天皇と戦争と歴史家 [著]今谷明
[評者]上丸洋一(本社編集委員) [掲載]2012年08月26日 [ジャンル]ノンフィクション・評伝
■皇国史観から自由になれたか
近代日本の歴史家たちは、「天皇」や「戦争」とどう向き合ったのか。
『室町の王権』『信長と天皇』などの著書で知られる日本中世史の専門家が、そうした視点から「皇国史観」の平泉澄(きよし)をはじめ、喜田(きた)貞吉、林屋辰三郎、石母田正ら著名な歴史家の人と学問を描き出す。
なかで興味深かったのは、「権門体制論」の成立をめぐる議論だ。
日本中世の国家体制は、天皇家、公家、大寺社、武家(幕府)などの勢力が競合対立しつつも、相互補完的に構成していた、とみるのが「権門体制論」だ。国史大辞典(吉川弘文館)も岩波日本史辞典も、歴史学者の黒田俊雄(1926〜93)が63年に提唱したと記している。
この通説に本書は異議を唱える。権門体制論の骨格部分は、平泉の『中世に於(お)ける社寺と社会との関係』(26年刊)ですでに提示されていた。黒田はそれを下敷きにしながら、平泉の著作からの引用をあえて避けて、自らの論文に仕立てたのではないか、と著者はみる。
ただし、問題は黒田より、「当時の学界全体がそうした黒田の行論を看過し黙認した、その事実である」と著者は指摘する。皇国史観を忌避するあまり、平泉の 実証主義的な学説を、平泉個人から切り離して学説として尊重する姿勢を拒むなら、「われわれはまだ『皇国史観』の亡霊から自由になっていない、ということ ではないだろうか」と。
このほか、「戦時下、歴史家はどう行動したのか」と題する論文や、歴史家を東西(東大と京大)に分けて論じた「西日本と 東日本では、どうして歴史観が違うのか」、さらに「網野善彦は戦後歴史研究とどう対峙(たいじ)したのか」などの論文を収録。いずれも、学問上の立場を越 えた先学への敬意が行間ににじむ。願わくば、歴史家たちの面貌(めんぼう)(顔写真)にもふれたかった。
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洋泉社・3360円/いまたに・あきら 42年生まれ。帝京大学教授。著書『象徴天皇の源流』など。
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