2013年1月11日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年12月29日

『モールス電信士のアメリカ史』 松田裕之 (日本経済評論社)

モールス電信士のアメリカ史 →bookwebで購入

 副題に「IT時代を拓いた技術者たち」とあるように19世紀の通信革命に現在のインターネット革命の原型を見ようという本である。『ヴィクトリア朝時代のインターネット』とテーマは共通するが、『ヴィクトリア朝』が腕木通信を含めた大西洋両岸の通信革命を巨視的に描いているのに対し、本書はアメリカの電信事業の栄枯盛衰に話を絞っている。

 アメリカに限定したことで現代のインターネットとの相似はより一層はっきりした。ヨーロッパでは腕木通信が政府の事業だったこともあって電信事業 は早い段階から政府に管掌され、電信士も公務員化したが(日本も同じである)、アメリカでは電信事業は一貫して民営ベースで営まれ、電信士にも腕一本で世 渡りする「電鍵無宿」的な生きかたをする者がすくなくなく、元祖「ネチズン」的な世界を作りあげていた。

 インターネットはアメリカで誕生したシステムであり、ドメインの管理は公的機関ではなく株式会社がおこなっているというように基本的に民営ベース で営まれている。IT技術者やIT起業家にも腕一本で世渡りしようという気概がある。アメリカの電信事業はインターネットの原型そのものだと言っていい。

 本書は電信技術の沿革を簡単に紹介した後、電信士のキャリア形成に筆をすすめる。電信士になろうという若者は貧しい移民が多かった。モールス通信という技能を身につければ格段にいい条件で就職できたからだ。

 著者は例として二人の人物にスポットライトをあてる。鉄鋼王となったアンドリュー・カーネギーと発明王エジソンだ。

 カーネギーの父親はスコットランドの織物職人だったが、機械化で仕事を失い、一家でピッツバーグに移住する。父親はテーブルクロスの行商をするが 食うや食わずで、アンドリューは13歳で週給2ドルの糸巻製造工場の見習になる。15歳で電報配達員になり、勤務のはじまる前と後に電信室で練習をして、 17歳で月給25ドルの正電信士に。2年後、月給35ドルでペンシルバニア鉄道に引き抜かれる。

 26歳の時南北戦争が勃発。ペンシルバニア鉄道は北軍に協力し、カーネギーは陸軍軍属となって連邦陸軍電信隊を結成し緒戦で活躍する。カーネギーは体を壊して戦線を離れるが、この時の功績で北軍勝利後実業家として飛躍するチャンスをつかむ。

 エジソンは小学校をやめ、駅で新聞の売子をしていた時に電信に興味を持ち、手製の電鍵と電池で電信を独学する。15歳の時、駅長の息子を貨物列車 から救った縁で鉄道電信士になり、「塩まき」とよばれる新人の腕試しで逆に古参電信士をやりこめるほどの抜群の聞きとり能力を武器に中西部の駅をわたりあ るく。

 カーネギーやエジソンのような大富豪になった電信士は例外中の例外だが、アメリカン・ドリームにつながる職業であったことに間違いはない。

 カーネギーが南北戦争で活躍したと書いたが、彼が戦線を離れた後、北軍の占領地域が拡がり、それにともなって通信路が延び、大量の電信士が必要に なった。ウェスタン・ユニオンの幹部だったアンソン・ステガーが電信総監に就任したが、彼は機密と暗号を守るために電信士や修理工、敷設工を電信総監に雇 われた軍属身分にし、軍の指揮系統から切り離した。

 電信会社と鉄道会社から若い電信士が千人以上動員され、岩や木の陰、塹壕に身を隠しながら、時に数千語にも及ぶ暗号文を方面軍司令部や各連携部隊に打電したり、敵地深く侵入して敵軍の電線路から電文を傍受するという危険な任務に従事した。

 しかし正式な軍人ではなかったために敵軍に捕まると捕虜にはなれず、監獄につながれたり処刑されることもあった。負傷したり戦死しても軍からは保 証されず、軍務を解かれた後も秘密保持義務を課された上、軍人恩給にもあずかれなかった。北軍は電信士を使い捨てにしてしまったのである。

 南北戦争は従軍した電信士にとっては災いだったが、彼らの犠牲によって電信士の社会的地位が高められたのも事実だった。リンカーンは毎日電信本部に通い、時には臨時閣議を開くこともあった。電信は世界の政治指導者にとってなくてはならぬシステムとなった。

 電信は貧しい移民青年だけでなく女性にもチャンスをあたえた。電信士は電鍵をたたき、信号音を聴きとるというデスクワークなので、女性でも男性に 伍して働くことができた。経営側も安く使える女性電信士を歓迎した。1846年にマグネティック・テレグラフ社のローウェル支局はローウェル婦人労働改革 協会の創設者であるサラ・バッグレイを責任者に抜擢し、女性電信士を採用した。これをきっかけに女性電信士が増えた。1856年に65の独立系電信会社を 吸収してウェスタン・ユニオンが誕生すると電信士を確保するために女性向けの無料通信教育を開始した。

 本書では電信界の女丈夫が多数紹介されているが、中心となるのは『大草原の小さな家』の原作者ローラ・インガルス・ワイルダーの次女であるローズ・ワイルダー・レインと、女だてらに渡り電信士として電鍵渡世を送ったマ・カイリーである。この二人については『ドレスを着た電信士マ・カイリー』という本が別に書かれているので言及するだけにとどめよう。

 

 モールス符号を習得したい人向けに信号音を録音したCDが書籍の形で発売されている。そこまで興味はないが、ちょっとだけ聞いてみたい人は『はじめてのモールス通信』という本のサポートページで公開されている音源を聞いたらどうだろうか。

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Posted by 加藤弘一 at 2012年12月29日 23:00 | Category : 歴史





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