2013年09月17日
『エビと日本人�−暮らしのなかのグローバル化』村井吉敬(岩波新書)
「二〇年経った」で始まる本書は、『エビと日本人』(岩波新書、1988年)の続編である。著者、村井吉敬は「この二〇年、エビとそれを取り巻く世界もかなり大きな変化に見舞われた。その変化が何なのか、そのことを本書のなかで記していきたい」という。
「この二〇年の間にエビ生産に関して起きたもっとも大きな変化は、二〇年前にすでに予兆があったことだが、養殖エビの大隆盛である」。それより大きな変 化は、消費の側でおこった。20年前には、世界第2位の経済大国日本が消費者で、生産者はアジアの第三世界の国ぐに・地域だった。アジアの南北問題として 語ればいい単純なものだった。それが、つぎのように変わった。「この二〇年ほどの間にエビ輸入(消費)の世界で起きたことは、北米や中国、ヨーロッパでエ ビの消費量が伸びた一方、日本では一九九七年をピークに消費量が減少傾向にあり、輸入世界一がアメリカにとって代わられたということだ。もはや「日本人は 世界一のエビ好き民族」と言えない状況になってきている。アメリカが輸入世界一になっただけでなく、中国、韓国、マレーシア、タイなどアジア新興工業国が 台頭してきている。中国は輸入金額で第八位、マレーシア一二位、韓国一三位、タイ一八位となっている。エビは「経済成長商品」であると言えよう。『エビと 日本人』で、わたしは「北は食べる人、南は獲る人」と言った。この構図は大きくは変わっていない。二〇〇四年の輸入金額データを見ると、アメリカ、日本、 EUの世界輸入全体に占める割合は実に九三・四%にもなる。EUすべてが先進工業国でないとしても、二〇年経った現在も「北は食べる人」の構造は変わって いない。しかし、南は「獲る人」だけでなく、今や「養殖する人」にもなった。そして「南」であったアジアは経済成長のなかで「食べる人」に変身しつつあ る」。
国単位で考えてきた近代の関係が、グローバル化のなかで複雑になってきたことがわかる。「にもかかわらず、エビ貿易の世界に「民主化」という言葉が当て はまるかどうか分からないが、「食べる・生産する」の南北分業から見る限り、エビ貿易の民主化はまだまだという現状がある」。つまり、国と国との関係だけ ではなくなっても、生産、流通、消費の基本構造は変わっていないということである。
著者は、「エビを通して見えること」で、エビは「食べ過ぎ」だろうかと問い、「安易な結論を出すつもりはないが」、つぎの4つの要因をあげて、「やはり 食べ過ぎであると言わざるを得ない」と結論している。「まず第一に、養殖エビは環境にやさしくない。多くの養殖池は、マングローブ林を破壊して成り立って いる」。「第二に、エビは安全な食べものかどうかということに対してはっきりと「イエス」とは言えない面がある。わたしが池の現場で目撃した抗生物質やそ の他の薬品について、残念ながらはっきりした答えが出せていない。日本の検疫でも食品衛生法違反の事例が多数あげられている」。「第三に、輸入に依存しす ぎるという問題がある」。「自給率一〇%にも満たない」。「ひとたび輸入に多くを頼ると後戻りするのは至難の業なのかもしれない」。「第四、これはもっと 厄介なことである。背ワタを朝から晩まで取り続ける労働者のこと、あるいは池でその日その日に雇われ、最低賃金水準すら稼げない人びとのことである。労働 疎外や貧困に関わることである」。
そして、著者が行き着いたのがフェアトレードである。つぎのように説明して、本書を閉じている。「フェアトレードの「商品」を通じて見ると、思わぬ関係 性が見えてくる。この「商品」は、ただ需要と供給という市場原理で価格づけがなされる商品ではない。安全性、公正、環境の持続性、これらを含む新たな価格 づけがなされた「商品」である。消費者も生産者も、この新たな「商品」に自覚的に向き合うことが求められる。ひたすら背ワタを取り続ける労働は疎外労働で ある。ただ電子レンジで「チン」するだけの消費行動は人間的な消費とは言えない。労働者も生産者も消費者も、やはり、互いに「顔の見える関係」に向かって 歩んで行くのがよいと考える。その意味で、「フェアトレード」はそのための大事な手だてではないだろうか」。
1988年発行の『エビと日本人』は、構造が単純でわかりやすかった。しかし、20年後、世界的に見ても、1国内で見ても、より複雑になってきている。 「最上流」の労働者も「最下流」の消費者も、なにも考えなければ、ただたんに生活のために小金を稼いだり、うまいものを求めて食べたりするだけである。 「フェアトレード」は、たしかに生産者と消費者を結びつける。著者は、「石油やエネルギー」もフェアトレードできないか、「やや真面目に」考えはじめてい た。FTAだのTPPだの、モノやヒトが動けば動くだけ、利益を得るものがいる。大量に扱えば扱うほど、支配力が強くなる。そんななかで、フェアトレード がどう生き延びるのか、本書が提起したことを今後も考えていきたい。
「この二〇年の間にエビ生産に関して起きたもっとも大きな変化は、二〇年前にすでに予兆があったことだが、養殖エビの大隆盛である」。それより大きな変 化は、消費の側でおこった。20年前には、世界第2位の経済大国日本が消費者で、生産者はアジアの第三世界の国ぐに・地域だった。アジアの南北問題として 語ればいい単純なものだった。それが、つぎのように変わった。「この二〇年ほどの間にエビ輸入(消費)の世界で起きたことは、北米や中国、ヨーロッパでエ ビの消費量が伸びた一方、日本では一九九七年をピークに消費量が減少傾向にあり、輸入世界一がアメリカにとって代わられたということだ。もはや「日本人は 世界一のエビ好き民族」と言えない状況になってきている。アメリカが輸入世界一になっただけでなく、中国、韓国、マレーシア、タイなどアジア新興工業国が 台頭してきている。中国は輸入金額で第八位、マレーシア一二位、韓国一三位、タイ一八位となっている。エビは「経済成長商品」であると言えよう。『エビと 日本人』で、わたしは「北は食べる人、南は獲る人」と言った。この構図は大きくは変わっていない。二〇〇四年の輸入金額データを見ると、アメリカ、日本、 EUの世界輸入全体に占める割合は実に九三・四%にもなる。EUすべてが先進工業国でないとしても、二〇年経った現在も「北は食べる人」の構造は変わって いない。しかし、南は「獲る人」だけでなく、今や「養殖する人」にもなった。そして「南」であったアジアは経済成長のなかで「食べる人」に変身しつつあ る」。
国単位で考えてきた近代の関係が、グローバル化のなかで複雑になってきたことがわかる。「にもかかわらず、エビ貿易の世界に「民主化」という言葉が当て はまるかどうか分からないが、「食べる・生産する」の南北分業から見る限り、エビ貿易の民主化はまだまだという現状がある」。つまり、国と国との関係だけ ではなくなっても、生産、流通、消費の基本構造は変わっていないということである。
著者は、「エビを通して見えること」で、エビは「食べ過ぎ」だろうかと問い、「安易な結論を出すつもりはないが」、つぎの4つの要因をあげて、「やはり 食べ過ぎであると言わざるを得ない」と結論している。「まず第一に、養殖エビは環境にやさしくない。多くの養殖池は、マングローブ林を破壊して成り立って いる」。「第二に、エビは安全な食べものかどうかということに対してはっきりと「イエス」とは言えない面がある。わたしが池の現場で目撃した抗生物質やそ の他の薬品について、残念ながらはっきりした答えが出せていない。日本の検疫でも食品衛生法違反の事例が多数あげられている」。「第三に、輸入に依存しす ぎるという問題がある」。「自給率一〇%にも満たない」。「ひとたび輸入に多くを頼ると後戻りするのは至難の業なのかもしれない」。「第四、これはもっと 厄介なことである。背ワタを朝から晩まで取り続ける労働者のこと、あるいは池でその日その日に雇われ、最低賃金水準すら稼げない人びとのことである。労働 疎外や貧困に関わることである」。
そして、著者が行き着いたのがフェアトレードである。つぎのように説明して、本書を閉じている。「フェアトレードの「商品」を通じて見ると、思わぬ関係 性が見えてくる。この「商品」は、ただ需要と供給という市場原理で価格づけがなされる商品ではない。安全性、公正、環境の持続性、これらを含む新たな価格 づけがなされた「商品」である。消費者も生産者も、この新たな「商品」に自覚的に向き合うことが求められる。ひたすら背ワタを取り続ける労働は疎外労働で ある。ただ電子レンジで「チン」するだけの消費行動は人間的な消費とは言えない。労働者も生産者も消費者も、やはり、互いに「顔の見える関係」に向かって 歩んで行くのがよいと考える。その意味で、「フェアトレード」はそのための大事な手だてではないだろうか」。
1988年発行の『エビと日本人』は、構造が単純でわかりやすかった。しかし、20年後、世界的に見ても、1国内で見ても、より複雑になってきている。 「最上流」の労働者も「最下流」の消費者も、なにも考えなければ、ただたんに生活のために小金を稼いだり、うまいものを求めて食べたりするだけである。 「フェアトレード」は、たしかに生産者と消費者を結びつける。著者は、「石油やエネルギー」もフェアトレードできないか、「やや真面目に」考えはじめてい た。FTAだのTPPだの、モノやヒトが動けば動くだけ、利益を得るものがいる。大量に扱えば扱うほど、支配力が強くなる。そんななかで、フェアトレード がどう生き延びるのか、本書が提起したことを今後も考えていきたい。
Posted by 早瀬晋三 at 2013年09月17日 10:00 | Category : 社会
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