2011年7月26日火曜日

asahi shohyo 書評

慈しみの女神たち(上・下) [著]ジョナサン・リテル

[評者]斉藤環(精神科医)

[掲載]2011年7月24日

表紙画像著者:ジョナサン リテル  出版社:集英社 価格:¥ 4,725


■凡庸な虐殺者へ執拗な問いかけ

  恐るべき小説だ。二段組上下巻計一〇〇〇頁近いその浩瀚(こうかん)さもさることながら、執筆時三十八歳という作者の年齢、ハイパーリアルな筆致で描き込 まれた細部の膨大さ、ゴンクール賞とアカデミー・フランセーズ文学大賞ダブル受賞という栄冠に加え、全世界で130万部を売った問題作。すべてが桁外れ だ。

 語り手である主人公は、もとナチ親衛隊将校で、フランス人として戦後を生き延びたマックス・アウエという老人だ。ナチスを主題 としたフィクションは数多いが、その多くは犠牲者視点かヒトラーその人に焦点化したものであり、こうした視点は珍しい。さしずめ副題は『凡庸な虐殺者の肖 像』ともなろうか。

 そう、問題はこの凡庸さにある。これは、ホロコーストに深く関与して戦後処刑されたアイヒマンについてハンナ・アーレントが述 べた「倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマル」(『イェルサレムのアイヒマン』)という形容を念頭においてのことだ。ただしそれは、 けっして「凡庸=ノーマル」という意味ではない。

 法学博士のアウエは、常にポケットにフロベールの『感情教育』を携行し、あろうことかアイヒマンとカント倫理学について議論す るような青年だ。「個人の意志の原理が〈道徳律〉の原理となりうるようにすべし」という〈定言命法〉は、「自らの意志を〈総統〉の意志として」とあっさり 言い換えられ、ユダヤ人殲滅(せんめつ)を正当化する原理にすり替えられる。死体の臭いに吐き気をもよおしつつも、導入部では「殺す者は、殺される者と同 じように人間なのであり、それこそが恐るべきことなのだ」などと、ぬけぬけと語るアウエ。

 教養人として申し分がないほど〈凡庸〉なアウエが殺人に関わっていく過程は、いかなる病理とも無関係だ。複雑きわまりない指揮 系統と人間関係の集積からなる、時に退屈な日常が彼を変えていく。明晰(めいせき)な意識と十分な内省能力を持ってしても、〈殺人〉は防ぎ得ないというこ と。いまや私は確信する。ホロコーストの問題は、ドゥルーズの言う「潜在性」の問題にほかならないのだと。それは「あなたもそれをなし得た」という「可能 性」の問題とは決定的に異なる。むしろそれは「なぜそんなことがなされえたのか?」という執拗(しつよう)な問いとして、私たちにつきまとう。

 この種の潜在性を確実に抑圧するには、別の〈現実化〉の回路が必要だ。本作の真に「恐るべき」功績は、こうした〈現実化〉のための、この上なく見事な形式を発見したことによって極まる。

    ◇

 菅野昭正他訳/Jonathan Littell 67年、米国生まれ。米仏で育ち、現在はスペイン在住。

表紙画像

慈しみの女神たち 上

著者:ジョナサン リテル

出版社:集英社   価格:¥ 4,725

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慈しみの女神たち 下

著者:ジョナサン リテル

出版社:集英社   価格:¥ 4,200

表紙画像

感情教育 上 (河出文庫)

著者:ギュスターヴ・フローベール

出版社:河出書房新社   価格:¥ 893

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感情教育 下 (河出文庫)

著者:ギュスターヴ・フローベール

出版社:河出書房新社   価格:¥ 893

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