武智鉄二、多彩な顔の奥 よみがえる昭和の文化怪人
[掲載]2013年01月28日
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ある時は古典に厳密な歌舞伎演出家、またある時はわいせつも辞さぬ前衛的映画監督、と思えば評論家、美術収集家、競馬予想家、役者……。いくつ顔 を持つのかも定かでない男、武智(たけち)鉄二。このところその名をしばしば目にする。やけに気になる。昭和の文化怪人がよみがえろうとしている。
昭和の終わり、1988年に没した武智は12年生まれ。昨年が生誕100年に当たる。これに合わせ、数年前から評伝や多彩な業績を振り返る書物も相次いで出た。
父の残した資産を費やし、戦争のまっただ中で続けた古典芸能の鑑賞の集い「断絃会(だんげんかい)」。野性的な知性と鋭敏な芸術感覚がうかがえる評論の 数々。戦後の混乱期に現世坂田藤十郎ら関西の若手を鍛え上げて評判をとった「武智歌舞伎」。多くの人が認める武智の大きな足跡だ。
とはいえ、記念の年が過ぎれば、すーっと波は引いてしまうのが常だ。
ところが、武智は違う。
■伝統・文化の古層を探求
神奈川県立近代美術館鎌倉で12日に始まった「現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓(ひら)く」(3月24日まで)では、1950年代「工房」に集った気鋭の芸術家たちと古典芸能の俊才とを舞台作品で束ねる、要としての武智にスポットが当たっている。
展覧会を企画した同館の学芸員西澤晴美さん(30)は「優れた表現を求め、ジャンルを軽々と横断していく当時の時代精神の象徴的存在が、武智さん」という。
晩年の武智の歌舞伎演出を手伝った直木賞作家松井今朝子さん(59)は、NHK出版のウェブマガジンで武智と自身の来し方を振り返る「師父の遺言」を連載中だ。書籍化も予定されている。
身近に接した松井さんによれば「芸に向き合うと真面目で謙虚。自分の過去の業績には関心がない人でした」。
「上方芸能」誌で「武智鉄二資料集成」の連載を続けている演劇評論家権藤芳一さん(82)は裸体が長々と映る監督映画など60年代以降の武智を評価しな い。「けれど、若い人は異なる見方をする。退屈なほどの長回しは一つの時間を生きる農耕民族の伝統的手法だと言うんですな」
例えば、『武智鉄二 伝統と前衛』(2012年、作品社)の編者四方田犬彦さんは同書の中で、くどい映像は能や歌舞伎にも通じるもの、彼の「美学」と断じている。
確かに武智は若い頃から芸術がよって立つ基盤、伝統や文化の古層を探究してきた。バルトークやコダーイの現代音楽に熱中したのも民族音楽としてだった。
■根源から発する前衛生
その構造を見極めるためにマルクスやフロイトを読み、古典を詳細に分析し、芸の核となる原初の身ぶり、息の詰め方に注意を傾けてきた。演劇評論家渡辺保さ んは『私の歌舞伎遍歴』(12年刊、演劇出版社)の中で、武智の崇敬した名人はジャンルが異なっても同じ根源で芸をとらえていると、言い切っている。
武智作品について回る著しい攻撃性や前衛性は、至高の芸を貫く根源への確信から発している。急進主義と根源主義は同義なのだ。
武智にとって、近代化は、身ぶりを軍隊のように統制し、伝統を断絶させる呪詛(じゅそ)すべきものだった。映画の「だらだら続くポルノ的身ぶり」は、かろ うじて残った古層のかけら。この妖異なまでの文化至上主義者にかかっては、徳川末期の歌舞伎さえ「人民の民度が低下」した果ての「消費生活の身ぶり」 (「伝統演劇とその周辺」)。その場のウケ、売り上げ増を重視して、根源を見失う所作に満ちたものなのだ。
文楽が窮地に追いやられ、深夜の踊りは禁じられていくいまだからこそ、聞いてみたくなる。私たちの身ぶりは、どんなふうに見えますか、武智さん、と。(編集委員・鈴木繁)
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