩波歴史選書などに、好例がある。

 著者の焦りはわかるし、このような本が必要なこともわかる。だが、いま個々の歴史研究者がしなければならないことは、原史料に基づいて中心史観から脱し た具体的な歴史叙述を、ひとつひとつ積みあげていくしかないのではないだろうか。それをしていない者が何人集まって議論をしても、空論に終わって、具体的 な成果は期待できないだろう。ともあれ、本書が、「新しい世界史」を考え、議論するための指針となることは、だれもが認めるだろう。

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asahi shohyo 書評

書評

見仏記 ぶらり旅篇 [著]いとうせいこう、みうらじゅん

[評者]奥泉光(作家)  [掲載]2011年12月18日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

表紙画像 著者:いとうせいこう、みうらじゅん  出版社:角川書店 価格:¥ 1,575

■森羅万象を観賞する遊び心

 日本国内はもちろんアジア各地にまで足を伸ばして仏像を鑑賞して 回っては、いとうせいこうが文章を、みうらじゅんがイラストを描く「見仏記」の第一弾が出てから二十年、昨今の仏像ブームの火付け役である本シリーズの最 新刊である。今回は「ぶらり旅篇(へん)」、各地の寺院を足の向くまま巡っては仏像を見まくる趣向である。弥次喜多道中的旅の楽しさが全編に溢(あふ)れ ているのはいうまでもないが、見仏記コンビが鑑賞するのはもはや仏像とは限らない。眼(め)の前に現れる森羅万象が観賞の対象となる。それが猫だろうが饅 頭(まんじゅう)だろうが即座に見仏記は開始される。つまり著者らの見仏は仏像のない所でも行われ、「仏でないものなど、この世にあろうか」とついに記さ れるに至る。すごい境地だ。なにか尊い。しかも笑える。というか尊いものは実は笑えるのだと得心できる。高い境地に遊ぶ著者らの愉悦と幸福感がジャズのラ イブのように伝わる。実際の仏像鑑賞の手引としても好適だ。
    ◇
 角川書店・1575円

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見仏記 ぶらり旅篇

見仏記 ぶらり旅篇 

著者:いとうせいこう、みうらじゅん  出版社:角川書店 価格:¥1,575

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奥泉光




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革新幻想の戦後史 [著]竹内洋

[掲載]2011年12月18日   [ジャンル]歴史 

表紙画像 著者:竹内洋  出版社:中央公論新社 価格:¥ 2,940

 1970年代までのキャンパスは、「左翼でなければインテリにあらず」という革新幻想が支配していた。そんな空気に違和感を抱いてきた42年生まれの著者が自分史とともに過去を見つめ直す。
  敗戦感情には「過ちを繰り返さない」「悔恨共同体」だけでなく、「こんどこそはうまくやろう」という「無念共同体」もあったはずなのに隠されてしまったと 指摘する。55年の「六全協」による共産党神話の崩壊により、政党と無関係な「市民派サヨク」の居場所ができたという。
 東大教育学部における「進歩的教育学者」と教育社会学者の対立、小田実の変遷など、紹介される事例は興味深い。
    ◇
 中央公論新社・2940円

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革新幻想の戦後史 

著者:竹内洋  出版社:中央公論新社 価格:¥2,940

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