2010年9月1日水曜日

asahi shohyo 書評

進化論はなぜ哲学の問題になるのか—生物学の哲学の現在(いま) [著]松本俊吉

[掲載]2010年8月29日

  • [評者]高村薫(作家)

■生物学で問う「実在とは何か」

  進化論と哲学。これが結びつく地平はさほど平易でないし、一般的でもない。魅力的でありながら、この分野の意欲的な書物を手に取るたびに、途中退却を余儀 なくされてきた読者は、評者を含めて少なくないに違いないが、敗退の理由はまさに、本書の標題のとおり、進化論が「なぜ哲学の問題になるのか」が明快でな い一点に尽きる。でも、性急な答えは求めるまい。九人の若い研究者が結集した本書を読むと、むしろ「なぜ」と問いを立てることがそのまま進化論の最前線に 立つことでもある、と分かるからである。

 科学の歩みは速い。ダーウィンが進化論で唱えた個体間の自然選択は、いまでは最終的には複製子である対立遺伝子の頻度変化とし て捉(とら)えられている。その上で、その選択過程を記述する視点を生物個体に取るか、集団に取るか、遺伝子型に取るかで、各々(おのおの)異なった世界 が現れるのだが、そもそも自然界は実験で実証されるような次元にはない。従って進化を分子レベルに還元してモデル化するにしろ、階層間のダイナミックな相 互作用で捉えるにしろ、行き着くのは世界をどう記述するかという認識論や存在論なのである。

 実在とは何かという哲学の問いは、部分を更新しながら連続した構造を持続する生命のシステムを眺める視点にも立ち現れる。生 成・消滅を繰り返す細胞と、生成・消滅が起き続ける場としての個体を見るとき、生物学的実在とは何かと誰でも自問したくなるだろう。またたとえば、個体レ ベルでは説明できない大進化や「種」のスケールまで視点を広げると、自然選択の過程には分子レベルの物理法則ではない何らかの高次の法則が働いているので はないかという想像が働くが、ならば進化現象は決定論的なのだろうか?

 人間は進化についての完全な知識をもつことはない。しかし進化論は、たとえば確率概念を用いて集団の情報を抽象化することで、物理学が記述できない現象を記述するのである。本書を読み進むうちに、今度こそ、評者も進化論の哲学の入り口に立てそうな気がしてきた。

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 まつもと・しゅんきち 東海大学教授。執筆者は中島敏幸、大塚淳、森元良太ほか。

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