2011年7月29日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年07月28日

『マヤ文明 聖なる時間の書』 実松克義 (現代書林)

マヤ文明 聖なる時間の書 →bookwebで購入

 青木和夫氏は『古代メソアメリカ文明』で日本人が仏教という外来宗教から神仏習合の日本仏教をつくりだしたように、マヤ人も多神教的なフォーク・カトリシズムをつくりだしたと指摘しているが、現代マヤ人の精神世界とはどのようなものなのだろうか。

 まさにその疑問に答えてくれる本がある。宗教人類学者の実松克義氏の『マヤ文明 聖なる時間の書』である。実松氏はグアテマラ太平洋側のキチェー地方を1994年から1999年まで6年間フィールドワークし、現代マヤのシャーマン(みずからをサセルドーテ・マヤと呼んでいる)から聞きとり調査をおこなったが、本書はその記録である。

 キチェー地方はマヤの『古事記』というべき『ポポル・ヴフ』 が発見された土地でマヤ文化の色彩が濃く、現在でも多くのサセルドーテ・マヤが活躍している。キチェーのサセルドーテ・マヤは『ポポル・ヴフ』を特に重視 しており、本書の後半は『ポポル・ヴフ』(著者は『ポップ・ヴフ』と表記すべきだという立場に与しているが)の話になる。

 先住民の呪術師というと教育のない貧しい拝み屋さんというイメージがある。確かにそういうサセルドーテ・マヤが多いが、著者の出会った中には大学 教育を受けたインテリもいる。実業家として成功していたり、大学で教えていたり多士済々で、人気のあるサセルドーテ・マヤのところには国外からも依頼者が 来ている。教育があるのになぜイニシエーションを受けて呪術師になるのだろうか。重病をサセルドーテ・マヤに治してもらい、自らの運命に目覚めるというパ ターンが多いようだ。

 サセルドーテ・マヤは宗教を聞かれると一様にカトリックと答えているが、やっていることはおよそカトリックではない。神聖暦で占いをし、壇を築い て火の儀式をおこなう。十字を切るものの、マヤ十字という別の意味あいの十字である。グアテマラのカトリックはマヤ古来の信仰と混淆しているのである。

 シンクレティズムの象徴というべきはサン・シモンという神格である。サン・シモンというといかにもカトリックの聖人のようだが、聖書に出てくる9 人のシモンとは関係がなく(関係があると言い張っている人もいるが)、シモン兄さんとかシモン兄貴と気安くお願いできる現世利益の神様として広く信仰を集 めている。

 サン・シモンは10月28日が誕生日だったり、「五人の博士」という治癒神になったり、マシモンという怖い神様に姿を変えたり得体が知れないが、 研究者によると信仰の歴史は古くはなく150年ほど前、教会の土着信仰弾圧を期にはじまったらしい。サン・シモンといういかにもカトリック的な装いをまと わせることで土着の神の温存を図ったということだろう。

 マヤ十字も興味深い。マヤに十字架のシンボルがあったことはパレンケのレリーフでも明らかだが、もともとは世界樹だったマヤ十字がキリスト教の十 字架と習合してしまい、「父と子と聖霊、聖人の名において」という祈りの言葉は同じながら、心の中では死霊の住むマヤの世界が表象されているというのだ。 マヤ十字の詳しい意味あいについては人によって異なるが、十字架の横棒が黄道、縦棒が黄道と交差する銀河、さらに十字架の二次元に垂直に雨の軸が貫き、マ ヤの立体的な宇宙像をあらわすという解釈まである。

 260日周期の神聖暦も考古学上の遺物ではなく占いの暦として普及していて、日本の神宮暦くらいにはポピュラーなようだ。

 神聖暦にはいろいろな解釈があり、サセルドーテ・マヤごとに違うといっても過言ではないらしい。しかし時間を生命の動きそのものとしてとらえるという点では共通しているようだ。

 最後に『ポポル・ヴフ』だが、これが一筋縄ではいかない。16世紀にキチェー人の貴族がアルファベットで音写したキチェー語の原本を18世紀にフ ランシスコ・ヒメネス神父がチチカステナンゴで発見し、筆写してスペイン語訳を付して書庫に残した。それが150年後に再発見されるという経緯をたどる が、ヒメネスがつくった写本しか残っていないのでテキストの信頼性に疑問がもたれているのである。

 『ポポル・ヴフ』には十を超える現代語訳があるというが、その中でキチェー語のテキストを本来の形に復元するところからはじめたチャベスの翻訳があり(『ポップ・ヴフ』はチャベスが復元した発音)、キチェーのサセルドーテ・マヤの多くから支持されているというのである。

 本書の後半ではチャベス訳を評価するヴィクトリアーノ・アルヴァレス・フアレスと彼が主宰するグアテマラ・マヤ科学研究所の見解が紹介されている。実松氏はチャベス訳について『マヤ文明 新たなる真実』という本を別に書いておられるので、興味のある方はそちらを見られたい(中公文庫の『ポポル・ヴフ』とはまったく違う)。

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