2010年5月15日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年05月14日

『新世界の悪魔 — カトリック・ミッションとアンデス先住民宗教』谷口智子(大学教育出版 )

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「アンデスの神と悪魔」

 テーマになっているのは、南米のアンデス地方において、カトリックの宣教師たちにキリスト教に改宗させられた現地の人々の宗教心の複雑なありかたであ る。大きく二つの部分で構成され、前半は一七世紀の改宗の直後の状況が中心であり、後半は現代のフォークロア的な形で表現された宗教心が中心となる。

 前半で描かれるのは、一七世紀に「魔術師」として処罰されたファン・バスケスの物語である。この人物は熱心なカトリック信徒であるが、祖先伝来の薬草や 呪術による治療の術に長けていて、多くの人々を治療したという。本人は、キリスト教の神から術を夢の中で伝えられたものだと主張した。

 ちょうど本土のスペインで魔女狩りが流行していたこともあって、バスケスの「奇蹟」は魔術と解釈された。「それらの智恵が自然的徳に基づいておら ず、文字によって得られた知識でない」(p.56)からである。さらに薬草による治療はスペイン人には医学として承認されていないという事情もあった。か れの術が治療の実績をあげたことは事実であるが、当局はどうしてもそれを認めず、処罰したのだった。

 この事例はキリスト教に改宗したものの、それまでの民衆的な慣行があくまでも効果を発揮するために、それを捨てきることができない「魔術師」と、 その治療に頼らざるをえない民衆の苦悩を象徴的に示したものである。当時の当局の疑いは、改宗したとみせかけて、背後で人々が異教の崇拝をしているのでは ないかということだった。土葬された家族の死体は、土に潰されてかわいそうだからと教会の墓場から掘り出して、山の洞窟に運んで供養するという土俗的な営 みが、どうしてもやまなかったためでもある。

 後半では、ピシュタコという「悪魔」が中心になる。これは境界的な立場にある人々が現地の人々を襲って殺し、その脂肪をとって売るという伝説的な 人物である。「黒ずくめの格好で、帽子をかぶり、顎鬚をつけ、鋭い刃物を持つ」(p.131)という人物像からも、外国人のイメージが強いが、「村落の住 人である場合もあり、外から来た異人でもある場合がある」(p.137)というように、村落と外部の境界にいて、共同体の掟を守らない悪魔のイメージであ る。

 これは改宗してから長い期間が経った後に、改宗を強いたスペイン人にたいする怨恨の思いが、「植民地主義批判としての悪魔のネガティブなイメー ジ」として表現されたものであると同時に、「先住民の生存のありかた」を尊重することができれば、西洋文明との仲介者になることができるのではないかとい う両義的な存在として表現されたもののようである。

 これらのテーマはとても興味深いものであり、著者が示す別の事例とともに、さらに解釈を進めることができるだろう。ただし著者が前半部で示す理解 の格子はあまりうまく機能しない。著者は「エリートの宗教と民衆の宗教」というカテゴリー、リクールの「顕現」の宗教と「宣言」の宗教というカテゴリー、 「祖系と反復」というカテゴリーを提示して、これが解釈しようとするのだが、どれも部分的にしか説明機能を発揮してくれない。むしろ後半部分で示されたバ フチンのカーニヴァルの概念を展開したほうが、分析を深められたのではないかと思う。いずれにしても、あらたな解釈と分析の意欲をそそるテーマではある。


【書誌情報】
■新世界の悪魔 — カトリック・ミッションとアンデス先住民宗教
■谷口智子
■大学教育出版
■2007/12
■192p / 22cm / A5判
■ISBN 9784887308046
■定価 3255円

●目次
第1章 「名」と「像」の葛藤 1.エリアーデの「ヒエロファニー」における「聖と俗の弁証法」 2.リクールにおける「顕現」の宗教と「宣言」の宗教  3.「偶像崇拝」と「ヒエロファニー」 4.「偶像崇拝」と「顕現」の宗教 5.上田閑照による「経験と言葉(自覚)」の3つのモデル 6.ヒエロファ ニーとしての「偶像崇拝」 

第2章 ペルーにおける「偶像崇拝・魔術」撲滅巡察の歴史 1.初期の改宗計画 2.タキ・オンコイと最初の巡察 3.副王トレドとリマ異端審問  4.リマ大司教区教会会議とイエズス会の活動 5.アビラによる偶像崇拝撲滅巡察の開始 6.リマ大司教区と偶像崇拝僕滅巡察の体制化 

第3章 「魔術師」ファン・バスケス 1.「エリートの宗教」と「民衆の宗教」 2.「インディオ、ファン・バスケスに対する魔術師ゆえの罪」  3.スペインの悪魔学 4.バスケスの治療の先住民的ルーツ 5.「魔術師」ファン・バスケス 6.正統主義が孕む問題 7.宗教の混淆化 

第4章 カトリック・ミッションとアンデス先住民宗教における祖型と反復 1.ユダヤ・キリスト教の伝統における祖型と反復 2.祖型としてのグレ ゴリオ1世 3.集村化のモデル 4.集村化 5.アンデス先住民の聖なるトポス 6.天空神 7.大地と石 8.灌漑水路と畑 

第5章 「世界は逆転している」 1.魂の救済=植民地化は等価交換か? 2.個々人のモラル・ハザード 3.先住民の道徳的堕落について 4.先 住民側の反応 

第6章 我々の祖先は悪魔なのか? 1.祖先神と創造神話 2.豊饒の泉としての祖先 3.アンデスの神話において語られる祖先=悪魔 4.レイ ミー族の死者儀礼 

第7章 鉱山の悪魔 1.「鉱山の悪魔」研究とその批判 2.山の神ティオ 3.仲介者 4.ティオの悪魔化 5.民衆の悪魔−価値の転倒− 第8 章 ピシュタコ 1.「ピシュタコ」前史 2.神話的イメージとしての「ピシュタコ」 3.供犠の象徴的意味 4.脂肪とり魔 5.異人、すなわちコスモ スを破壊する者 6.問われる研究者の位置づけ


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