邪馬台国、円熟の新説 「出雲の勢力が大和で築いた」
[文]天野幸弘 [掲載]2013年04月01日
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歴史学者の村井康彦さん(82)は茶道など日本文化史研究の権威である。ところが近年、日本神話に関心を持ち、独自の古代国家論を展開。「出雲 (現在の島根県東部)勢力が大和(同・奈良県)で邪馬台国をつくった」という新説を提唱した。戦争の経験などから避けてきた神話に正面から取り組み、結論 づけたという。
●ルポ風に展開
その研究成果は近著「出雲と大和——古代国家の原像をたずねて」(岩波新書)にまとめられた。「なぜ大和に出雲系の神々が多くまつられているのか」という着想から5年。自らカメラをさげ、現地を踏査してきた。分かりやすい文章と写真でルポ風に展開する手法も面白い。
特に、古代の出雲から伯耆(ほうき)(現在の鳥取県西部)一帯の重要性に注目する。荒神谷遺跡(島根県出雲市)、加茂岩倉遺跡(同県雲南市)に眠っていた 圧倒的な弥生時代の青銅器や、出雲大社(同出雲市)の巨大な柱根、独特の形態の四隅突出墓などが次々と発見されている地域だ。
一方、奈良県桜井 市の三輪山・大神(おおみわ)神社をはじめ、奈良盆地の多くの神社には大国主神を中心とする出雲系の神々がまつられている。これらの神社や遺跡などを総合 的に検討し、「邪馬台国は出雲の勢力が大和盆地に進出して築いた」と推断した。その宮都跡は、多くの考古学者が有力候補とする桜井市の纒向(まきむく)遺 跡ではなく、同県田原本町の唐古・鍵遺跡のあたりとする。前例のない斬新な学説だ。
「日本書紀」の編者は、邪馬台国が登場する中国の史書「魏志 倭人伝」を知っていたものの、女王・卑弥呼の名前は記していない。それは邪馬台国が「神武東征」神話が示唆する九州勢力によって倒され、王統が続かなかっ たためだという。しかし九州勢力が打ち立てた大和朝廷は邪馬台国の勢力を絶滅には追い込まず、優勢な状況で妥協をはかった。その結果、出雲系の神をまつる 神社が奈良や各地に残ったとみている。
●原爆の原体験
村井さんは京都大大学院で日本史を専攻。京都女子大、滋賀県立大、京都造 形芸大などで教え、国際日本文化研究センター教授や京都市美術館長、京都芸術センター理事長なども歴任。「平安貴族の世界」や「茶の文化史」などの著書で 知られる。この間、古代国家の解体過程など奈良・平安時代の研究業績はあったが、更に古い時代に挑むのはためらってきた。
その背景には戦争と原 爆の体験があるという。山口県岩国市出身の村井さんは15歳の時、同市の海岸部での勤労奉仕中、広島市に投下された原爆の閃光(せんこう)とキノコ雲を目 撃した。その4日後、肉親を訪ねて目にした被爆地の惨状が心に刻み込まれている。戦後は戦前・戦中の皇国史観への反省から、歴史研究で神話を扱うことをタ ブー視してきた世代でもある。「神話伝説を研究することは、人より一層、苦しかった」と振り返る。
出版社の依頼を受け、はじめは古代の宮都につ いて書く予定だった。だが、その原型として邪馬台国・卑弥呼の王宮に注目し、検討のために魏志倭人伝に取り組んでいるうちにのめり込んでいった。「ミイラ とりがミイラになり、神話が秘める重要性に気づいた。遍歴の軌跡といえる」と率直に語る。
もちろん、村井さんをこの分野で「畑違い」とみる専門家もある。また、今回示した推論には、考古学的な調査による裏づけが十分でない、などの批判も出そうだ。
「最近、やっと肩の荷が軽くなった感じです」。円熟の境地が通説・定説から自由な仮説の表明に踏み切らせた。多くの古代史ファンに注目され、岩波書店によればすでに6万部が刊行されたという。村井さんがたどりついた大型の邪馬台国論は、新たな論争を巻き起こしそうだ。
この記事に関する関連書籍
著者:村井康彦/ 出版社:岩波書店/ 価格:¥882/ 発売時期: 2013年01月
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