2010年9月3日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年08月31日

『奪われた性欲』今一生(毎日コミュニケーションズ)

奪われた性欲 →bookwebで購入

「性欲減退男子よ、どこへ行く?」

 近年、マッチョな文体で社会起業を語ることに専念しているフリーライター、今一生の最新作である。
 今一生のマッチョ信仰は強固でシンプル。尊 敬する人は漫画家の本宮ひろし。サラリーマン金太郎のような、低学歴だけど元気な社会起業家を育てたい、という思いが強い。これはという社会起業家を取材 し、それをツイートしている。時間をつくっては依存症で苦しむ若者と対話する。10年以上に及ぶ依存症問題の取材で、多くの当事者たちを支えてきたと胸を 張る。

その熱血ライター、今一生が、いま時の草食系男子の性欲をとりまく社会構造を批評したのが本書である。

婚活という言葉が飛び交っている中で、女性との恋愛どころか、自分の性欲という生命活動をうまく発動させることができない男性のために書き下ろされた。

作家北方謙三氏の人生相談の決め台詞「ソープに行け!」という言葉が通用しない男たちへの、今一生からのエールである。

今の分析によれば団塊ジュニア男性たちは、自分に性欲という欲望があること認められない。自己の性欲を恐れている。

 彼らは,育児に自信がない母親に育てられた。仕事に埋没して育児をしなかった団塊の父親。ゲームという室内のバーチャル遊技で、肉体と精神のバランスをなくした。その結果として基礎体力がなくなった。体力がなくなれば性欲が発動しなくなる。
 団塊ジュニア草食系男子が、性欲減退に追い詰められていくのに対して、同じ世代の女性たちは、旺盛な性欲を発動させてセックスを堪能する。
 こうして今一生の論旨をまとめていると、団塊ジュニア男子のひ弱さを強調することになってしまう。一つの世代の分析としてはかなり悲惨だ。

 今一生は、男子が肉体を思う存分使うことなく大人として成長できる日本社会の構造のしわ寄せが、団塊ジュニア男子に集中的に及んでいることによる、性欲減退現象を解明しようとしている。
 その語り口は、マンガのサラリーマン金太郎的であるために、少々粗雑ではある。が、精緻すぎて、一般の人には届かない論理よりも平明さを今一生は優先する。
 この状況を放置すると、社会全体は少子化となる。その団塊ジュニア男子の個人の人生は、女性の恋人なし、女友達なしとなる。女性との身体コミュニケーション(セックス、育児など)と無縁になってしまう。
 生身のセックスを避ける。女という不可解な存在とのコミュニケーションを面倒くさいと感じる(面倒くさいことが多いのは事実だ)。その行き着く先は「孤 独の底割れ」であるという。自分が孤独だと認識することもできない状態。孤独の底割れが続くと、自己破滅的な行動になっていくだろう、と今一生は危惧す る。

 今一生が提示する処方箋は、格闘技による痛みを伴う身体コミュニケーションである。格闘技によって肉体と精神のリセットができる。性欲を奪う構造 を、格闘技で一掃できるという信念が強引な論旨を支えている。性欲が乏しい男子に向かって論理的で優しい言葉をかけても事態は変化しないだろう。

 今一生の言葉は真正直すぎるのだ。これでは、性欲減退男子は、女性を口説いてみるか、という意欲はわかないと思う。

 「ソープに行け!」という北方謙三のシンプルさを乗り越える、ワンフレーズが求められている。

 いまの時流は「婚活に行け!」である。ユーモアがない。婚活は高くつく。

 団塊ジュニアよ、どこに行く?。


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