2010年9月21日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年09月21日

『ブーバーとショーレム—ユダヤの思想とその運命』上山 安敏(岩波書店)

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「第三世代のドイツのユダヤ人たち」

 上山の『宗教と科学』の巧みな整理によると、ドイツのユダヤ人論は大きく分けて三つの世代に分類できる。実世代ではなく、精神的な世代である。第一世代 はフランスの啓蒙の精神を受け入れて、ユダヤ人が同化した時期の世代である。カント、レッシング、メンデルスゾーンの世代であり、ユダヤ教がキリスト教と 同じ権利をもつ宗教として容認されながらも、ローカルで、キリスト教に改宗することが望ましいと考える世代である。合理主義のまなざしが強い(もっともメ ンデルスゾーンは家ではユダヤ人であることを主張した)。

 第二の世代は、ユダヤ主義と反ユダヤ人が奇妙に入り交じった世代であり、ユダヤ主義の古典時代を称賛し、神殿破壊以後のユダヤ教を強く批判するものであ る。キリスト教はこの初期のユダヤ主義の精神を継いでいるとされるのであり、解明的なプロテスタントたちがこの考え方を採用する。『道徳の系譜学』のニー チェがそうであり、『古代ユダヤ教』のウェーバーがそうであり、『人間モーセと一神教』のフロイトもこれに近い。

 第三の世代が本書のテーマであるブーバーとショーレムの世代であり、ユダヤ教の神秘主義を採用することで、同化のユダヤ人とも、キリスト教に親し みをみせるユダヤ人とも異なり、ユダヤ教の「タルムード、ミシュナー、ハシディズム、ユダヤ神秘主義の研究の世代」(『宗教と科学』38ページ)である。

 ブーバーは、『我と汝』の対話の哲学で有名だが、それ以前には、ベーメで学位論文を書き、ハシディズムに没頭していた。その後はユダヤ教の神秘主 義を研究するが、キリスト教の神秘主義とは異なって、神と人間との合一を目指さないところに特徴がある。「神秘体験なるものは、神と人間とのあいだに成立 するものではなく、人間の内部において生起する魂の一体化・統合として成立する」(p.59)とされている。

 これにたいしてショーレムは、第二世代のユダヤ人学者たちのように、神殿崩壊以後のユダヤ教を劣ったものと考えるのではなく、カバラやグノーシス がユダヤ教における正統な理論だと考える。グノーシスは「ユダヤ的源泉のもつ創造的なエネルギーが想像的・神話的に噴出したものと、グノーシスを位置づけ た」(p.116)のである。ショーレムは神話にこそ、ユダヤ教を「活性化させ、内から推進する力」(p.117)があると考える。

 この新しい世代によって、キリスト教的な見方からユダヤ教の神秘主義が復権されることになる。ベンヤミンとショーレムの往復書簡が語っているように、このユダヤ教の神秘主義は、マルクス主義的な見方をしていたベンヤミンの歴史観にも重要な影響を与えてゆくのである。

 なお第七章の「アーレントとショーレム」は、二人の位置の取り方を遠近法のうちに描きだして読ませる。有名な『イェルサレムのアイヒマン』をめぐ る論争以前に、すでにアレントの「シオニズム再考」をめぐって、論争が展開されていた。ショーレムはアレントに宛てた書簡で、自分がナショナリストである ことを明確に認め、「永遠の反ユダヤ主義」の存在を主張する者であることを認める(G. Scholem, Briefe, 1) 。

 アレントはファシズムをソ連のヴォルシェビズムとともに全体主義として考察するために、ショーレムのこうした考え方は受け入れようがなかったし、 『全体主義の起源』ではこれを明確に批判している。ショーレムのこの「永遠の反ユダヤ主義」は、ファシズムによるユダヤ人の迫害が、この反ユダヤ主義によ るものであることを主張するものであり、すでに対話の余地が消滅しているのである。

 最後の章「ポスト・シオニズムと歴史家論争」は、イルシュルミの『フロイトのモーセ』、それをめぐるサイードの批判『フロイトと非ヨーロッパ人』、デリダの批判などを紹介していて啓発的である。


【書誌情報】
■ブーバーとショーレム—ユダヤの思想とその運命
■上山 安敏【著】
■岩波書店
■2009/11/26
■384,45p / 19cm / B6
■ISBN 9784000246521
■定価 4200円


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