2011年8月1日月曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年07月30日

『他者の記号学―アメリカ大陸の征服』 トドロフ (法政大学出版局)

他者の記号学―アメリカ大陸の征服 →bookwebで購入

 スペインのアメリカ征服を記号学の視点から分析した本である。著者のツヴェタン・トドロフはロラン・バルトの弟子で、文芸批評家としても著名である。

 なぜアステカやマヤの滅亡に記号学が関係あるのか、なぜ文芸批評家が首を突っこむのか、訝しむ人が多いかもしれない。トドロフはブルガリアからフ ランスに留学していついた人で、フランスではよそ者である。植民地問題や他者の問題に敏感で『われわれと他者―フランス思想における他者像』のような著書 もある。本書もその系列の仕事で、近代ヨーロッパが誕生しようとしていたまさにその時に遭遇したアメリカ先住民という他者を通じて、近代ヨーロッパのアイ デンティティを探る試みである。

 本書は四部にわかれる。「Ⅰ 発見」ではコロンブス、「Ⅱ 征服」ではアステカを制圧したコルテス、「Ⅲ 愛」ではインディオ救済に生涯をかけたラス・カサス、「Ⅳ 認識」ではインディオの書き残した亡国の記録をスペイン語に訳し後世に伝えたサアグンとドウランを論じている。

Ⅰ 発見

 まずコロンブスである。本書ではコロンブスを「コロン」と表記するが、これはフランス語の本だからではなく、コロンブス自身が25歳以降、コロン ボという本来の姓を捨てコロンという表記に固執したからである。コロンブスの業績を書き残したラス・カサスは コロンとは「新たに植民する」、クリストバルとは Christum Ferens で「キリストを運ぶもの」という意味であり、コロンブスは姓名が意味するところを実現すべく神に選ばれたという考えに動かされたと述べている。

 コロンブスは自分自身だけでなく、すべての事物がそれにふさわしい名前をもたなければならないと考えていた。コロンブスは発見した土地に美しい平野(ベル・プラド)、銀の山(モンテ・デ・プラタ)、乾いた岬(プンタ・セカ)等々と、先住民がどう呼んでいるかにはお構いなく勝手に名前をつけていく。

 コロンブスはジェノヴァ語、カスティーリャ語、ラテン語など、ラテン系の言語を自由にあやつる多言語生活者だったが、ラテン系の言語が普遍的と思 いこんでいて、異質の言語があるという意識が欠落していたらしい。インドを目指す航海に出発したのもアラビア人天文学者アルファルガニの算出したアラビア 海里をイタリア海里と同じと思いこみ、インドまでの距離を短く誤認したからにほかならなかった。

 異質の文化、異なるコードがあるという自覚のない人間がアメリカ先住民と出会ったのだから誤解の連続だった。コロンブスは当初、先住民は善良で気 前がいいと褒めちぎるが、ほどなく野蛮な泥棒だと評価を逆転させる。コロンブスには自分と同じ人間か、文化をもたない動物なみの生き物かという二つのカテ ゴリーしかないのだ。トドロフは書いている。

彼の態度は二つに分けられるが、それはつぎの世紀に引きつがれるだけでなく、実際上、現代の植民地支配者一人一人の、被支配者としての原住民にたい する関係のなかにすでに見たとおりである。すなわち、ある場合には、彼はインディオを、完全な権利を有する、つまり彼と同じ権利を持つ人間だと考える。だ がその場合、彼らを対等であるばかりでなく、同一のものと見なしているのであって、こうした態度は同化主義に、すなわち自分自身の価値観を他者へ投影する ことに帰着する。そうでなければ、彼は差異から出発する。だがこの差異は、ただちに、優越と劣等をあらわす言葉に翻訳される。人は、自己のたんなる不完全 な状態にとどまらないような、まったく他者的な人間の本質が存在することを、認めたがらないものだからである。

 コロンブスは人間の平等を信じる素朴な同化主義者であり、それがインドにキリスト教を布教しようという夢とないまぜとなって先住民をキリスト教に 改宗させようとするが、従わない先住民は奴隷にしてしまう。キリスト教徒でなければ人間ではなく、平等にあつかう必要がないからだ。コロンブスには自分と は異なるが、自分と同じ権利を有する主体という観念が欠けており、この欠落が後の植民地主義に引きつがれていく。

Ⅱ 征服

 他者が欠落していたのはコロンブスだけではなかった。コルテスに捕らえられ、最悪の選択をくりかえしてアステカ滅亡を招いたモクテスマ皇帝も異なる文化の存在が理解できなかった。

 アステカは雄弁を尊び、モクテスマも雄弁で名をはせた優秀な人物だった。コルテスと500人の配下の上陸はただちにモクテスマのもとに知らされ、 モクテスマは斥候と絵師を派遣しコルテス隊の動静を監視させていた。だがモクテスマは情報収集を活かすことができなかった。コルテス隊を全滅させようと思 えばできたのに混乱した命令で迎撃の機会をなくし、ついにはおとなしく退去してくれればアステカ王国を贈物としてさしあげると懇願する始末だった。イン ディオが書き残した年代記は「モクテスマはうなだれ、まるで死者か啞でもあるかのように、口に手をあてたまま、声もなく、長いあいだじっとしていた。彼に は話すことも答えることもできなかった」と伝えている。

 トドロフはモクテスマは捕らえられる前から負けていたのだと指摘する。

 モクテスマはただたんに話の内容を恐れているのではない。このテクストに<死者>と<啞>とが意味ありげに並べておかれていることからも分かるよ うに、彼は文字通りコミュニケーションが不可能なことを示しているのだ。この機能停止はたんに情報収集を弱体化させるばかりではない。アステカの君主とは なによりもまず言葉の支配者であり、したがってその言語活動の放棄は挫折の告白である以上、それはすでに敗北を象徴しているのである。

 モクテスマが茫然自失におちいっていたのはスペイン人たちがアステカ人のコードに根本的におさまりきらない他者であり、記号体系全体を揺るがした からである。コロンブスは自分のコードからはずれた先住民を動物と同じにあつかったが、アステカの呪術師とモンテスマはスペイン人を神々と同列に置き、ス ペイン人到来を示す前兆を創作した。

 コルテスはモンテスマやコロンブスとは違う種類の人間だった。他の征服者(コンキスタドール)と も異なっていた。キューバを出発した時は他の征服者と変わらなかったかもしれないが、アステカ帝国の存在を知ると帝国全体を手にいれようと決意し、目先の 黄金あさりより情報収集を優先させた。彼は通訳を重視し、マヤ人の奴隷となっていたマリンチェというアステカ女性を手にいれる。コルテスはマリンチェを相 談相手にし、アステカの内情を学んだ。同時代のスペイン人の記録も先住民の記録もマリンチェを通訳を超えた者として描いている。

 コルテスはマキャベリの同時代人だったが、マキャベリばりに自分の行動が先住民にどう解釈されるかを気にした。同盟者の村でニワトリを二羽うばっ た部下は即座に絞首刑にした。秘密の保持にも神経を使った。先住民は馬は不死身と思いこんでいたので、戦闘で死んだ馬の死骸は夜のうちにひそかに埋めさせ た。

 モンテスマとの交渉では相手を混乱させるためにことさら矛盾した対応をとった。ケツァル神との同一視もコルテスは助長したふしがある。

 スペイン人がアステカやインカを電撃的に征服できたのはダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』やマンの『1491』のように、武器の優位性と意識せずに新大陸にもちこんだ疫病のためだという見方が一般的だが、トドロフは記号の関与に注目する。コルテスは記号を武器にし、モクテスマは記号体系に自縄自縛になって自滅したのだ。

Ⅲ 愛


Ⅳ 認識


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