2010年9月3日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年08月30日

『バブル女は「死ねばいい」 婚活、アラフォー(笑)』杉浦由美子(光文社新書)

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「出産と仕事にゆれるアラフォー女と団塊ジュニア女の生きる道」

団塊ジュニア世代の著者が、1960年代に産まれたバブル世代の女性を批評している。30代の女性から見た、10歳ほどの上の世代の女性を評論している。
まずバブル女と、団体ジュニア女の立ち位置を著者の杉浦はこう定義する。

バブル女とは「1960年代後半生まれの女性たち。80年代後半から90年代初頭のバブル景気の頃に社会に出た。

団塊ジュニアとは「1971年から74年生まれ。ベビーブーマー世代であり、苛烈な受験戦争を乗り越えて大学に入ったが卒業する頃には、バブルが崩壊してして途方にくれた世代。精神科医の香山リカは、貧乏クジ世代、と名付けている」

世代論の多くは、男性が書いたものがおおい。または、女性の書き手による、上野千鶴子を代表格とするフェミニズムのイデオロギーに影響を受けたものが目立つ。

杉浦はそのどちらでもない。


腐女子のフィールドで仕事をはじめた著者である。メディアのなかに埋もれている記号を切り出して、批評する手並みはお見事。ちょっと斜に構えたユーモア文体。癖があるが、独自のリズムがあって、慣れるとすいすい読める。


ぐるぐるした論理のベースにあるのは、日本が女性が働きやすい社会になっていないということだ。

男性が支配する経済ゲームのなかで、女性がいかに収入を安定させるか。古くて新しい論議を、ふたつの女性の世代間価値観の相違によって描き出す。安 定収入のために、男と結婚するべきか。出産育児をすると、キャリアが断絶されてしまうのでどうするか。未婚の母はいかにして収入獲得の方法として再婚する か、といった「女の生きる道」が細かく論述されていく。

ときに「突出した経済力や性的な魅力もない40男に「かいがいしく世話をやいてくれる女」など現れるわけがないのだ」、なんて暴論を書くけれど、杉浦の根底にあるのは、生きにくい時代のなかで女たちよ幸福になってほしい、という願い。

「出産が難しい時代になっても、助成たちの母性は退化していない。

いくら母性をバーチャルに処理しても、しつくせない場合にはどうすればいいのか。

子どもを産むこと。そして、子どもを育てること。これ以上に価値がある「生きる理由」が他にあるなら教えて欲しい。あんなに豊潤で愛おしい存在が他にあるだろうか」

 ひとつだけ、注文があるとすれば、地方と東京都を中心とした関東圏の価値観の差異についての記述不足。著者は地方取材を精力的にやったと書いてい るが、どの地方なのかが明示されていないのが歯がゆかった。関東圏のライフスタイルが多様なように地方も多様。女性の意識も地方の風土、産業構造によって 違っている。僕が住む浜松市でいれば、キャリア指向の女性はみな外に出て行って、地元には残っていない。イオンにいくと出産したママが幸福そうに闊歩して いる。関東圏は女性がきわめて出産しにくい社会構造になっている。そのことだけを詳述してもよかったかもしれない。




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