古井由吉さん 衰えゆく言葉を鍛えよ
[掲載]2013年01月08日
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閉塞(へいそく)と嘆いて成長を夢見るより、限界を見通して社会を変質させるべきではないか——作家、古井由吉は提言する。昨年、『古井由吉自撰作品』全8巻を刊行、50年近く言葉と取り組んできた作家が見る未来は。
——3年前、世界は「限界期の入り口」にきていると語っていました。
地球上の人口と平均的な生活水準、水や食糧にエネルギーの需要を考えた時、成長の限界が見えてきたと話した。悲観するより、限界が前方に見えてきたという基本的条件の下、世界全体が変質しないと人類がもたないのではないか、と。
——その後、東日本大震災がありました。
地震の時は東京の自宅にいました。揺れ勝っていく間、爆弾か焼夷(しょうい)弾が落ちてくる時のような、人の感受性には耐えられないような限界期の間際と いうものを思い出し、生涯みたいに長く感じられた。思いも寄らないことだったが、夢にも思っていなかったかというと、そうとも言いきれない。
こ の前の戦争は、大半のイメージとは違ったものだった。目標を狙ってたたくのではなく、あまねく殲滅(せんめつ)するという思いも寄らぬことがおこり大変な 恐怖と恐慌があった。焦土作戦は組織的計画的な手法だ。攻める立場からすると、ある種のプロジェクトの実行。それが戦後、経済成長に使われた。大量生産、 大量販売を効率よくするため、すべてを平たくならす。「限界期」は、その手法で文明を展開させてしまった因果です。
■常套句ほぐし、思考の流れに乗る表現を
——歴史・哲学・言語を含めた文学の欠如のために世界は復讐(ふくしゅう)されるかもしれない、と発言しています。
欠如とは、言葉の衰えです。言葉はその国の歴史の流れの中で自然に展開していくが、現代は、歴史から切り離された新造語が、特に経済で多いのではないか。 例えばイノベーション。新しくするという意味だが、リフォームとかありふれた言葉を使わず、流れから断ち切られた言葉がなぜか突然出てきた。金融工学もイ ノベーションという概念に推されたはず。言葉はおのずから人の考えを検証する。思ったことを口に出してみたら、とんでもないことだったとか。その抑制力が ずいぶん失せてきた。
——どうしたらその欠如に気がつくのでしょう。
それはなにも、ものを読めということではない。自分が微妙な立場にあり、世間の微妙さと通じていて、表現がたいそう難しいというところに立ちいたった場合、その職業の中で言葉を鍛えておくということがあるのではないか。
選挙の時、政治家の発言を比較検討しようと思ったが、常套句(じょうとうく)が並べられていて区別がつかなかった。変革的な話も常套句でつながれるとわか らない。だから、いくら討論してもらちがあかない。政治も経済も、常套句をほぐして思考の流れに乗る言葉で話すようになれば、一つの変化になるだろう。
政治家が危機を感じてないとは思わないが、成長を約束する方向でものを言わなくてはならなくて、危機感をまともに表明できない苦しさがあり、言葉もおのずからそういう言葉になる。自分で表現を考えている暇(いとま)は少ないのではないか。
■限界が見えれば、腹を据えて生きられる
——テレビ討論など、反射神経でやりとりしているようです。
本来は、いまのような複雑な世では、一つの考えや状態を人に伝えるのに、どうしてもワンセンテンスの呼吸が長くなるはずなんです。切れ切れの話でやったら らちがあかない。もちろん、複雑な事態を複雑なまま、できるだけ正確に伝えるのは難しいが。まずは、一つ呼吸を長くする、というようなことでしょうか。
限界期が一般に見えてこないと、言葉は生きてこないのではないかとも思う。簡単にいうと世界中で水が足りないなどの危機に迫られた時、伝達は死活問題になる。その時に言語がよみがえるのではないか。
——震災後、日本は変わるかと思ったのですが。
まだ、何とか間に合わせているから。原発が使えない場合のシミュレーションがはっきり出たら、生活を改めないといけなくなるでしょう。代替でも、巨大エネ ルギーの採取にはリスクが伴うはずです。かなりの電力消費に基づく暮らしは後戻りできないところにきている。苦しいですよ。
——限界を先延ばしする手段はありますか。
70年ごろ、がんは征圧され、核分裂ではなく核融合で無限の電力ができるといわれた。いまだに実現していない。米国で90年代から開発された金融工学に よって、はてしなく豊かになるかと思ったらリーマン・ショック。大きな変化とか変革をもたらす技術の展開はどうも望めないらしい。
行き詰まりが 前方にみえれば、ただ生きて暮らすことに緊張がよみがえり、かえって衰弱から守られ活力がでると思う。腹を据えて生きるということでしょうか。年譜をみれ ば震災、洪水、干ばつ、疫病は繰り返しおこり、そのたびに大勢の犠牲者を出して痛手を被りながら、展開してきた。誰かが言っていた、我々はたいそう強いは ずだ、数知れずの災害を生き残ってきたものの末裔(まつえい)だから、と。
守りの時でしょう。守る方が複雑で個々の負担が重くなるが、滅亡の時 期を遅らせるためには必要なこと。日本人は、改革は苦手だが、弥縫(びほう)つまり取り繕いは得意。姑息(こそく)に見えるが、なかなかの美徳と効用があ る。笹子トンネルの事故があったが、問題は弥縫をやる資金すらなくなってきたこと。そこをみんなで考えていくしかない。(聞き手・吉村千彰)
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ふるい・よしきち 1937年東京生まれ。東京大大学院修了(ドイツ文学)。金沢大講師、立教大助教授をへて専業作家に。71年「杳子」で芥川賞受賞、 「内向の世代」の代表格に。83年「槿(あさがお)」で谷崎潤一郎賞、90年「仮往生伝試文」で読売文学賞、97年「白髪の唄」で毎日芸術賞を受賞。以降 は賞を辞退している。86〜2005年、芥川賞選考委員。熱烈な競馬ファンでもある。
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