2010年5月7日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

『Y染色体からみた日本人』 中堀豊 (岩波科学ライブラリー)

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 ミトコンドリアDNAが母系で受け継がれるのに対し、Y染色体は父系で受け継がれる。ミトコンドリアDNA解析は過去10万年の人類の移動を明ら かにしたが、正確には女性の移動なので、ヨーロッパ人のアメリカ大陸侵略のような男性主体の移動は検知することができない。男性の移動を明らかにするには Y染色体の解析が必要である。

 本書は2005年発行とやや古いが、Y染色体の研究者による日本人の起源論である(2009年時点の研究は崎谷満氏の『新日本人の起源』を参照のこと)。

 Y染色体による民族のルーツ探しの本としてはブライアン・サイクスが『イブの七人の娘』の姉妹編として書いた『アダムの呪い』があるが、読みすすむにつれ鬱になった。

 女性は妊娠によってしかDNAを残せないのに対し、男はその場限りのセックスで子孫を残せるので、Y染色体はミトコンドリアDNAよりも寡占が起 きやすい。ミトコンドリアDNAのハプロタイプを図であらわすとクラスターがきれいに並ぶのに対し、Y染色体のクラスターは不揃いで不規則だ。大半のY染 色体は途中で失われ、少数のY染色体のみが栄えるというのがY染色体の現実なのだ。サイクスの本には900年前に死んだサマーレッドという武将のY染色体 が40万人に、チンギス汗のY染色体は1600万人に受け継がれているとか、南アメリカのインディオのY染色体はヨーロッパ系ばかりだとか、恐ろしいこと がたくさん書いてある。

 きっとその類の話だろうと心して読みはじめたのであるが、意外にも日本人のY染色体は攻撃的でも侵略的でもなかった。

 日本人の起源については縄文人の基層の上に、稲作文化をもって渡来した弥生人がくわわり、混血したという二重構造モデルが定説化していたが、Y染 色体でも縄文人と弥生人という二大グループは確認できた。弥生系の中核をなすOb1は中国に多いクラスタから派生しているのに対し(ただし中国では絶滅し ている)、縄文系の中核であるD2はアジア人の祖形に近い古いタイプらしく、日本と朝鮮に見られる他は、近縁のD1がチベット人に残っているにすぎない。 Y染色体の系統図では縄文系と弥生系は相当離れているのである。

 それにくわえて縄文系の中核であるD2の男性は精子の濃度が低く(!)、無精子症になりやすいことがわかったという。

 常識的に考えれば縄文人は侵略された側であり、その上に精子濃度が低いとなれば現代日本人のY染色体は弥生系一色になっていてもおかしくはないだろう。ところがそうはなっておらず、都市部では縄文系・弥生系ともほぼ同頻度なのだという。

 なぜか? 謎解きの鍵は生まれ月の偏りにあった。

 縄文系D2の男性は1〜6月生まれが多く、弥生系の中核をなすOb1の男性は7〜12月生が多いという結果が出た。そこで精子濃度の月変化を調べ たところ、縄文系D2は秋から冬が濃度が高く、春になって急落するのに対し、弥生系Ob1は春から夏にかけて濃度が高く、秋に急低下するのだという。

 縄文系D2と弥生系Ob1は受精させやすい時期がずれているので、共存できたということらしい。

 著者は最後にこうまとめている。

 日本の男性は大陸の落ちこぼれである。一度目の落ちこぼれである縄文人と、二度目の落ちこぼれである弥生人が、互いを滅ぼしてしまうことなく共存 したのが現代日本の男性たちである。まさに、窓際族同士仲良く机を並べて、極東の小島で自然の恵みを享受し、自然に従って生きてきた。互いの言葉も融合さ せてしまった。

 うーむ、そうだったのか。複雑な気分である。

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