2013年4月20日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2013年04月07日

『呑めば、都』マイク・モラスキー(筑摩書房)

呑めば、都 →bookwebで購入

「禁欲的飲酒法」

 春の飲み歩き本シリーズ第二弾。今回はマイク・モラスキー氏の『呑めば、都』をとりあげたい。先月見た大竹聡さんの『ひとりフラぶら散歩酒』と 読みくらべるとおもしろい本だ。どちらも最大の目的がひとりでふらふら飲み歩くことにあるところはそっくりで、モラスキーさんのアンチ高級志向や、「は げ」「おやじ」「ガイジン」「肝臓いじめ」といった自虐的な自己意識も——「はげ」や「ガイジン」といった細部は別として——大竹さんもある程度は共有し ているかもしれない。競馬場に足繁く通うあたりにも共通したスタイルが見て取れる。

 でも、この二冊、かなり対照的でもある。『呑めば、都』は、ぶらぶら散歩エッセイという設定にもかかわらず、きわめて禁欲的なのだ。日本酒の銘柄 と味覚が列挙され、おやじたちと交わした会話や店主の挙動もしっかりメモされる。国立マダムの会話の法則を調査したかと思うと、競馬での勝敗表は十円単位 まで記録に残す。しかも、ふと気づくと州崎、王子、立川といった町の背景にひそんだ実に興味深い過去が、よどみなくしかも某大な参考資料を支えに語られて いたりする(巻末の注釈はこの本の読み所のひとつだ)。いったいいつ酔っぱらう暇があるのだろう!というほど忙しいのである。休む間もなくせっせと飲み屋 をハシゴし、目と耳を最大限に駆動させながら、一生懸命モラスキーさんは呑んでいる。何と変わった人だろうと思う。

 とりわけおもしろいのは、モラスキーさんの空間分析である。飲み屋のカウンター席の構造について、モラスキーさんは独自の「コの字型理論」を展開する。

 居酒屋で最もありふれている形は一本のまっすぐなカウンターであり、ほかに「L字型」のもあれば、たまに炉端焼 き屋などで見られる四角いものや、長方形のカウンターもある。しかし、「コの字」という形は比率では一番多くなくても、最も客同士の間の共同体意識を生み 出す形ではあると思う。ゆえに、下町の大衆酒場で好まれるのだろう。やはり、一本のまっすぐなカウンターの場合、両隣の席の客以外を(よっぽど騒いだりし ていないかぎり)さほど意識することはないだろう。顔も見えにくく、すぐ近くに座っていても、別の空間を占めているように感じる。(中略)簡単に言えば、 「コの字」のカウンターは「みんなの場」だという認識を強調する構造を持っているわけである。(122)

 なるほど、コの字型でしたか! 気がつきませんでした、すっかり酔っていたもので……という反応がかえってきてもおかしくない。でも、これがモラスキーさんの持ち味なのだ。

 こうした箇所にもよくあらわれているのは徹底した観察へのこだわりと、理解への欲望、そして何よりあふれんばかりの好奇心だ。モラスキーさんの禁 欲は、ほとんど少年のように明朗快活で剥き出しの知識欲とセットになっていて、読んでいる方もその不思議な前向きさに引きこまれる。本人もあとがきで触れ ているように、エッセイのスタイルは章ごとにどんどん変わる。冒頭、溝口の章などでは設定通りの下町探訪風「ふらふら」が体験記風に綴られるが、第三章で 州崎を扱うあたりから、社会学や歴史学にも精通した地域研究者としてのモラスキーさんの別の顔が見えてくる。いわゆる赤線の歴史。慰安婦問題。米軍との関 係。あれ?こんな話だっけ?というほど硬派の話題なのである。しかし、それとて、「ふらふら」探訪の延長にある。いや、そこまで達しなければモラスキーさ んの「ふらふら」は完結しないのである。

 モラスキーさんはきっと町そのものからエネルギーを得るような、「再生可能エネルギー型」の人なのだ。携帯嫌い・チェーン店嫌いその他小さなこだ わりはいろいろあるのだが、基本的には自分のイデオロギーをふりかざすことはない。自分の熱量を相手に押しつけたりはしない。そのかわり、居酒屋で隣り 合ったおじさんの一言や、路地の暗がりの掘り出し物を出発点にして、わくわくするような知的冒険に乗り出していく。居酒屋探訪がいつの間にか「下町ノスタ ルジーとは何か?」「懐かしさとは?」といったがっちりした日本文化論につながっていくのもそういう意味ではごく自然なことなのである(とくに第五章)。

 そんな変遷をたどる本書の中でも、とりわけ印象に残るのは西荻窪・吉祥寺を扱った第六章や、モラスキーさんの現在の居住地の国立を扱った第七章で ある。引っ越し魔を自認するモラスキーさんは日本に来てからもさまざまな町に住んできたが、自分の「心の故郷」はどこかと問われれば間違いなく西荻窪をあ げるという。実際、過去に住んだ町をリストにしてみると、何度となく西荻窪が登場する。昔ながらの頑固オヤジがやっている小規模酒場を好みそうなモラス キーさんが、下町ではなくどちらかというと山の手的な中央線の西荻窪を好んできたのはなぜか。モラスキーさんはそこに自分の「山の手文化に対するアンビバ レンス」(210)が反映されていると告白する。

 おや?と思う。本書前半のシビアで禁欲的な観察者&研究者としてのモラスキーさんが、ここへ来てちょっと違ったスタンスを見せるのである。中央線 沿いに住んでも、喫茶店をハシゴすることでアイデアを得ようとするあたりはあいかわらず「再生可能エネルギー型」なのだが、そういうオレって何?という視 線が芽生えてもいる。

 この「目」は、お洒落な文教都市・国立を語る段になっていよいよ冴えてくる。何しろ、鼻持ちならない国立マダムが跋扈する高級住宅街である。喫茶 店で読書や執筆をしようにも、マダムたちの「騒音」のために作業が進まない。最大の問題は「重複」と「反復」にあるとモラスキーさんは指摘する。まず「重 複」の方だが、マダムたちは「ひとりが話しながらもうひとり、または相手のふたりとも、部分的ではあれ、同時に——つまり、重ねて——話すことがある」。 たしかにそうだ! 筆者の知り合いでも——国立マダムでこそないが——こちらの話が終わっていないのに「重複する」のが得意な人がいる。マダムたちが相手 の話を聞かず、とにかく「発信」することに熱心だとはよく言われる話だ。そして……

 その間、会話が〈重複〉することになり、そのため一人ひとりが普通の大きさの声で話していても、二、三人の声が 多少なりとも重なってしまうので、実際にその間、二倍、または三倍の声が鳴っている計算になる。(中略)同じようなグループがいくつもあり、しかも五、六 人でテーブルを囲んで喋っているグループも加わると、店内の音量がたちまち増幅する。それに、音量が上がるにつれ、自分たちのテーブルの会話が聞こえにく くなるため、今度こそ一人ひとりが声を上げて喋るという悪循環が生じ、そのうちに店内が爆音寸前状況に及ぶ。(274-75)

 ああ、まさにその通り。国立に限らず、マダムグループの出現する喫茶店では仕事をしようとしてはいけない。
 それから、「反復」も重要だ。

 ひとりが話しており、もうひとりが相槌を打っているという場面。普通なら「そうよね」や「そうそう」と言えば足 りそうなところ、この女性は「そうそうそうそうそうそうそう!!!」と、七回もくり返して言った。相槌が七回もくり返されると、ふたりのことばが同時進行 する時間が延び、結果として会話全体の音量が増す。(275)

 なるほど。よくわかりました。モラスキーさんの気持ちはよくわかりました。しかし、そんな国立を、モラスキーさんは嫌いになることができないので ある。ここにもやっぱり彼の「山の手文化に対するアンビバレンス」があるらしいのだが、それがアメリカ中西部とからめて説明されるところがおもしろい。そ もそもモラスキーさんの出自はどちらかというと東京東部的であり、下町的なのだ。

アメリカ——ことに中西部——では、ヨーロッパのような貴族文化の伝統が浅いだけでなく、気取ったふるまいや、エ リート志向や、いわゆる「高尚な文化」に対する不信感や反感をもつ人が多く、またその反感自体が美徳とされがちである。言い換えれば、多くのイーストサイ ド住民と同様に、私が生まれ育った環境からみれば、クニタチに溢れているような上品ぶったマダムや上昇志向を露骨に表す教育ママたちに対する対抗意識がよ り強いゆえに、この誇り高い文教都市に住んでいること自体が悩ましいということである。

 ところが、である。そこにアンビバレンスが生まれる。

 アメリカ社会を少しでも観察すれば分かるように、高級・上流志向に対する反感を表しながらも、それに対する好奇 心と憧れも混在している場合が少なくない——上品に聞こえるイギリスアクセントが国内のアナウンスに使われることもあり、金持ちやセレブたちの優雅な生活 に焦点を当てるテレビ番組などもその矛盾を反映している。

 そうしてモラスキーさんは自分自身を分析してみせるのである。

 アメリカに生まれ育っただけに、似たような矛盾を、ある程度、受け継いで抱えているはずである。だから、私は東 京のなかで中央線文化圏の町をもっとも居心地良く感じているだろうと思う。つまり、それらの町が私自身の矛盾を多かれ少なかれ反映しているゆえに、さほど 意識せずに暮らせるわけである。(254)

 そうか、だから国立なのか、だから西荻窪なのか、と思う。しみじみさせる箇所だ。

 モラスキーさんは文献渉猟も徹底しているが、国立マダムの「重複」と「反復」をめぐる分析など、独自の実地調査も得意だ。店員同士のやり取りでど のように声のイントネーションが変わるかを記述した箇所など、思わずこちらも意見を言いたくなるほどおもしろかった(126)。読者の中にも「それなら、 オレ(あたし)もモラスキー流の観察行に参加したい」と思う人も出てくるだろう。でも、海外を訪れたときにこうした観察や内省にふけったことのある人は少 なからずいるはずだが、これほどの徹底ぶりで事にあたった人はそうはいないと思う。モラスキーさんは趣味も豊富で、ジャズピアニストにして、将棋、尺八、 太極拳などにも凝っているらしいのだが、その根本にもやっぱり「観察する人」がいるのは間違いない。そういう意味でもこの本は、マイク・モラスキーという 希有な人物の記録になっているのだ。

*4月13日(土)にモラスキーさんの講演があります。詳細はこちら


→bookwebで購入

Posted by 阿部公彦 at 2013年04月07日 08:08 | Category : 趣味/実用





0 件のコメント: