2010年5月7日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年05月04日

『イスラーム 知の営み』佐藤次高(山川出版社)

イスラーム 知の営み →bookwebで購入

 本書は、全国的な共同研究「NIHU(人間文化研究機構)プログラム イスラーム地域研究」の成果を、できるだけわかりやすくした「イスラームを知る」シリーズの最初の1冊である。それだけに、イスラームの基本中の基本が要領よくまとめられている。

 このシリーズが出版された背景については、表紙見返しでつぎのように説明されている。「イスラーム教徒の考え方や行動の様式は、日本人の場合と はかなり異なっている。そこにイスラーム理解の難しさもあるし、同時にイスラームを知る意義もあるといえよう。現代の私たちは、グローバル化したイスラー ムの宗教や文明に向き合い、これをさらに深く理解する必要に迫られている」。

 著者、佐藤次高は、「イスラームの誕生から現代にいたるまでの「ムスリムによる知の営み」の諸相をたどってみることにしたい。歴史的な考察の仕方を活用 することによって、「イスラームとは何か」をわかりやすく解き明かすことが本書のねらいである」としている。その前提として、グローバル化が進んだ現在に おいて、「イスラームを統一性の面だけから考えるとすれば、その理解は著しくバランスを欠くことにもなりかねない。イスラームは、地域の枠をこえて拡大し ていったが、その過程で各地域の伝統や文化と融合し、さまざまに変容をかさねていったからである。したがってイスラームを正しく理解するためには、地域の 個性を考慮に入れながら、統一性と多様性の両面からアプローチすることがぜひ必要である」と考えている。

 たしかに、「第1章 イスラームの誕生」から、時代順に「第2章 イスラームとは何か」「第3章 歴史のなかのイスラーム」「第4章 イスラームの知と 文明」「第5章 イスラーム変革の努力」と、わかりやすい説明がつづく。クルアーン(コーラン)は、「元来は「声を出して読むもの」を意味していた」、 「イスラームへの改宗の手続きは簡単である。二人以上のムスリムの証人を前にして、「アッラーフ以外に神はなく、ムハンマドは神の使徒であることをわたし は証言します」といえば、それでムスリムになることができる」、アラビア語は金貨・銀貨に刻まれた文字であり、帝国の行政語、商取引の共通語、そして学問 の言語でもあった、というふうにイスラームを理解する基本が語られている。また、「イスラームは異教徒であれば、だれでも殺してよいと主張している」と か、「コーランか、剣か」とかいう俗説を改める必要を説いている。さらに、これほど栄えたイスラーム文明が、ヨーロッパ文明に追い抜かれた理由を、「ヨー ロッパがイスラーム文明の成果を積極的に吸収しようとしているあいだに、西アジアのムスリムたちはヨーロッパ文明にはほとんど興味を示さなかった」からだ としている。

 最後に、著者はイスラーム世界の現状を、つぎのように説明して、結んでいる。「急進派から穏健派まで、その組織と活動は複雑多様であるが、まずは穏健な ムスリムが圧倒的多数を占める現実を踏まえたうえで、これらの多様なムスリムが発するメッセージと彼らの行動の原理を偏見なく解き明かすことが必要であろ う」。

 読み終えて、なにか物足りないと感じた。歴史的な流れはわかったのだが、それぞれの時代、それぞれの社会が、今日とどう結びついているのかがよくわから なかったためだ。「その組織と活動は複雑多様である」のは、それぞれがどこかの時代、どこかの社会と深く結びついているからで、それがわかれば、より「多 様なムスリムが発するメッセージと彼らの行動の原理を偏見なく解き明かすことが」できるのではないだろうか。

 それにしても、100頁にも満たない本が、本体1200円もする。歴史を学ぶのに、これほど金がかかるのか。自分で購入した本は書き込みができ、頭に入 りやすくなる。本は消耗品である。できるだけわかりやすくした本シリーズも、書き込みもできない、折り曲げてもいけない図書館の備品として読むと、わかり やすいものもわからないものになってしまう。本の値段を安く買えるようにすることは、人材育成にとって大切なことだと思う。高いから買わない、買わないか ら高くなる、買わないから読まない、読まないから本の価値がわからないから買わない、の悪循環に陥っている。とくに人文・社会科学系の学生・大学院生が、 本をただで買えるための制度を設けることはできないのだろうか。

→bookwebで購入

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