縄文人に学ぶ [著]上田篤
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授) [掲載]2013年09月08日 [ジャンル]歴史 社会
■時代ごとのユートピアを映す
われわれは、第2次大戦後2回目の「縄文ブーム」の中にいる。1回目は1960年代で、中心人物は岡本太郎。2回目は、90年代以降の「環境の時代」に呼応する形で盛り上がった。「環境にやさしい文明」としての縄文評価で、焦点がはっきりと異なっている。
著者は1回目の縄文ブームに、当事者の一人として立ち会った。70年の大阪万博のお祭り広場の計画に携わった著者は、万博の総合プロデューサーをつとめた 建築家丹下健三の事務所を訪ね、広場の中心に屹立(きつりつ)する太陽の塔をデザインした岡本太郎に出会う。塔の模型を見て「これは何ですか」と問うた著 者に対し、岡本は、「縄文だ!」といったきり黙ったそうである。マッチョな高度成長時代にふさわしいエピソードである。
一方、90年代以降の縄 文ブームの縄文は本書が詳述するように、女性的でやさしい文明として定義される。その本質は男性的で血なまぐさい狩猟文明でもなく、効率重視の農業文明で もない、繊細な採集文明であった。日本独特の地形の中で食料、エネルギー共に自給自足する縄文の小集団は、3・11以降の社会の理想モデルなのかもしれな い。男女関係でいえば、妻問い婚を基本とする母系社会で、今日はやりの、女性依存型の頼りない男性像の原型を見ることもできる。
細部の記述にはバイアスがききすぎた推測も多々見受けられる。しかし、これは学術書でなく、今という時代が求めるユートピアを「縄文」という形をかりて描いた一種の神話だとわりきって読めばいい。
時代が危機に遭遇すると、日本人はそれぞれが理想の「縄文」を創造して軌道修正をし、精神的バランスをとってきた。別の危機がくれば、また別の「縄文」が 創造されるであろう。日本人は「縄文」というガス抜き装置のおかげできびしい今日をしのいでいる。そのしぶとさこそが、まったくもって縄文的というべき か。
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新潮新書・756円/うえだ・あつし 30年生まれ。建築学者、評論家。著書に『五重塔はなぜ倒れないか』など。
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著者:上田篤/ 出版社:新潮社/ 価格:¥756/ 発売時期: 2013年06月
著者:上田篤/ 出版社:新潮社/ 価格:¥1,470/ 発売時期: 1996年
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