2010年5月19日水曜日

asahi shohyo 書評

神話が考える—ネットワーク社会の文化論 [著]福嶋亮大

[掲載]2010年5月16日

  • [評者]斎藤環(精神科医)

■「私」ではなく「環境」こそが考える

 現在二十九歳の著者は、批評家・東浩紀の——とりわけ『動物化するポストモダン』の——決定的な影響下から出発した新世代の批評家 である。この一見奇妙なタイトルには「客体の優位性」、すなわち私たちの「主体」が考えるのではなく、「環境」が考えるのだ、という主張が込められてい る。

 もちろんそれだけでは、ポストモダン的「主体の死」のゼロ年代バージョンに過ぎない。しかし、著者のもくろみはさらに野心的で ある。彼は小説やゲームといった文化的営みの一切を、情報処理のプロセスとして記述し直そうと試みるのだ。

 このとき「神話」は、情報ネットワークの複雑性を縮減してくれるアルゴリズムとして記述される。あるいは「人間」もまた、ネッ トワークの結節点(ノード)として、統一性と分散性を兼ね備えた存在、ということになる。

 著者は更に『遠野物語』『不思議の国のアリス』といった古典から、『涼宮ハルヒ』『東方Project』など最新のサブカル チャーに至るまで縦横に論じつつ、あらゆるジャンルをフラットに記述するような新しい批評言語をつくり出そうとする。

 特に、村上春樹作品における「小さきもの」への注目から「空間的制約の解除」という特性を引き出し、そこから一気に「リベラル な民主主義社会」における「メタ神話」としての機能を読み込む第四章。ここは本書の白眉(はくび)であると同時に、春樹論としても優れたものになってい る。

 最終章で福嶋は、より多くの意味と神話をもたらす機能を、あらたな批評の役割として提唱する。そう、本書の価値を確かなものに するのは、その理論的妥当性以上に、彼の"神話への欲望"の切迫感なのだ。

 本書を読み終えた私の中では、新しい批評言語の誕生に立ちあった興奮と同じくらい、理論的な粗さや基本的発想への違和感(とり わけセクシュアリティー分析の回避)を表明したい衝動が高まっている。

 しかし、こうした反応こそが、著者が生み出した「神話素」が有効に機能しえていることの何よりの証しなのだろう。

    ◇

 ふくしま・りょうた 81年生まれ。専門は中国近代文学。「ユリイカ」などに寄稿。

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