2011年7月11日月曜日

asahi archeology history Senzoku kofun ruin Okayama

岡山の古墳石室、年内にも解体 高松塚の教訓生かされず

写真:劣化して文様の下部がはがれ落ちた千足古墳石室の石障=2010年10月撮影、岡山市教委提供拡大劣化して文様の下部がはがれ落ちた千足古墳石室の石障=2010年10月撮影、岡山市教委提供

図:石障取り出しの手順拡大石障取り出しの手順


 岡山市北区の国史跡、千足(せんぞく)古墳(5世紀)の石室が、年内にも一部解体されることが決まった。文様を施した石障(せきしょう=仕切り石)が雨 水につかって劣化し、取り外しを余儀なくされたからだ。古墳石室の解体は、極彩色壁画で知られる高松塚古墳(奈良県明日香村)に次ぐ事態。その教訓はな ぜ、生かされなかったのか。

 石障の劣化が発覚したのは2009年9月。岡山大考古学研究室(新納泉教授)が石室内部の3次元計測のために調査に入り、石室内にたまっていた水とヘド ロを抜き取ったところ、直弧文(ちょっこもん)が描かれた砂岩製の石障(高さ53センチ、幅162センチ、厚さ13センチ)の下部3分の1がはがれ落ちて いた。

 その後、保存の手法などを検討する岡山市教委の保存整備委員会が組織され、考古学や保存科学の専門家ら8人が「現地保存」の原則に立って石室内での修復を模索。だが、石障の危機的状況を前に、取り外しを選択せざるを得なかった。

 石室は明治末期に天井付近が盗掘で開けられ、長年にわたって雨水がたまり続けた。約20年前にも水没状態にあることが指摘されていたが、同古墳を所有・ 管理する市教委は当時、「水があれば保存環境は安定しているはず」と判断。後任の担当者らも問題視せず、現状を確認することもなかった。文化庁記念物課も 「専門家が安全と判断した結果。悪い状態との認識はなかった」と説明する。





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