親子の絆 どうか来世へも
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一世(ひとよ)には 二遍(ふたたび)見えぬ 父母(ちちはは)を
置きてや長く 吾(あ)が別れなむ
巻五の八九一番、山上憶良(やまのうえのおくら)の歌
この世ではもう二度とあえない父母。その父母を残して、わたしは死の国へと、旅立っていくのだろうか
◇
当時、十八歳の肥後の国(いまの熊本県)の青年が、朝廷の用で上京の途中、安芸の国(いまの広島県)で病没してしまいました。
そのことを知った作者が、青年の立場で死に臨(のぞ)んだ気持ちを歌いました。
青年はこの時、何がもっとも悲しかっただろうか、作者が想像したそれは、両親と別れて、死の国に旅立つ悲しみでした。
なぜでしょう。作者はどうやら親子の深い因縁を考えているようです。
青年は、自分の死が自分以上に両親を嘆かせるとも思ったでしょう。作者はその気持ちを、別の歌で述べています。
生涯でたった一度結ばれた親と子の関係。いま死ねばそれはなくなります。単純に、もうあえないから悲しいというのではありません。
両親と子の関係が、かけがえのない、ふしぎな絆(きずな)だということは、いま忘れがちではないでしょうか。
(奈良県立万葉文化館長・中西進)
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