2010年9月1日水曜日

asahi shohyo 書評

近世の仏教—華ひらく思想と文化 [著]末木文美士

[掲載]2010年8月22日

  • [評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

■「堕落」の色眼鏡外し、豊かさ発見

 近世は儒教の時代で、仏教は衰退した——。

 そんな認識がこれまでの常識で、近世の仏教は「堕落仏教」という捉(とら)え方が一般的だった。

 たしかに日本の仏教といえば、法然、親鸞、日蓮、道元といった鎌倉新仏教が真っ先に思い浮かぶ。宗派の祖を生み出した中世が日本仏教の頂点で、やがて近世に入ると儒教や国学の興隆によって衰退したという見方が広く共有されている。

 しかし、著者は問う。本当に仏教は近世に堕落したのか、と。

 本書は、「仏教中心の中世」「儒教中心の近世」という見方を批判し、近世の仏教思想の闊達(かったつ)な動向を詳述する。そし て、近世後期に活力を失った仏教も、近世前期には創造的なエネルギーを継続し、豊かな思想文化を形成していたと結論付ける。著者曰(いわ)く「近世が儒教 の時代だというのはまったくの誤解であり、実際には仏教のほうが主流の思想であり、宗教であったと言っても過言でない」。

 儒教は本来、さまざまな実践的な儀礼によって成立するものだが、江戸幕府は葬儀を仏教で行うこととした。

 江戸初期には中国から黄檗(おうばく)宗が伝わり、仏教界は活性化された。諸教の融合や禅と念仏の融合、現世利益などを特徴と する明代の仏教が伝わったことで、日本仏教は多様性や世俗性を重視するようになり、俗人の信仰領域に新たな可能性を切り開いた。また、黄檗の影響は茶道や 書画にも波及し、狩野探幽などの狩野派や伊藤若冲などの作風にも刺激を与えた。

 さらに木版印刷により出版文化が興隆。大蔵経が普及し仏教書も広く流通した。

 我々は、どうしても近代を基準として、それ以前の時代を捉えがちである。そうすると、近世仏教は不純なものと捉えられ、「堕落」という烙印(らくいん)が押される。しかし、その色眼鏡を外すと、近世には極めて豊かな仏教文化が花開いていたことがわかる。

 中世、近代の日本仏教を論じてきた仏教研究の第一人者が新たな領域に挑んだ一冊。丁寧かつ簡潔な文章は、初心者にも読みやすい。

    ◇

 すえき・ふみひこ 49年生まれ。国際日本文化研究センター教授。

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