2011年6月1日水曜日

asahi shohyo 書評

ダンゴムシに心はあるのか [著]森山徹

[評者]谷本束

[掲載]週刊朝日2011年6月3日

表紙画像著者:森山 徹  出版社:PHP研究所 価格:¥ 840


■ヤケクソ行動は心がある証拠

 「心とは何か」。哲学で、文学で、そして科学で数千年来、人間が悩んできた大問題だ。それをダンゴムシで答えを出そうというのである。無謀なのか、すごいのか。

 著者はまず、彼らをちょっと困った状況に置くことから始める。最後に必ず行き止まりになる迷路、周囲を堀に囲まれ、どう歩いて も水に阻まれる円形の台、邪魔な障害物のある通路。すると、彼らは思わぬことを始める。通路の壁をよじ登る、堀に飛びこんで泳ぐ、障害物の上でキョロキョ ロする。人間からすると何でもないことのようだが、どれも自身の命を危険にさらす行為で、普通やらない。

 なんだって理屈に合わないことをやるかといえば、そこに「心」の存在があるからだという。最近の脳科学では、生物の行動は脳が 機械的に決定するという考えが主流だが、合理的な方法ではどうしても解決できない状況に直面すると、心が代わりに合理的でない方法を選択する。役に立たな くてもなんでもとにかくやってみれ、という心のヤケクソ的ジタバタで既存の枠をぽんと飛び越える、それが生き残りに有利に働くらしい。ダンゴムシの予想外 の行動は、彼らが心をもつ証拠であるわけだ。

 確かにカーナビがとんでもないルートを指示すると、なんて性格の悪い奴なんだと思う。機械に心を感じるのだ。ナビの場合は単なるプログラムミスだが、あれが自律的選択なら心があると思える。

 ダンゴムシの心はしかし、人生とはなんだとか、彼女が好きでたまらんとかそんなことではないだろう。人間とはかなり異なる形態の(たぶん理解できない)"心"がこの世に広く存在するという主張には、衝撃的な楽しさがある。

 役に立つことを要求される時代ゆえ、著者は「それはやってはいけない研究」と言われたことがあるという。役に立たないこと= 「予想外の行動」を何もかも排除して合目的的なことだけにすると、残るのは機械的なプロトコルだけである。それは本書の考察から言えば、「心を失うこと」 になるのだが。

0 件のコメント: