2012年8月19日日曜日

asahi shohyo 書評

ロウソクの科学[著]ファラデー[訳]三石巌

[評者]最相葉月(ノンフィクションライター)

[掲載] 2012年08月17日

表紙画像 著者:ファラデー、三石巌  出版社:角川書店 価格:¥ 540

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■ファラデーに学ぶ科学の入り口

 夏休みも残すところ、あと半月あまり。もし子どもたちが自由研究で悩んでいたら、気分転換も兼ねて、ぜひ一緒に読んでみてほしい本がある。
 電気分解の法則や電磁誘導の発見で知られる電気史の偉人、マイケル・ファラデーが、1860年12月27日から翌61年1月8日にかけてロンドンの王立研究所で行ったクリスマス連続講演をまとめた『ロウソクの科学』だ。
 科学は苦手だから、ちょっと……。そんな科学アレルギーをお持ちのお父さんでも心配はいらない。少年少女を含む一般市民を対象にした講演だから、難解な専門用語は一切登場しない。実験器具はどれも小中学校の理科教室で見たような初歩的なものばかり。
  なにしろファラデー自身、家計を助けるために製本屋で働いていた頃、運よくもぐりこんだ講演会場で電気分解の先駆者ハンフリー・デービー卿の話に魅せられ て科学の道に進んだ人だ。どんなふうに話をすれば聴衆の関心を惹(ひ)きつけられるか、綿密に研究した講義ノートをつくって臨んでいたし、当日は、科学者 である以前に〈ひとりの青年〉として、〈もっとも近しい人に話しかけるのと変わらない親しさで講演する気持ち〉で語りかけることを心がけていた。
 知性とウイットと遊びに富んだファラデーの講演はすでにロンドンの人気イベントで、この日も、満員御礼の賑(にぎ)わいだったという。
 講演は、こんな口上で幕を開けた。
 〈この講演で、どんな話がでてくるかをたのしみにお集まりくださったことの光栄にこたえるために、私は一本のロウソクをとりあげて、皆さんに、その物質としての身の上話をいたしたいと思います〉
  〈ロウソクの身の上には、あちらから見てもこちらから見ても、興味をそそる話の種だらけでして、それが科学のいろいろな分野につながる道の多様なことは、 まったく驚くほかありません。この宇宙をまんべんなく支配するもろもろの法則のうちで、ロウソクが見せてくれる現象にかかわりをもたないものは一つもない といってよいくらいです〉
 ガス灯が街路を照らし、産業革命の波が人々の暮らしを急速に変えつつあった時代に、ファラデーはあえて、室内灯としてどこの家庭でも使われていたロウソクを案内役に抜擢(ばってき)したのである。
  テーブルの上に、さまざまな色や形のロウソクが並んだ。松明(たいまつ)として使われるアイルランド原産のロウソクの木、牛脂製のひたしロウソク、〈私た ちが開国させたおかげで、あの世界のはての日本からとりよせることのできたロウソク〉もある。沈没した軍艦から引き揚げられたロウソクが燃える姿を目の当 たりにした観客は、たとえ水浸しになっても、ロウソクは熱で本来の性質を取り戻すことを理解した。
 ロウソクに火をつけ、ファラデーは問いかけ る。ロウソクは固体なのに、なぜ炎のある芯のてっぺんまで上っていくことができるのか。炎を吹き消すと、固体だったはずのロウソクが蒸気になって立ちのぼ るのはなぜか。「何が原因だろうか。何でそんなことがおこるのだろうか」。そんなファラデーの問いは、観客の問いと重なり、会場にいる全員が自然の探究者 になっていく。
 同じ言葉を繰り返したり、訂正のために話を戻したりすることはない。家に帰ったあとで観客が真似(まね)できるように、どんな家にもある物を使って誰もが同じ結果を見いだせるような小規模な実験も紹介した。
  立方体の箱を重ねて気体に重さがあることを示す。赤ん坊の吸い口をテーブルに投げつけて吸着させ、大気の圧力を説明する。金属溶液を用いたボルタ電池で披 露するのは、ロウソクから生成された水の電気分解だ。とりわけ目を瞠(みは)るのが最後の第6講で、呼吸と燃焼の関わりを説明するくだりである。
  ファラデーは、石灰水を入れたびんに息を吐き出して水を濁らせ、これがロウソクが燃えたときに空気中に立ちのぼる二酸化炭素と同じであると説く。次に、木 の葉を示しながら、自分たちにとって有害と思われた炭素が一方で植物の生命を維持するために必要なものであると語り、こう続けたのである。
 〈このようにして私たちは、ただ仲間の生物だけでなく、すべて生きとし生けるもの同士の頼りあいをつくっているのであります。すべて造化は、一つの部分が他の部分の善として貢献するという法則によって、結びつけられているのであります〉
  生態系という言葉も概念もない頃である。ロウソクの身の上話からこんな遠い場所に連れて行かれるとは、聴衆の誰が想像しただろう。ここに登場する実験は、 今では高校生までに学校で教わる基本的なことだ。ところどころ古くなった記述もある。だが、そんな現代の目線で本書を批判するのは筋違いである。
  もし、ファラデーが発電の基本原理である電気と磁気の相互作用を発見していなければ、街はいつまでも闇に包まれ、ロウソクに頼る生活がまだまだ続いていた だろう。光が電磁波であり、粒子でもあることも容易には見いだせなかっただろう。量子力学の誕生はもっと遅れただろうし、アインシュタインの相対性理論も これほど早く導き出されなかっただろう。もちろん、今年2012年、世界がヒッグス粒子の発見に沸くこともなかったはずだ。
 科学の発見は、ファ ラデーがここで示したような素朴な探究心と、一つ一つの小さな奇跡の積み重ねによって導かれ、壮大な自然の摂理と宇宙の神秘を読み解くための礎となる。ロ ウソクの科学を軽んじれば、私たちが直面する地球温暖化の謎も、原発事故の原因も決して解明されないだろう。たった1本のロウソクが、自然を探究すること の尊さと、科学を理解することの大切さを現代の私たちに教えてくれるのである。
 ファラデーは、当時69歳。ロンドンっ子たちに最高のクリスマスプレゼントを贈った7年後の1867年、自宅の椅子に腰掛けたまま眠るように世を去ったという。〈あの世界のはての日本〉に文明開化の鐘が鳴り響く、ほんの数年前の出来事だった。
    ◇
  なお、本書には多くの翻訳があり、電子書籍には、1962年刊行の角川文庫版(三石巌訳)と2010年に新訳で刊行された岩波文庫版(竹内敬人訳)があ る。岩波文庫版はそれまでドイツ語からの重訳で刊行されていたものを、竹内氏が原典に忠実に訳し直したものだ。現代の若い読者にも理解しやすいよう新しい 情報を加えた丁寧な注釈や、ファラデーの人となりを伝える「ファラデー 人と生涯」という小伝もついている。より平明な文体を好み、本書成立の背景などを 知りたい方は竹内訳をおすすめする。本稿は、私が多少古めかしくても味わい深い文体が好きなため、引用には三石訳を使用し、事実関係については竹内訳に依 拠した。

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