春、食材は逃げて去る 円城塔氏寄稿
[掲載]2013年04月03日
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食料品店に足しげく通うことになる春である。それはまあ冬の間もほとんど毎日買い物には行くわけなのだが、気分はどうもやっぱり違う。冬は食材が 豊富でうまいとはいえ、店先の顔ぶれにはあまり変化がみられない。北海道生まれのわたしとしては、積もりっぱなしの雪を連想したりする。どっしりとして変 化はとてもゆるやかであり、美しくこそあるものの正直なところ起伏に欠けて飽きやすい。家にこもって耐えてやりすごすというイメージもある。それに比べて 春の食材は逃げて去る。
春は貝ということで、国産のハマグリが並ぶのをじっと待ちかまえる。海外産はよくみかけるが旨(うま)みが違い、少なく ともうちの近所ではこの時期にしか手に入らない。というかつい去年まで、日本のハマグリは絶滅したのだとわたしなどは信じていた。幻かと頬(ほほ)をつね りつつそのまま網に転がして焼く。他には何もせずに十分うまい。
透明な魚たちもやってくる。のれそれ、と呼ばれるこいつはおおむねアナゴの稚魚 であるらしい。おおむねというのは、だいたい似たような形をしているものを一括(くく)りに呼ぶようだからで、そのあたりは生シラスと同様、透明で小さな ものに対しては、人間、なんとなくそういう奴(やつ)らとまとめたくなるものらしい。運送技術の発達により、生きたままの白魚も食卓にくる。この透明な魚 たちに関しては、単純に小さなものの方がよりうまい。ただポン酢につけるだけである。
ホタルイカ。生のものが手に入ったらしゃぶしゃぶが良い。 昆布だしを引いた鍋で水菜と一緒に軽く茹(ゆ)で、これもまたポン酢で食べる。寄生虫の関係上少し長めに茹でた方が良いそうだが、箸で押さえて沈めて待 ち、イカの体のスソの方からふよふよとワタが漂い出てきたあたりが食べ頃である。
タラの芽。茹でてマヨネーズ。ウド。短冊に切り水にさらしてマ ヨネーズ。コゴミ。茹でて鰹節(かつおぶし)と醤油(しょうゆ)。春キャベツを刻み、新タマネギを軽く水にさらす。春の食材は手間要らずで手先が軽い。筍 (たけのこ)、わらび。あく抜きがあるから少しためらう。
いずれも店頭に並ぶのは数日から数週間だけの食材であり、その日を逃すとまた来年とい うおそれがあって店の巡回に忙しくなる。日持ちもあまりしないところがいかにも春の食材らしくいさぎよくてせっかちであり、カボチャや冬瓜(とうがん)な どと日々にらめっこするのとはわけが違う。みかけたところでその日の献立を変更する羽目にはなる。
目には青葉、梅にうぐいす、鳴くまで待とうほ ととぎす。とせわしなさに一緒くたにして、そういえば初鰹(はつがつお)というものもあったなと連想はのび、鰹はやはり高知だときく。追いまくられるだけ の春をいっそ追いかけ返してみようかと旅行の算段を立てる暇も見当たらないいつもの春だが、食卓はにぎやかなのでまあよしとする。
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えんじょう・とう 1972年、北海道生まれ。作家。2010年「烏有此譚(うゆうしたん)」で野間文芸新人賞、12年に「道化師の蝶(ちょう)」で芥川賞、伊藤計劃(けいかく)との共著『屍者(ししゃ)の帝国』で日本SF大賞特別賞。
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