いま、憲法は「時代遅れ」か—〈主権〉と〈人権〉のための弁明(アポロギア) [著]樋口陽一
[評者]柄谷行人(評論家)
[掲載]2011年7月10日
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■「国家権力縛る」基本は今日的
本書はつぎのエピソードから始まっている。伊藤博文は明治の憲法制定に関する会議で、「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権 利を保全することにある」と発言した。この事実を、著者が法律関係者の多い聴衆に話したとき、衝撃をもって受けとめられた、という。
立憲主義の基本は、憲法は、国民が国家権力を縛るものだという考えにある。それは、別の観点からいうと、国家は本性的に、専制 的であり侵略的であるという認識にもとづいている。だから、憲法によって国家を縛らなければならない。明治時代に日本帝国を設計した政治家にとっても、そ れは自明であった。しかし、今や、法律関係者の間でさえ、この基本が忘れられている。
たとえば、憲法9条にかんする議論がそうである。改憲論者はもっぱら国家の権利を論じる。そして、日本の憲法は異常だという。 しかし、9条の趣旨は、伊藤博文の言葉でいえば、「国家の(戦争する)権利を制限し、(平和に暮らす)国民の権利を保全することにある」。確かに、立憲主 義が始まった時期に、「戦争の放棄」という観念はなかった。しかし、それは、立憲主義の基本から見ると、正当かつ当然の発展である。
憲法は国民が国家権力を縛るものだ、という観点から見ると、現行憲法は「時代遅れ」であるどころか、きわめて今日的である。憲 法25条1項には、こうある。《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》。たとえば、震災でホームレスとなり職を失った人々を放 置するのは、憲法に反する。また、放射性物質の飛散によって人々の生存を脅かすのは、憲法違反であり、犯罪である。本書は、多くの事柄に関して、憲法から それを見るとどうなるかを、教えてくれる。憲法全文も付載された、最良の入門書である。
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ひぐち・よういち 34年生まれ。国際憲法学会名誉会長。『近代国民国家の憲法構造』など。
- いま、憲法は「時代遅れ」か—〈主権〉と〈人権〉のための弁明(アポロギア)
著者:樋口 陽一
出版社:平凡社 価格:¥ 1,575
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