2013年2月15日金曜日

asahi shohyo 書評

武士の家計簿 [著]磯田道史

[評者]最相葉月(ノンフィクションライター)

[掲載] 2013年02月15日

表紙画像 著者:磯田道史  出版社:新潮社 価格:¥ 714

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■幕末の暮らしを生き生きと再現

 吉村昭の随筆集『史実を歩く』に、こんな記述がある。資料との出会いに偶然はない。ここぞと見当をつけた場所で必ず見いだすことができる。まるで私が来るのを待っていたかのように、望んでいた資料が顔をのぞかせている、と。
 ここで吉村のいう必然とは、探す目があって初めて手にできるものではないか。史実に忠実な歴史小説を書き続けた吉村の、資料と向き合う真摯(しんし)な姿勢を見てそう思う。
  『武士の家計簿』の著者、磯田道史と「金沢藩士猪山家文書」の出会いも、本人は僥倖(ぎょうこう)と書くものの、長きにわたり全国の武家文書を渉猟してい たからこその、まったき必然ではなかったか。古文書販売目録で見た一枚の写真をきっかけに著者が発見したのは、温州みかんの箱に収められたほぼ完璧に近い かたちの入払帳、今にいう家計簿だった。記録されていたのは、天保13年から明治12年まで約37年間。同じ箱には家族の書簡や日記まで入っていた。幕末 から明治大正という時代の転換期を生きたある家族の生活を生き生きと映し出す、まさにタイムカプセルである。
 猪山家は五代にわたって加賀前田家 に仕えた御算用者、すなわち、会計のプロだった。加賀藩の御算用者は、ほかの藩とは位置づけが違う。普通の藩では、郡奉行といわれる民政部門の中に会計部 門が設置されているが、加賀藩では、御算用場といわれる巨大会計機構の中に郡奉行が置かれていた。つまり、会計は加賀百万石の政治を司(つかさど)る中心 的存在だった。猪山家は下級武士でありながらも、政治に近いところで働く有能な実務技術をもつ一族だったのである。
 ここまで精巧な家計簿がほぼ 完全なかたちで残された背景には、猪山家が陥った借金苦がある。江戸城大奥から迎えた姫君の婚礼具や装飾品を買い調える「姫君様御勘定役」として江戸詰の お役目を仰せつかるうちに出費がかさみ、ついに年収の約2倍にまで負債が膨らんだ。これではこの先立ち行かなくなると考えた猪山家8代目の直之が、「二度 と借金を背負わないように計画的に家計を管理しよう」と一念発起し、家財を売り払うと同時に完璧な家計簿を付け始めたのである。
 著者は、現代人 の生活感覚と照らし合わせながら家計簿を読み解く。たとえば、猪山家の年収は銀3076.19匁(もんめ)で、米に換算すれば51.388石だが、現在の 玄米価格に直すと250万円程度にしかならない。召使を2人も雇って住み込ませている家にしては低すぎる。そこで視点を変え、大工見習のアルバイトをして 生活した場合の賃金から金銀の価値を割り出すと年収は約1230万円になる、という具合である。
 財産売却リストも壮観だ。父・猪山信之の茶道具、母や妻の衣装、直之本人の書籍も書見台も、価値あるものはほとんどすべて売り払われている。総額は現代の1000万円以上とは、覚悟のほどが偲(しの)ばれる。
 収入も借金も万事この調子で現代感覚に換算されているため実感が伴い、わかりやすい。著者もまた、算術と会計技術に通ずる現代の御算用者ではないかと思うほどだ。
  では、決して安くはない年収がありながら、猪山家はなぜここまでの借金地獄に陥ったのか。著者がここで新しく提示する概念は、「身分費用」である。「その 身分であることにより不可避的に生じる費用」を意味し、具体的には、家来や下女の給金や生活費、儀式費用などを指す。身分費用の中でとりわけ大きな割合を 占めるのが、親戚付き合いを始めとする祝儀交際費だ。先祖祭祀(さいし)、葬儀、婚礼、出産、病気見舞い、昇進、引っ越しと、武士が武士という身分格式を 保つために必要な費用が家計を圧迫していた。直之の小遣いが月額5840円というから、いかにもバランスが悪い。給金が保証され、地元に帰れば田畑をもつ 家来たちと比べて、果たしてどちらが豊かなのかという疑問もわく。
 ただ、権力と威信と経済力が一手に得られない、社会学の言葉でいう「地位非一 貫性」こそが江戸社会の安定を解く鍵だと著者は書く。なぜなら、〈身分による不満や羨望(せんぼう)が鬱積(うっせき)しにくく、身分と身分が、そこそこ のところで折り合って、平和が保たれるから〉。武士の気位の高さを表す「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」という俚諺(りげん)は、もしかして、社会 システムを保持するための呪文だったのかもしれない。
 それにしても、新書にして220ページあまりの本書には、まるで歴史小説のような躍動感が ある。幕末から明治維新にかけての変動期を猪山家の人々や士族たちがどう生きたか、古文書や書簡を通して当時の生活に分け入り、直之の目となり耳となっ て、細かいこともおろそかにせずに日々の暮らしを再現したからだろう。
 廃藩置県で金沢藩が消滅すると、加賀百万石を支えた膨大な士族たちは路頭 に迷った。出稼ぎに行く者、慣れない商売に手を出して失敗する者、雑役夫になった者もいた。会計技術をもつ猪山家は、新政府の実務官僚として抜擢(ばって き)されたが、親族でも、官員として出仕できた士族とそうではない士族では、収入に大きな格差が生まれたという。
 海軍省の高等官となって東京で 働く9代目成之に宛てた手紙によれば、直之は、家禄の廃止や鉄道の開業、太陽暦の導入などの変化に大いに戸惑いながらも、牛肉や牛乳を食するなど、いち早 く文明開化を楽しんでいたことが読み取れる。孫たちも海軍に入れようと、教育には相当熱心だったようだ。成之に十分な稼ぎがあったためだろうが、直之の晩 年は比較的穏やかで、政治的に動くこともなければ、新たな事業にチャレンジするそぶりもない。変化を従容として受け入れている。
 実直な会計技術 者だったからというだけではないだろう。家計簿はたんに数字の羅列ではなく、家族一人ひとりの声であり、家族が生きた証である。家計簿をつけることによっ て自らの行いを振り返り、家族と対話する。そんな静かな日々の積み重ねが、直之自身を支えていたのではないかと思えてならない。
    ◇
 ところで、本書を原作とする映画が公開された同じ年に、石崎建治著『加賀藩御算用学者 猪山直之日記』(時 鐘舎)が出版された。家計簿がつけられた背景を知る格好の資料だと思って併読したところ、磯田の先行研究に敬意を表しつつも、控えめに異論を呈した箇所が 目に留まった。数え二歳の長女の健康を願う「髪置」の祝いに必要な大鯛が準備できずに、「絵鯛」(絵に描いた鯛)で済ませたという涙ぐましいエピソードに ついてである。
 直之の日記を研究した石崎によれば、直之のくずし字では「糸」偏と「魚」偏がよく似ており、家計簿にある「絵」(旧字は、絵= 繪)は「鱠」(なます)の誤記である可能性があるという。同じ日の日記に「絵」という文字がない代わりに「鱠」とあることもそれを示唆しており、日頃から 子どものための費用は惜しまない直之の暮らしぶりから考えても、髪置の儀式だけ絵に描いた鯛で済ますことには疑問があるという。
 実は私自身、 『武士の家計簿』を初めて読んだ時に少々引っかかりを覚えたところで、日記からうかがえる直之の冷静沈着な人物像からみても、「絵鯛」のような「奇手」 「奇策」とは縁遠かったのではないかという石崎の指摘には一定の説得力を感じた。「絵鯛」は本編だけでなく予告編やポスターでも大きく採り上げられて私た ちの記憶に深く刻まれた印象的な場面であるだけに、今後さらなる検証が待たれるところだ。
 ……いやはや、ことほどさように、古文書は奥が深い。

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史実を歩く

著者:吉村昭/ 出版社:文藝春秋/ 価格:¥560/ 発売時期: 2008年07月

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