〈文化の扉〉はじめての「アダム・スミス」
[掲載]2012年08月27日
知名度は抜群なのに、マルクスやケインズのように熱っぽくは語られない。残した言葉「見えざる手」だけが、妙に知られる経済学の父が言いたかったこととは?
産業革命以前の英国スコットランドの港町生まれ。36歳で出版した「道徳感情論」で注目を浴び、地元の大学で教授として、教壇に立った。「経済学の父」と呼ばれるのは後の話で、当時、まだ経済学の講座はない。講義は、論理学や道徳哲学などだ。
だが、死去から200年以上経った今では、市場経済の守護者のように語られる。
2005年、米国の中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長(当時)はスミスの生地を訪れ、「現在の世界の発展に寄与 した巨人」とたたえた。自由な市場が成長と安定をもたらすことを証明したという理由だ。中国の温家宝首相も09年、英紙の取材に愛読書として「道徳感情 論」をあげ、社会の安定には、市場と道徳の二つの領域での「見えざる手」が必要との考えをスミスが残した言葉で説いた。
「神の」という枕詞(まくらことば)に続いてよく使われる「見えざる手」。実はスミスは、この言葉を主著の「国富論」と「道徳感情論」でそれぞれ1回ずつしか使っていない。
「国富論」で「自己利益の追求」の文脈で使ったため、「自由放任を説いた」などとその後の書物で書かれた。好き勝手に競争すれば、神の見えざる手が導いてくれ、すべてうまくいく——。そんな「市場万能主義」を正当化していると思われがちだ。
だが、堂目(どうめ)卓生・大阪大教授(経済思想史)は「完全な誤解です」と指摘する。「正義にかなった経済活動をすれば」という条件をスミスは課していたという。
市場重視のスミスは、当時の重商主義に批判的だった。国内産業を保護して金の蓄積を図るため、国家との癒着や既得権益が維持されやすい。「国が経済を引っ張ることはない。見知らぬ人を結びつける市場が富を生み出し、社会を豊かにすると考えていた」
「正義にかなう」行為とは、何なのか。堂目さんは「フェアプレーの精神です」と話す。心の中で、他人の立場から見ても自分の振るまいは道徳的に正しいと思える。そういう感情だ。
スミスは「道徳感情論」でこうした感情のメカニズムを分析、社会をまとめるルールと考えたという。「市場を他人と豊かになれる場所と捉えた哲学者だった」
母国英国で今夏、大手金融機関による金利の不正操作が明るみに出た。リーマン・ショック以降、「身勝手なプレー」ばかりが目立つ金融市場は政府を翻弄(ほんろう)し、市民の生活を脅かす存在になった。
経済入門書作家の木暮太一さんは「スミスは富を生む市場についてだけではなく、幸福につながる経済とは何かを考えていた」と話す。グローバル時代に「幸福につながる」市場とは。改めて突きつけられている課題に、スミスはどう答えるだろう。(高久潤)
■極論も語る現実主義者 作家・橘玲さん
スミスは、ラジカルに制度や社会を変える急進的な思想家ではありません。現実主義者だったと思います。
「国富論」は経済理論の本と思われがちですが、現実社会への具体的な政策提言もたくさんしている。植民地インドを放棄し、米国の自主独立を認める。当時の 主流から見ると極論だったと思います。急激な社会変化は、痛みが伴うことを知る現実主義者でありながら、理論的には極論も語れる。そんなめずらしいタイプ の人だと思います。
道徳理論や経済メカニズム、法学など業績は多い。でも、スミスの特徴はなんと言っても国家より市場が道徳的な存在だと考えたことです。
市場の弊害が何かと語られる現代から見ると、のんきな議論と思う人もいるかもしれません。でも、どうでしょう。20世紀の歴史だけを振り返っても、悲惨な 出来事は国家の暴力が生み出しています。2世紀以上前に気づいていたことになります。福祉国家が立ちゆかなくても、市場より政府に温かさを感じる人が今で もずいぶん多いのとは対照的です。
今、スミスが生きていたらですか? 現代の「極論」を支持するのではないでしょうか。政府をできる限り小さくするリバタリアニズム(自由至上主義)です。日本に根付くことはないと思いますが。
〈読む〉
あまり人生が知られていないスミスの本格的な伝記は、ロス著『アダム・スミス伝』(シュプリンガー・フェアラーク東京)。ただ2段組み500ページ超の大 著だ。もう少し気軽に読むならジェイムズ・バカン著『真説アダム・スミス』(日経BP社)を。放心癖があった若い時の逸話やヒュームら同時代の思想家との やりとりもわかる。
〈挑む〉
晩年まで何度も書き直された2冊の著作を最後まで読み進めるのはたやすくない。堂目卓生『アダム・ スミス』(中公新書)、木暮太一『いまこそアダム・スミスの話をしよう』(マトマ出版)をガイドに。「スミスの理論があてはまるのは中国では?」という仮 説を立てたジョバンニ・アリギ『北京のアダム・スミス』(作品社)も、大著だが挑戦しがいはある。
0 件のコメント:
コメントを投稿