画家・安野光雅さん〈1〉 日本国が失った二人
[掲載]2010年9月5日
東北本線一ノ関駅あたりで列車が急停車し、突如「吉里吉里人(ちりちりづん)」が乗り込んできて乗客を外国人として扱い、旅券を見せろと言う。吉里吉里国は独立したと宣言するのだ。
「俺達(おらだつ)が独立(どぐりじ)を踏み切(ぎ)ったなぁ、日本国(ぬほんのくに)さ愛想(あえそ)もこそも尽ぎ果(はん)でだがらだっちゃ」
井上ひさし『吉里吉里人』が出たのは30年近く前だが、その本の装丁をするために、わたしは出版社から雑誌連載の分厚い束を持たされて外国をめぐり、先々で読んだ。
独立の理由を共通語で要約すると、「減反しろ、広域営農団地を作れ、村有林を伐(き)れ、隣の町と合併しろ、上流の工場排水の ために川水が少し濁っても我慢しろ」などと「国益のため」の要求を押しつけられることだが、事情はいまもあまり変わっていない。しかしそれはまだ我慢する としても、自分たちの使ってきた言葉が、方言というゆゆしき言語であって、これを矯正しなければ日本国人になれない。ならば、「日本人をやめるほかないん だっちゃ」という理由が大きかったらしい。
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この本では、「坊っちゃん」でも「雪国」でも吉里吉里語で書けることを例証し、吉里吉里語を学ぶ者のための「傾向と対策」まで あって、これが無類におもしろい。山形県は丸谷才一や斎藤茂吉など言葉に関する先人が多い。ああ、わたしは著者自身の口から、「山形県知事」と「山形県地 図」の発声の使い分けの困難さを実演してもらったことがある。なんと得がたい体験だったことか。
テレビの普及は共通語の普及をうながし、今や山形弁の価値の方が高くなっているからおもしろい。
井上さんは今年亡くなった。日本国ではもう一人昨年、日高敏隆さんという大切な人を失った。ある日、テレビで、「虫と別れてく らすのなら死のう」と考える少年を見た。日高さんみたいだと思って見ていたら、果たせるかなかわいいその少年はドキュメンタリー番組で彼の少年時代を演じ ていたのだった。
日高さんの著書はやまほどあるが、エッセーを書くように専門書を書いたらしく、文学を読むような快感がある。一種の口説きだ、という人があるが、そうかもしれない。『世界を、こんなふうに見てごらん』は最後の著作のひとつだ。
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『チョウはなぜ飛ぶか』は何度も本になった。チョウには彼らなりの通り道があるのではないかと考える。昔の人もそう言っていた。本気で調べはじめるが、一つ解ければ二つの新たな疑問がうまれる。
チョウのオスがメスにひきつけられるのは、メスの容姿か色かにおいなのか。モンシロチョウとアゲハチョウでは違う。アゲハチョ ウの場合、オスの羽の下にメスの羽を隠しておくと、近づいてくるオスは触ってにおいをかぎ、メスだと確かめると交尾行動をとる。そのような感覚を「接触化 学覚」といい、空気中をただようにおいをかぐのは「嗅覚(きゅうかく)」だと言葉で整理する。わたしは人間の化粧や装い、「ふれあい」などの行動の理由を 知りたくなる。
この二人の早世は、実に日本の不幸だと思う。
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吉里吉里人(井上ひさし、現在は新潮文庫で上・中は700円、下740円)◇ともに日高敏隆著で世界を〜(集英社・1365円)、チョウは〜(武田ランダムハウスジャパン・2100円)
- 吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)
著者:井上 ひさし
出版社:新潮社 価格:¥ 700
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- 吉里吉里人 (中巻) (新潮文庫)
著者:井上 ひさし
出版社:新潮社 価格:¥ 700
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- 吉里吉里人 (下巻) (新潮文庫)
著者:井上 ひさし
出版社:新潮社 価格:¥ 740
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- 世界を、こんなふうに見てごらん
著者:日高 敏隆
出版社:集英社 価格:¥ 1,365
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- チョウはなぜ飛ぶか 日高敏隆選集 I (日高敏隆選集 1)
著者:日高敏隆
出版社:武田ランダムハウスジャパン 価格:¥ 2,100
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